烏丸ママのブログ -133ページ目

地蔵盆

前記事に
たくさんコメントお寄せいただき
ありがとうございました。
今は卒業してしまったブロ友さんが多い中、
今も仲良くしてくださっているブロ友さんのコメント読ませていただき、
今だから言える子供たちの気持ち
を重く受けとめています。
ホントにやばかったんだ~
子どもの言葉、はしょってしまったので、
正確に言うと
「しんどかったけれど、
学校は行かなくてはいけないものと思っているから、
休むということは考えられなかった。
(注:それが体の不調という形となってできました。)
それなのに、先生(主治医)が『学校は休みなさい』
と、言ってくれたので、助かったと思った」
ということでした。
十何年たって、少しは理解が広まったけれど、
やっぱり世間では「学校は行ってあたりまえ」ですよね~
その時に主治医に
「義務教育は行かなくても卒業できますから」
って、さらっと言われました。
その後中学の担任に
「進級しますか、留年しますか?」
って、聞かれたときには
(はあ!?)って思いました。
小学校にはよくしてもらいましたが、中学は全然でした。

すみません、書きだすと、当時のことがいろいろ思い出されて。。。

『寅に翼』の優三さんのように

「好きに生きたらいいんだよ」

って言える親でありたいです。(まだなってない。)

 

ところで、今日明日地蔵盆で、六地蔵めぐりが始まりました。

通りがかった矢田地蔵と

矢田地蔵でも数珠くりがあるそうです。

 

六地蔵めぐりの一つ上善寺にお参りしました。

今日の京都は37.9度でした。

早朝か夜に参拝します。

明日は実家の地蔵盆に行きますが、

お供えにブドウを買いに高島屋に行ったら、

高すぎて買えなかった!

でも上善寺の門前でピオーネ千円で買えました!

 

「死んでいたかもしれない」

今日京都御苑を通過したから
久々に厳島神社。
重要美術品の鳥居に鳩がいっぱい。

本文と画像は関係ありません。
もうすぐ夏休みが終わるということと、
帰省した息子との会話から
久しぶりに起立性調節障害の記事です。
息子は小学校4年で起立性調節障害と診断されました。


メンテナンス中の拾翠亭

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三男が生命保険に入るにあたり、

「告知義務のある既往症の中に

自律神経失調症があるんだけど、これって当てはまるのかな」

って言うので、

「もうええんとちゃう?」

と、私は答えました。

「でも起立性調節障害は自律神経失調症でしょ?」

うーん。

 

結局起立性調節障害とはなんぞや?

と、改めて考えてしまいました。

どちらも交感神経と副交感神経のバランスが崩れて起こるさまざま症状。

自律神経失調とは違い、

起立性調節障害は起立テストなど診断基準がはっきりあり、

成人すると治ると言われてきました。

それがそういうわけでもないみたいだけど。。。

今田中先生のサイトみても、私が見ていたころと

ちょっと違っているような気がしますね。

 

 

「僕は主治医の先生に

『起立性調節障害で、これだけしんどいのだから

学校は休みましょうね』

と、言われてとても救われたんだ。

とてもつらかったので、

あのとき休んでいなければ

死んでいたかもしれない」

と、言いました。

 

息子が動けなくなったのは9月の夏休み明け。

すでにブログを卒業された不登校のブロ友さんも

2学期から行けなくなった人が多かったです。

夏休みが終わると、しんどくなる子が多いです。

「自ら学校を休むことは勇気がいることですが

いつとは言えませんが、

また行ける日が必ず来ます。」

と、主治医は私に言いました。

そして

「この人の場合、時間がかかると思います」

と、付け加えました。

小中学校の登校日数は年間20日ほどだったでしょうか。

当時不登校と言われていた愛子さんと比べ、

その登校日数に不登校ちゃうやん

って、思ってました。

「学校に行けと言われるのが、一番つらかった」

と、言われました。

私が学校に行くことにこだわっていたんですね。

不登校の親が一番後悔していることの一つがコレ。

「子供に学校に行けと言ったこと」

だそうです。

高校は登校日数の少ない通信制に進みました。

ゆっくりすることで、体を休め、

気持ちもゆとりが持てるようになり、

動き始めることができました。

 

二十歳の時まで

半年とか年に1回?主治医のところに行ってました。

最後に言われたのは

「社会的に自立することが目標ではありません。

幸福になることなのです。

親が先にいなくなったとしても、社会が支えてくれます」

と、いうことでした。

そのときは何てこというんだと思いましたが、

幸福を感じれば、動くことができる

ということだったのだと今は思います。

 

