起立性調節障害講演会
保護者、学校関係者向けのOD講演会に行こうか
どうか迷っているうちに、
起立性調節障害サポートグループ のホームページを
久々に開いたら22日で締め切りでした
行ったからといって、子供の回復にはあまり関係ないかもと、
親の会とか、講演会などにはあまり行ったことがないのですが、
こちらのサポートグループの前回の講演会に参加させていただきました。
前回の講演会は3部構成で
2部が高校進学についてだったので、
NPO法人ピアネットAlice さんが主催された1部の
「起立性調節障害から学んだこと」というテーマの
講演のみを聴講させていただきました。
講演してくださった先生が起立性調節障害(以下OD)について
研究を始めたころは
「ODは病気ではない」という認識の医師が多かったそうです。
それゆえ、ODを研究する医師もなく、
死に至る病気ではないため、治療されず見逃されてきたようです。
私も低血圧でしんどくて、病院に行ったら、
「高血圧でなくてラッキーでしたね」
と何もしてもらえませんでした。
ある学会で発表すると
「面白い研究をしているね」と言ってくださる先生がいらっしゃたり、
スウェーデン人の先生に出会って、留学したことから
ODを専門にするようになったそうです。
でも、スウェーデンはODの子供があまりいないそうです。
スウェーデン人は離婚率も高く、子供のストレスが多そうですが
日本の子供のほうがストレスが多いようです。
また日本の子どもは低血圧、低体温だそうです。
講演の最初に、子供に接する心構えとして
「正見」という言葉を使われました。
これはお釈迦様が説かれた八正道のひとつで
正しい目で観察するということでした。
そして、症例を説明しながら、いくつかのODのパターンを説明されました。
ODの子どもは体と同時に心も疲れています。
ある少女は何度もリストカットを繰り返し、
5年かかって登校できるようになったそうです。
ある少年は学校で問題行動を起こしてばかりで、
お父さんに連れてこられたそうです。
血圧の変化はないが、脈拍が増えるというODの症状を指摘すると
「え、ぼくって病気だったんですか」
って、本人も学校関係者もびっくり。
医師を信頼することで、大人への信頼を回復し、
薬物治療も3ヶ月ほどで効果が出て、
問題行動もおさまったそうです。
一方主催されたピアネットAliceさんは
神戸を本拠とするNPO法人で、代表者のお子さんも
小学校高学年からODに苦しんでおられたそうです。
いろいろな催しをされており、参加されたブロガーさんのお話を読むと
楽しいひとときをすごされたようです。
こんなに患者が多いのに、
学校関係者がODについて何もご存知ないのには驚きます。
もっと学校関係者に知っていただきたくて、
ODの記事や、ピアネットaliceさんのパンフレットを
中学の担任の先生、小学校の先生にお渡ししました。
子どもたちのしんどさを
周りの人が気付いてやれるようになればと思います。
どうか迷っているうちに、
起立性調節障害サポートグループ のホームページを
久々に開いたら22日で締め切りでした

行ったからといって、子供の回復にはあまり関係ないかもと、
親の会とか、講演会などにはあまり行ったことがないのですが、
こちらのサポートグループの前回の講演会に参加させていただきました。
前回の講演会は3部構成で
2部が高校進学についてだったので、
NPO法人ピアネットAlice さんが主催された1部の
「起立性調節障害から学んだこと」というテーマの
講演のみを聴講させていただきました。
講演してくださった先生が起立性調節障害(以下OD)について
研究を始めたころは
「ODは病気ではない」という認識の医師が多かったそうです。
それゆえ、ODを研究する医師もなく、
死に至る病気ではないため、治療されず見逃されてきたようです。
私も低血圧でしんどくて、病院に行ったら、
「高血圧でなくてラッキーでしたね」
と何もしてもらえませんでした。
ある学会で発表すると
「面白い研究をしているね」と言ってくださる先生がいらっしゃたり、
スウェーデン人の先生に出会って、留学したことから
ODを専門にするようになったそうです。
でも、スウェーデンはODの子供があまりいないそうです。
スウェーデン人は離婚率も高く、子供のストレスが多そうですが
日本の子供のほうがストレスが多いようです。
また日本の子どもは低血圧、低体温だそうです。
講演の最初に、子供に接する心構えとして
「正見」という言葉を使われました。
これはお釈迦様が説かれた八正道のひとつで
正しい目で観察するということでした。
