天寧寺
豊臣秀吉は京都の都市改造を行い
寺町通りにはたくさんお寺が集められました。
その寺町通りの北端に
曹洞宗天寧寺があります。
もともと会津若松にあったそうなのですが、
伊達政宗が会津侵入した際全焼。
京都に引越ししてきたそうです。
向うに見えるのが比叡山の秀峰
この山門越しに眺める比叡山は額縁のように見えるので、
額縁門とよばれます。
枳殻の生け垣
黄色い実がなっていました。
トゲがあるので、魔よけでしょうか?
本堂
鐘楼
いつもお庭の手入れが行き届いています。
観音堂には後水尾天皇の念持仏「十一面観音菩薩像」があるそうです。
のぞいてみましたが、よく見えませんでした。
また、江戸初期の茶人 金森宗和のお墓もこの寺にあります。
子供が《まちたんけん》で、お邪魔したときには
とてもご住職に歓待していただいたそうです。
しばらく「天寧寺
天寧寺
」と、言っていました。
大人になって初めて自分たちが恵まれた環境にいたことに
気づくのでしょうか。
寺町通りにはたくさんお寺が集められました。
その寺町通りの北端に
曹洞宗天寧寺があります。
もともと会津若松にあったそうなのですが、
伊達政宗が会津侵入した際全焼。
京都に引越ししてきたそうです。
向うに見えるのが比叡山の秀峰
この山門越しに眺める比叡山は額縁のように見えるので、
額縁門とよばれます。
枳殻の生け垣
黄色い実がなっていました。
トゲがあるので、魔よけでしょうか?
本堂
鐘楼
いつもお庭の手入れが行き届いています。
観音堂には後水尾天皇の念持仏「十一面観音菩薩像」があるそうです。
のぞいてみましたが、よく見えませんでした。
また、江戸初期の茶人 金森宗和のお墓もこの寺にあります。
子供が《まちたんけん》で、お邪魔したときには
とてもご住職に歓待していただいたそうです。
しばらく「天寧寺
天寧寺
」と、言っていました。大人になって初めて自分たちが恵まれた環境にいたことに
気づくのでしょうか。