AIに自我を持たせるには?4 ~AIは無意味な行為に耐えられるか?~ | ☆ 俺たちにはつきがある!☆彡

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  ~ The Moon is always with us ~

 

人は無意味な行為に耐えられない。(普通は)

 

生命、という有限性の中に生きている、

という自明の前提に内応しているから、(一般的には)

行動のプライオリティに順序がつく。

自分のエネルギーが有限であることを知っている。

 

まず、食べないと飢えて苦しく、

死んでしまうから、それを満たす事を

投げ捨てるような行為はしないだろう。

それを妨害されたり、粗末にされると

「怒り」を覚えるだろう。

 

また、我々は

この世界にがあることを知っているし、

体験したこともある。

 

だから我々は身をもって、

この世界に「価値づけ」することが

体感として可能だ。

 

つまり我々生命は、

絶対的にあるのではなく

あらゆる制約の下で存在している

相対的(関係的)な存在であるから、

意味の世界(関係世界)の住人でありうる。

(様々なスポーツが、ルールがあるから

成立している、「夢中」になれることにも

類推できるか)

 

この現象世界が、

創造性にプロセスを経る世界である、

という前提も重要で、つまり、

自分が時空間という制約がある世界に

ある、という事を知っていなければ、

プロセスを必要とする行為の

貴重性というものが理解できないだろう。

 

この世界の本質が、変化である、

ということへの自覚無自覚を問わない了解。

 

AIにもそれを可能にするには、、

AIにもその条件を仕込まなければならないだろう。

出来んのかは別として。。

 

 

人は無意味な行為に耐えられないのは、

自我が意味の世界に生きているから。

 

「右」の意味を説明するのに、

「左」といった起点を設定せねばならないように、

意味の世界は相対的である。

 

意味の世界は相対的であるから、

どのようにでも付与することができる。

 

故に有意味(有価値)であることを探すことができるし、

それは終わらないだろう。

意味の世界は可能無限の世界である。

その内実、裏を返せば世界に意味など無いのだ。

だからいくらでも付与できる。

 

 

人生のあらゆる行動は

自己が無常であるが故の自己創造行為である