そして、症例を説明しながら、いくつかのODのパターンを説明されました。
ODの子どもは体と同時に心も疲れています。
ある少女は何度もリストカットを繰り返し、
5年かかって登校できるようになったそうです。
ある少年は学校で問題行動を起こしてばかりで、
お父さんに連れてこられたそうです。
血圧の変化はないが、脈拍が増えるというODの症状を指摘すると
「え、ぼくって病気だったんですか」
って、本人も学校関係者もびっくり。
医師を信頼することで、大人への信頼を回復し、
薬物治療も3ヶ月ほどで効果が出て、
問題行動もおさまったそうです。
一方主催されたピアネットAliceさんは
神戸を本拠とするNPO法人で、代表者のお子さんも
小学校高学年からODに苦しんでおられたそうです。
いろいろな催しをされており、参加されたブロガーさんのお話を読むと
楽しいひとときをすごされたようです。
こんなに患者が多いのに、
学校関係者がODについて何もご存知ないのには驚きます。
もっと学校関係者に知っていただきたくて、
ODの記事や、ピアネットaliceさんのパンフレットを
中学の担任の先生、小学校の先生にお渡ししました。
子どもたちのしんどさを
周りの人が気付いてやれるようになればと思います。
焚き火
この週末双子はキャンプに行っていました。
長男が風邪気味でしたので、
夜だけ家で寝るべく迎えに行きました。
キャンプ場は鞍馬山をさらに奥に行った所で、
鹿がトンビが鳴くような声でピーヨーと
鳴いていました。
キャンプ場について、子どもを探しましたが、
いくつもサイトがあり、
真っ暗で何も見えません。
でも、少しずつ闇に目が慣れると
少しずつ見えてきました。
あれ、これって何かに似てるなあ。
今の状況がそうかもしれません。
末っ子が病気になって、学校に行けなくなったとき、
自分たちのおかれている状況がわかりませんでした。
今少しずつ慣れてきて、
少しずつ見えてきました。
何でもそうなのかもしれません。
自分が今までいる状況が一変すると、
何も見えなくなり、
そして少しずつ見えてくる。
たまたま双子の1人が降りてきて、
子どもたちのいるサイトがわかりました。
うちの子が打ち合わせをしている間
焚き火で芋を焼きながら、
私は6年生の子と話をしていました。
A君は
「イジメに遭って、社会見学に行けなかった。」
B君(どうでもいいけどタッキー似)は
「前の学校はくさってるから、転校した。
男が7人しかいなくて、くさってた。」
と、言いました。
子どもはそれぞれ悩んでいるんだなあ、と思いました。
焚き火の火は不思議です。
いくら見ていても飽きません。
うちの子はみんな焚き火が大好きです。
長男が風邪気味でしたので、
夜だけ家で寝るべく迎えに行きました。
キャンプ場は鞍馬山をさらに奥に行った所で、
鹿がトンビが鳴くような声でピーヨーと
鳴いていました。
キャンプ場について、子どもを探しましたが、
いくつもサイトがあり、
真っ暗で何も見えません。
でも、少しずつ闇に目が慣れると
少しずつ見えてきました。
あれ、これって何かに似てるなあ。
今の状況がそうかもしれません。
末っ子が病気になって、学校に行けなくなったとき、
自分たちのおかれている状況がわかりませんでした。
今少しずつ慣れてきて、
少しずつ見えてきました。
何でもそうなのかもしれません。
自分が今までいる状況が一変すると、
何も見えなくなり、
そして少しずつ見えてくる。
たまたま双子の1人が降りてきて、
子どもたちのいるサイトがわかりました。
うちの子が打ち合わせをしている間
焚き火で芋を焼きながら、
私は6年生の子と話をしていました。
A君は
「イジメに遭って、社会見学に行けなかった。」
B君(どうでもいいけどタッキー似)は
「前の学校はくさってるから、転校した。
男が7人しかいなくて、くさってた。」
と、言いました。
子どもはそれぞれ悩んでいるんだなあ、と思いました。
焚き火の火は不思議です。
いくら見ていても飽きません。
うちの子はみんな焚き火が大好きです。
信楽焼
今日は地域の遠足で信楽に行きました。
朝が心配でしたが、子供は何とか起きることができました。
何とかバスに間に合いましたが,
頭が痛くて、なかよしの友達の隣も避けて
私の横に座りぐったりしておりました。
サービスエリアでもバスから降りず、
他の元気な子供たちとはやはり違うのだなと思いました。
でも信楽につく頃には、少しずつエンジンがかかってきて、
作陶に挑みました。
信楽といえば、狸の置物で有名です。
子供作
小鉢
私作
来年の干支
乾燥して、焼いて、12月に送られてくるそうです。
楽しみ!
