自我が滅して
自然世界そのものに溶け込む。
それは心身脱落にて
個から離れた寂々たる世界。
おそらくそれは涅槃寂静。
私は自分の外に悟りを探し、
知的に上手くまとめようという欲求に駆られていたが、
自分の外に悟りなどなかった。
言葉に悟りなんてなかった。
指月。
言葉なんて「想起のよすが」でしかなく、
「絞り粕」でしかないことは荘子もよく言っていた。
なのに忘れてたよ。
体験、体感こそがイデアなのだ。
瞑想瞑想座禅座禅!
無の境地、無我なるこころ、
自ら実践し体現するより他ない。
それしかないのである。
嗚呼、私落ち着きないから
座禅とか苦手なのよね。。
アーシングをして地球に力を貸してもらおう。
愛しい地球に。
言葉に頼りすぎていた。
分かりやすく説明したいという欲求は、
所詮「言語ゲーム」に過ぎない。
「明晰判明さを楽しむゲーム」なんだわ。
それに取りつかれていただけだわ。
備忘録や、他者への伝記としては
役に立つわけだが…
幸せの青い鳥じゃないが、
悟りの深淵なる月(真円)は自分の外ではなく、
自分そのものにあったのだ。
一即多多即一
我が滅しきれば万物斉同
万法に証せられ、
十方世界が我が全身であることを体感せよ。
縁起の世界を知れ
他力の世界を知れ
縁起を見るものは法を見る
法を見るものは縁起を見る
それは縁起の世界を身をもって体感する
ということだ。
涙が出るほどの体感。
自分を包み込む空間、相対する諸物、
すべてが私。
万法に証せらるる我、十方世界是全身、
道元が言うように、自分を包み込む世界、
すべてが、無関係でなく、
すべてはあらゆる縁あってあり、
また、その縁起の方向性は
一方的ではなく、相互関係、←→
お互いがお互いのよすがとなっており、
共創の世界で生きている。
お陰様の世界。
自分の背後にどれほどの、想像を絶する
ほどの縁起の集合体が結実としてあるのか、
一体どれほどの、どれほどの…
そのおかげ様の世界に思いを巡らし、
恵みの世界を少しでも感じることができれば、
小我が落ちる契機を得るのは、
少し易しくなるのかもしれない。
アーシングしているときの無我感を
どれだけ平時続けられるか。
それが悟りのポイントになろう。
それはスーパーサイヤ人状態を
常時保つほどの難しさが、
今の自分にはあるが、やるしかないよね。
それと、自力での自身の振動調性として、
毎日「般若心経」くらいは読経した方がいいだろう。
やめてしまっていたけど、
やれないときは「ピンチ」だと思った方がいい。
そしてアーシング。
地球に親しみを感じ、一体化する思いを感じて、
助けてもらおう。
自分にとってはこの方法が
我を落とす一番最適な方法である。
恵みを感じること、生かされている自分を
思い知ることが、すなわち我を落とすことになる。
そしてそれは自然で楽しい帰郷的体験。
ニャンコとの交流も無我になれるよね。

