我々諸法は、存在というよりも、
宇宙の中の関係性で生じた場の一つ一つ
と言った方がよいのかもしれない。
そしてその場が集まって
また大きな場を生じている。
あらゆる差異とその関係性によって生じる場。
その場の重なりと流動性が、世界なのか。
すべてが無常であり無我であるならば、
実体を持つものなど何も無く、
ゆえにそれらは存在、というよりも、
関係性により生じた「場」と言った方が、
適切かもしれない。
宇宙には関係性の網の目があるだけである。
時空とは差異(質量の)によって生じるが、
そこに彼我を感じなければ、
そこに距離は無いのである。
