生命の欲動(エロース)と豊かさの解放 | ☆ 俺たちにはつきがある!☆彡

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  ~ The Moon is always with us ~

 

我々は受精卵から胎児に成長する過程において、

確かに生命の進化の歴史をたどっている。

それは「地球の記憶」と言っていいかもしれない。

山水草木、花鳥風月、

我々は地球のすべてを抽象できているのだから。

 

あるお医者さんの話によると、我々は死の時、

呼吸は、魚類のそれに近くなるという。

もしかすると我々は死のゲートをくぐるとき、

進化を遡るのかもしれない?

 

 

我々人間の自我は、その

地球の生命の歴史の上に乗っかって、

そのうえで、地球体験ができる

ようになっている感じだろうか。

 

とはいっても、地球の記憶の

すべてを発動しているわけではなくて、

色々「持ち場」があるよね。

例えば男女という性差だ。

 

雌雄の性差が基本的なエロース(生命の力動)

になっているわけで、

これは自分の中で発動していない良さを

異性に見て、惹きつけられているのか。

 

つまりそれは既に自分の中にあるもので、

その「イデアへの憧憬」が、エロースなわけだ。

 

それは「豊かさ」への憧憬か。

豊かさの解放か。

 

この世界の醍醐味はやはり恋愛だと思うけど、

動物だったころの、オス・メスの特性を利用して、

惹きつけられるようにもなってんだろうと思う。

それを利用している。

俯瞰で、個というものはない視点で見ると、

とかく誰と誰がくっついても(別れても)いい

わけで、とかく縁でしかないとも思う。

 

 

ところで、自我がなければ恋愛もないのだろうか。

動物たちは何も考えてないのかもしれない。

これは恋愛か?

無我的な観点だと、、こんなこと言っては何だが、

誰でもOKなわけで、やっぱ縁でしかないと思う。

ある意味お見合いって、結構合理的な気もする。

まあ、引き合わせる人の私利私欲が入っていると

おかしなことになるけどね。無理が生じる。

上手く足りてないところを補い合えて、

一緒に前に進んでいけるカップルが

カップリングとしては合っていると言える。

 

 

生命が生の衝動に駆られる仕組みとして、

どうやって、そう突き動かされるのか、

考えてみると、

 

自分の中で発動していない良さを現象世界に見るなど、

自分の中で「気(情報)にしている」所を

現象世界にフォーカスして惹きつける感じか。

それはコンプレックスの場合も多々あるけど、

純粋にはイデアへの憧憬、

それがエロース(生の欲動)なのだろう。

そういう方法でしか惹きつけられない気がする。

 

 

もっと俯瞰で生態系を見れば、それは

足りないところを補い合うことで回る世界。

とも言えるだろうか。

ちょっと平和的すぎるだろうか。