今日はまったり

夫は1人バカンスで昨日帰国しているはずwww
息子たちが入れ替わり立ち替わり帰省し、
カレンダー通りの出勤の長男が週末に来て
昨日帰っていきました。
今日は湿気が多いせいか、どっと疲れが出ました。
浜松では掃除とか、草引きとか、作物の収穫とか。
息子は使えないヤツ~
と、思いましたが、
よく考えると、当たり前のように
帰省についてくるだけでもありがたいのかも
と、思いなおしました。
浜松で次男を拾い、高山に行きました。
着いたらあたりは真っ暗で、背丈ほどの草。
息子たちが踏みしめて道を作ってくれました。
雨がやんでいたのが幸いでした。
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仕事で行けなかった長男は
「俺も行きたかったな」
と、言ってました。
日誌のようなノートが別荘に置いてあり、数えたら50回行ってました。
三男が作文に
「僕のうちの別荘に行きました」
と、書いたのも無理はない。
確実にオーナーより行ってます。
オーナーにしてみたら、行かないと、
家が荒れるので行ってほしかったみたいです。
そのノートを読んでいると、
水栓の開け方、水抜き(冬季)の仕方が書いてありました。
息子たちが水道栓だと思っていたものは
どうも水抜き(凍結防止に冬季は水抜きをする)バルブだったようで
水栓は土中に埋もれていることがあるので注意と書いてありました。
いつも夫まかせだったので、みんな知らなかった。
着いたのも真っ暗で気づかなかったようです。
車に懐中電灯は3つあったのですが、
一番大きいのが電池切れでした。
災害時に備えて時々電池チェックも必要です。
水タンクの水が限られているので、
お皿にはラップを巻いて使いました。

災害時の予習になりました。

防災動画がたくさん上がってますが、

自分で確保している備蓄食料って、

避難所で提供しないといけないところが多いんですってね?!

個人の食料を集めて、平等に分配するためだそうです。

(しかし支援物資を届けた人によれば、この分配が難しいようです。)

こんな黄色い花がたくさん咲いていました。

同じ花が国道沿いもたくさん咲いていて、

もしかしたら帰化植物なのかな。

 

☆テーマ「山の家」を追加して、山の家の過去記事をまとめています。

更新通知がいってしまったらごめんなさい。

飛騨国一之宮 水無神社

飛騨高山に行きましたが、

ハリネズミを連れていてるため、観光はできず、

一之宮御朱印巡りの飛騨一ノ宮 水無みなし神社だけ立ち寄りました。

みなしとは、水主の意味で、水をつかさどるという意味だそうです。

前を流れる宮川がこちらで伏流水となり、水なし川になるため

ともいわれます。

水源となる位山が奥宮になっています。

宮川はのちに神通川となり日本海にそそぎます。

主祭神は御歳大神

 

変わった狛犬さん?

と、思ったら、ニホンオオカミだそうです。

 

有名な温泉旅館 水明館の寄進です。

台座に見える神紋は水瓢箪紋

 

この日は台風の影響で雨予報でしたが、

薄日もさす天気となりました。

 

木造の神馬が二頭。

黒駒と白馬ですが、黒駒は左甚五郎作と伝わります。

 

トイレに行くと、社殿の左手に出ました。

ちばかの桂

樹齢450年だそうです。

 

御母衣ダム建設時に湖底に沈む集落の白山神社を集めて

遷座され、白川神社として祀られています。

水無神社には

第二次大戦中熱田神宮のご神体が疎開してきたそうです。

ご神体って草薙剣!?

 

御朱印は直書きしてもらえますが、

書置きだと金色地に流水紋のきれいな御朱印紙でした。

御朱印帳忘れてきたので書置きをいただきました。



御霊神社 例祭

今の御霊祭は5月18日ですが、
古くは7月18日に神幸祭、
8月18日に還幸祭が行われていました。
その名残で?8月18日に例祭が行われています。
今日は朝から狂言の奉納があり、

 

夜は御霊太鼓と小山郷六斎念仏

連日で歩いているので、お参りだけしてきました。

 

 

 

 

過去記事からどうぞ

これは上善寺の方ですが、同じ演目です。

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こちらは下御霊神社

 

次回

小山郷六斎念仏は京都六地蔵のひとつ上善寺で23日午後8時から行われます。