想起と想像のよすがとしての言語 | ☆ 俺たちにはつきがある!☆彡

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  ~ The Moon is always with us ~

 

もしも言語が無かったら。

 

我々は流れては消えゆく世界表象を

繋ぎ止めることは困難だろう。

言語は想起のよすがであり、

また想像のよすがである。

また、その想像は新たな創造へとつながる。

言語は言わば、無常無我なるこの世界で、

世界をつなぎとめるための、また創造の為の

ツールであろうと言える。

いわば「創造の種子」なのだ。

(自我というペルソナの創造の種子でもある。

またそれが集まり、集合意識(時代の精神)を形成するのだ)

 

 

五大に皆響きあり。

 

ソースは既に与えられている。

我々がどうしようとも、感覚と意識を開けば、

動き出す世界がある。

世界は現れ出ている。

「何なんだこれは!」ここ、実は驚くとこ。

世界には存在の驚きだけがある。

 

それは密教的に言えば、

大日如来(根源)からの「加」である。

(加持の「加」で、「持」は我々がそれを受け取ること。)

 

「世界を自由に表象していいよ♪」

 

と、宇宙には情報が響き渡っており、

我々はそれを受けて自由に

意味付けすることが出来ている。

 

 

十界に言語を具す。

六塵(感覚や意識の対象)はことごとく文字なり。

 

と空海の言葉にある。

あらゆる生命が、その生命の生活様式に合わせて、

世界を解釈することが可能であるという事だ。

我々の目の前には、驚くべき世界が現れ出ている…。

 

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五大に皆響きあり

十界に言語を具す

六塵ことごとく文字なり

法身はこれ実相なり

 

・声字実相義 空海

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世界は仏の智慧の広がりである。

それは遍く世界に響き渡っている。

我々は与えられた情報を主観で自由にとらえることができ、

ゆえに、覚れば仏、迷えば凡夫である。

意識と感覚を開けばそこは動き出す世界。

世界は仏の姿そのものである。

 

(私の意訳)