そして、伊賀もくもくファームへ。
ここは養豚業者が集まって、手作りソーセージ販売をし、
作り方教室から始まって、レジャー施設になったところです。
だから、ここにトレードマークはブタ
ここでやっと友達と遊ぶ気力が出て、
いかだに乗ったり、
ブタの芸を見たり
ハンモックに寝たり、
目一杯遊びました。
いかだは、私を含め大人2人子供4人で乗ったのですが、
みんなてんでバラバラに漕ぐもんで、
ちっとも最初は進みませんでした。
ミニブタの芸を見て
「かわいい
」
とか、言ってたくせに
私はしっかりブタの肉やソーセージを買って帰りました
子供はバスで一番なかよしの友達の隣に
ずっとおしゃべりしながら帰って
楽しい1日となりました。
朝が心配でしたが、子供は何とか起きることができました。
何とかバスに間に合いましたが,
頭が痛くて、なかよしの友達の隣も避けて
私の横に座りぐったりしておりました。
サービスエリアでもバスから降りず、
他の元気な子供たちとはやはり違うのだなと思いました。
でも信楽につく頃には、少しずつエンジンがかかってきて、
作陶に挑みました。
信楽といえば、狸の置物で有名です。
子供作
小鉢
私作
来年の干支
乾燥して、焼いて、12月に送られてくるそうです。
楽しみ!
そして、伊賀もくもくファームへ。
ここは養豚業者が集まって、手作りソーセージ販売をし、
作り方教室から始まって、レジャー施設になったところです。
だから、ここにトレードマークはブタ

ここでやっと友達と遊ぶ気力が出て、
いかだに乗ったり、
ブタの芸を見たり
ハンモックに寝たり、
目一杯遊びました。
いかだは、私を含め大人2人子供4人で乗ったのですが、
みんなてんでバラバラに漕ぐもんで、
ちっとも最初は進みませんでした。
ミニブタの芸を見て
「かわいい
」とか、言ってたくせに
私はしっかりブタの肉やソーセージを買って帰りました

子供はバスで一番なかよしの友達の隣に

ずっとおしゃべりしながら帰って
楽しい1日となりました。
天寧寺
豊臣秀吉は京都の都市改造を行い
寺町通りにはたくさんお寺が集められました。
その寺町通りの北端に
曹洞宗天寧寺があります。
もともと会津若松にあったそうなのですが、
伊達政宗が会津侵入した際全焼。
京都に引越ししてきたそうです。
向うに見えるのが比叡山の秀峰
この山門越しに眺める比叡山は額縁のように見えるので、
額縁門とよばれます。
枳殻の生け垣
黄色い実がなっていました。
トゲがあるので、魔よけでしょうか?
本堂
鐘楼
いつもお庭の手入れが行き届いています。
観音堂には後水尾天皇の念持仏「十一面観音菩薩像」があるそうです。
のぞいてみましたが、よく見えませんでした。
また、江戸初期の茶人 金森宗和のお墓もこの寺にあります。
子供が《まちたんけん》で、お邪魔したときには
とてもご住職に歓待していただいたそうです。
しばらく「天寧寺
天寧寺
」と、言っていました。
大人になって初めて自分たちが恵まれた環境にいたことに
気づくのでしょうか。
寺町通りにはたくさんお寺が集められました。
その寺町通りの北端に
曹洞宗天寧寺があります。
もともと会津若松にあったそうなのですが、
伊達政宗が会津侵入した際全焼。
京都に引越ししてきたそうです。
向うに見えるのが比叡山の秀峰
この山門越しに眺める比叡山は額縁のように見えるので、
額縁門とよばれます。
枳殻の生け垣
黄色い実がなっていました。
トゲがあるので、魔よけでしょうか?
本堂
鐘楼
いつもお庭の手入れが行き届いています。
観音堂には後水尾天皇の念持仏「十一面観音菩薩像」があるそうです。
のぞいてみましたが、よく見えませんでした。
また、江戸初期の茶人 金森宗和のお墓もこの寺にあります。
子供が《まちたんけん》で、お邪魔したときには
とてもご住職に歓待していただいたそうです。
しばらく「天寧寺
天寧寺
」と、言っていました。大人になって初めて自分たちが恵まれた環境にいたことに
気づくのでしょうか。

