そもそも「この世界に意味などない」、
という観点から世界を眺めることができれば、
どんな悲劇も「パロディ」として捉えることも
可能かもしれない。
実は生死の概念でさえも
人間がこさえたものである、と。
(私が実在しないのであれば、
そもそも生も死もない)
しかしそれは、その一歩引いた視点が、
絶対的に安心な場にある、
という確信の強さによると思う。
前回、悟りとは「縁起の法」を極めることだと書いた。
それは、すべては相対的であり、
すべてはこの縁起という関係世界の一項に過ぎない、
と看破することであるが、
しかしそれはまた、この智慧を得ると同時に、
自分がこの縁起世界の「恩寵の中」にある、
という確信(絶対的な安心感)が、
必要十分にあらねばならないと思う。
日本の仏教的に言うならば、
「絶対他力」を感じる強さである。
他力をしみじみと感じる感覚。
「生きているなあ。」という感じ。
わかりやすく言えば、
「自分が生かされている」
という確信の強さが、様々な不安を払いのける
ように思う。

