劣等感は、自分を他者と比較することから生まれるのだろう。
ジェラシーもまた。
自分を他者と比較しない限り、劣等感は生まれようがないです。
なぜなら、そこに優劣を感じる「基準」が無いから。
犬や猫や花などが劣等感を感じていない(ように見える)のは、
自然に、ありのままに生きているからでしょう。
自分を他者と比較しない限り、劣等感は生まれようがないです。
なぜなら、そこに優劣を感じる「基準」が無いから。
犬や猫や花などが劣等感を感じていない(ように見える)のは、
自然に、ありのままに生きているからでしょう。
自己言及的な思考能力を持つ人間の場合、その人間が描く
私という自己像は常一定ではなく、
私という自己像は常一定ではなく、
無常であるから、(肉体もまた、ですが)
人間は私というアイデンティティに常に揺らぎを持っている。
アイデンティティが揺らぐと人は不安に駆られる。
人間は私というアイデンティティに常に揺らぎを持っている。
アイデンティティが揺らぐと人は不安に駆られる。
この揺らぐ自分という自己像の確認を、自己の肯定を、
自分自身の内的なものではなく、
自分自身の内的なものではなく、
対外的なものに基準にして行っていると、(頼ってしまうと)
(例えば他者との比較。これが筆頭。)
その人の心はいつも揺れ動き、永遠に安らぐことはない。
(例えば他者との比較。これが筆頭。)
その人の心はいつも揺れ動き、永遠に安らぐことはない。
比較するにしてもそれが対外的な何かではなく、
過去の自分自身や内的な理想であれば、焦りを感じるような、
ひどい劣等感は感じることはないように思います。
(生老病死の問題は仕方がないことなので諦念するしかありませんね。)
過去の自分自身や内的な理想であれば、焦りを感じるような、
ひどい劣等感は感じることはないように思います。
(生老病死の問題は仕方がないことなので諦念するしかありませんね。)
昨日の自分より今日の自分が優秀ならそれでいい。と考えたい。
比較するのは対外的な何かではなく、
比較するのは対外的な何かではなく、
自分の理想だけにしたい。
失敗体験もまた、次へのステップ、財産と考えたい。
そうすれば、不自然な劣等感にさいなまされることは
失敗体験もまた、次へのステップ、財産と考えたい。
そうすれば、不自然な劣等感にさいなまされることは
無いのではないでしょうか。
おそらく、大切なのは自分自身を愛する力なのだろう。
積極的には自己肯定力と言ってもいいでしょうか。
・・・しかし、人は誰も自分自身を愛する力を持って
おそらく、大切なのは自分自身を愛する力なのだろう。
積極的には自己肯定力と言ってもいいでしょうか。
・・・しかし、人は誰も自分自身を愛する力を持って
生まれてきてはいない。
問題は揺れ動く自分という自己像の確認に、
自分ではない、対外的な何かに基準にしてしまうということ。
・・・しかし多くの人は何かとの比較において
自分ではない、対外的な何かに基準にしてしまうということ。
・・・しかし多くの人は何かとの比較において
自分を評価されて育ってきているので仕方がない。
自分自身を愛することにみなためらいさえあるような気がします。
自分自身を愛することにみなためらいさえあるような気がします。
私というものは無常である。
ゆえに私という自己像は常に揺れ動いている。
ゆえに私という自己像は常に揺れ動いている。
さらに人はmortalである。
しかしながら、だからこそ向上もあるし、
堕落もある「可能存在」である。
それはまた自由という感じを持つための必要条件。
それはまた自由という感じを持つための必要条件。
<不安は自由の眩暈である。>
そしてコンプレックスは一つのエネルギーだろうと思います。
不完全であること、欠如感も持つということは、
エネルギーのポテンシャルがあるということ。
不完全であること、欠如感も持つということは、
エネルギーのポテンシャルがあるということ。
何もかもがそろっていて、充実していたならば、
あえてやる気は起こらないかもしれない。
私を生へと動かす原動力が減ってしまうかもしれない。
コンプレックスは一つのエネルギー。
コンプレックスは縮んだバネのようなエネルギーだ。
坂道の上の石ころは、不安定だけれども、
私を生へと動かす原動力が減ってしまうかもしれない。
コンプレックスは一つのエネルギー。
コンプレックスは縮んだバネのようなエネルギーだ。
坂道の上の石ころは、不安定だけれども、
だからこそエネルギーを持つ。
<助走がついたら、いらなくなったら、捨ててしまおう。>
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そして多様性を理解すること。
多様であるということ。例えば男女に分かれているということ。
言語が異なるということ。得意分野が違うということ。
「君にはこれを任せた。僕はこれをやろう。」
多様であるからこそ、世界はうまく機能するし、面白いということ。
それを確信すること。だから自分も自分らしく生きる。
多様であるということ。例えば男女に分かれているということ。
言語が異なるということ。得意分野が違うということ。
「君にはこれを任せた。僕はこれをやろう。」
多様であるからこそ、世界はうまく機能するし、面白いということ。
それを確信すること。だから自分も自分らしく生きる。
そして自分に与えられた文脈にそって淡々と生きる。無為自然に。
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※参考
●嫉妬/羨望
「嫉妬〔livor〕とは、他人の幸福をみると、そのために自分の幸福が
少しも妨害されているわけではないのに苦痛をおぼえるという性向であって、
それが燃え上がって実行〔他人の幸福を侵そうとする〕に至った場合には本格的嫉妬と呼ばれ、
そのほかの場合には単に羨望〔invidentia〕と名づけられるが、
ともかく、間接的に性の悪い心術である。
いいかえると、我々自身の幸福が他人の幸福によって光を奪われるのをみての不満である。
そういうことになるのは、われわれが幸福と比較して評価し、
この評価を具体化するすべを心得ているからである。」(人倫の形而上学)
少しも妨害されているわけではないのに苦痛をおぼえるという性向であって、
それが燃え上がって実行〔他人の幸福を侵そうとする〕に至った場合には本格的嫉妬と呼ばれ、
そのほかの場合には単に羨望〔invidentia〕と名づけられるが、
ともかく、間接的に性の悪い心術である。
いいかえると、我々自身の幸福が他人の幸福によって光を奪われるのをみての不満である。
そういうことになるのは、われわれが幸福と比較して評価し、
この評価を具体化するすべを心得ているからである。」(人倫の形而上学)
ttp://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/dw/kant.htm
からコピぺ。
からコピぺ。
