☆ 俺たちにはつきがある!☆彡

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  ~ The Moon is always with us ~

 
私はだだっ広い空間の中にいた。
何をしに来たのだろうか…。

 

…そうだ。
迎えに来たのだ。
あの時の自分を…。

 

 

私は「私」を探した。
薄暗い、どこまでも広い空間で、
私は私の勘だけを頼りに私を探した。
 

 

 

私はいた。
薄暗い、小さな部屋の隅に、
一人ぼっちで座っている背中を私は見つけた。
私はそれが自分だとすぐにわかった。

 

 

私は駆け寄り、声をかけようとした。

 

 

「…」

 

 

「彼」は震えていた。
薄暗い小さな部屋の隅で、
あまりきれいとは言えない格好をして、
小さく肩を震わせ、泣いているかのようにも見える。
まだ少年の私だろうか…。

 

 

 

「ねえ…」

 

 

 

私は彼の背中に手を伸ばした。
軽く肩に手を乗せようとしたのだ。
しかしその瞬間、彼はこちらを振り返り、
そして即座に「醜い顔をした獣」に変身し、
私に襲い掛かってきた。
 

 

 

「痛っ!」

 

 

鋭い痛みが左腕に走った。
彼、いや獣は、私の腕に噛みついて、
そのまま私を食らおうとしている…。

 

 

私は観念した。
というよりも、私はこれが目的でここに来た気がしたので、
そのまま食われることにしたのだ。

 

 

「お前の痛みに比べたら、こんな痛みは一瞬のことなんだろう?」

 

 

獣は私を食らった。
「私は私に食われた」のだ。

 

 

 

…私はまた広い空間にいた。
そう、私はまた会いに行かなくてはならない。
あの時の自分に。

 

 

 

私はまたあの場所に向かった。
薄暗い、小さなあの部屋の中へ…

 

 

そこに「私」はまたいた。
今度は私は、獣のままの姿で、ケロっとした姿で座っている。

 

 

そこにまた私が近づくと、
獣は物凄い形相に顔を変化させて、
また私に襲い掛かってきた。

 

 

私はまた食われた。

 

 

「こんな所にずっと一人ぼっちにしてごめんな。」

 

 

「つらかった思い、惨めな思い、無かった事のようにして、
 おまえひとりに押し付けてしまってごめんな。」

 

 

私は何度も彼に会いに行った。
そのたびに彼は私を食らう。
(…いや、「彼」ではない。彼は私なのだが。)

 

 

私は彼の気が済むまで、食われ続けることにした。

 

 

…もう何度目だろうか。
私は私に食われに私の場所に向かった時、
私は、獣の私が私を食らいながら泣いているのに気が付いた。

 

 

それに気づいて私も泣いた。

 

 

私は獣の私に食われながら、彼にしがみつき、
抱きしめようとして、泣きながら言った。

 

 

「もうお前の痛みは俺の痛みだから、
 もうお前だけの痛みじゃないから、
 もうこんな所に置いて行ったりはしないから、
 お前の痛みは俺の痛みだから…今まで本当にごめんな…」

 

 

その時、彼の私の、私を噛む力が少し緩んだ気がした。

 

 

「ごめんな、これからはずっと一緒だから。
 一人ぼっちになんかしないから。」

 

 

 

だだっ広い空間の中に、私はまたいる。
そう、また会いに行かなければ。
彼の私を、私は一人にしてはおけない。
彼は私なのだから。
彼の痛みは私の痛みなのだから。
 

 

 

 

「なぜこの宇宙は存在しているのか?」

 

この宇宙(時空)が存在している事実において、

ただ言えることといえば、

その宇宙がその存在形式において、

自己目的的に人間といったそれを表象(representation)する

生命の存在が可能であった、ということ、

ただそれだけでしかない。

(認識と存在は同値であるという前提において)

 

これを踏まえると、宇宙が存在することと、

(それを表象する、形成する)生命が存在することは同値であり、

生命の価値は言わば宇宙そのもの、という事が言える。

 

観測される宇宙の膨張は、 

その無数の存在者(諸物)による絶え間ない 

集合的な精神活動の外的顕現であり、

つまり時空の膨張とは、

意識そのものの増大なのである。

 

つまり、「この宇宙」というものが存在するのに、

(それを表象する)諸物は欠けることなく、

自己目的的に必要だった、ということである。

 

ともすると人は、承認欲求よろしく、

「自分の存在価値」、などというものついて

考えるものだが、前述の内容を踏まえると、

「宇宙と等価であるあなた」は、

わざわざそれをどこかかから探して

持って来る必要などないのである。

「宇宙と等価の価値があるあなたは」、

(むしろ価値という概念も必要ないのだが)

それこそ無駄に「自分には価値が無い」などと

自己卑下する必要はないのである。

 

つまり、諸物のすべてが、

この宇宙にとって必要なピースであり、

諸物のそのすべてが、

この宇宙の「共創者」であるということである。

 

 

 

「あなたと私の価値は宇宙と同等であり、

諸物のすべてはこの宇宙の共創者である。」

 

もし、そう確信することが出来れば、

ともすると起こりうる孤独感も癒され、

自分に自信を持つこともできるのではないだろうか。

(あなたは独りであっても一人ではないのである。)


愛とは、宇宙が宇宙自身を見つめる眼差しの事である。

 

「今」という時は、それを意識する主体と

独立に存在しない。

 

言わば、時間とは小我独自のフォーカスの事である。

逆に、虚空とは自我という起点を持たない(無我)ことにある。

小我を滅せばそこは虚空である。

永遠とは無時間性の事なのだ。

 

「一心の虚空はもとよりこのかた常住にして

不損不減なり。」

 

空海

 

「すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから」

 

宮沢賢治