第825回「ハンキー・ドリー」 | PSYCHO村上の全然新しくなゐ話

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発売より時間が経過したアルバム、シングル、DVD、楽曲等にスポットを当て、当時のアーティストを取り巻く環境や、時代背景、今だから見えてくる当時の様子などを交え、作品を再検証。

ハンキー・ドリー/デヴィッド・ボウイ

ヴィジュアル面でのグラム・ロックの確立。前作「世界を売った男」(1971年)のジャケットに登場するデヴィッド・ボウイの姿を見ると、70年代にロックが進むべき、ひとつの方向を示唆する重要作品だったと言える。

 

それはヴィジュアルだけでなく音楽性も同様である。アルバム「スペース・オデティ」(1969年)は、60年代末の時代性も大きく影響し、壮大且つロマンティックな色合いを内包する作品だった。

 

それに対し「世界を売った男」は、ギターのディストーション・サウンド、輪郭のはっきりしたギター・リフが大幅に取り入れられ、来たるべき70年代ハードロックの夜明けを感じさせる内容になっていた。

 

ボウイとセッション・ミュージシャンという関係性ではなく、バンドとして制作した点も「世界を売った男」の完成に大きく影響を与えたに違いない。本作「ハンキー・ドリー」(1971年)も引き続き、バンドとして制作したアルバムである。

 

デヴィッド・ボウイ(Vo)、ミック・ロンソン(g)、トレバー・ボルダー(b)、ミック・ウッドマンジー(ds)、そしてリック・ウェイクマン(Key)という顔ぶれだ。御承知のように、ロンソンは以降のボウイの活動における重要人物である。

 

ただし本作を語るうえで、リックの存在は見逃せない。制作の初期段階において、ボウイは書き溜めてあった曲をリックに聴かせ、即興的なピアノ・アレンジで味付けして行ったらしい。

 

このセッションの成果か1曲目を飾る「チェンジズ」は、ピアノ伴奏が骨組みとなるロック・ナンバーに仕上がっている。またボウイは音楽的な過渡期を迎えていたこともあり、本曲の歌詞はアーティストとしての決意表明とも映る。

 

ここから続く「ユー・プリティー・シングス」「8行詩」「火星の生活」は、すべて鍵盤アレンジが前に出た音作りに。「火星の生活」はストリングス・アレンジが壮大な楽曲でありつつ、歌詞はマスコミに対する皮肉らしい。

 

一方で「クークス」はアコースティック・ギターのストロークを軸とした楽曲。軽快でキャッチーなメロディが印象的だ。「流砂」もアコギ主体で、自らの無力さを綴った歌詞が、重さを感じさせる。

 

歌詞の内容に反し「フィル・ユア・ハート」は爽快なポップ・ナンバー。興味深いのは「アンディ・ウォーホル」「ボブ・ディランに捧げる歌」。どちらも実在の人物であり、ボウイ流のメッセージが込められたと解釈できる。

 

「クイーン・ビッチ」は、ある意味、前作の色合いを受け継ぐロック・ナンバー。締め括りとなる「ザ・ビューレイ・ブラザース」は、アコースティックな前半から、ストリングスが入り徐々に盛り上がって行く。

 

しかしながら、壮大と言うよりサイケデリックなムードが漂う。と言うのも、これは歌詞に起因すると思う。ボウイの実兄は事情により精神病院で生活していたことは知られているが、タイトルからして本曲の歌詞には、その人物の存在がよぎる。

 

ネットで本曲について検索すると「歌詞は兄を歌った内容」とはっきり書かれている記事がある一方、専門書を読むと「内容については明言されておらず謎のまま」という記述もある。何れにしても、聴き手の解釈に委ねられるはず。それが楽曲の謎めいた雰囲気を強くするのだが・・・。

 

リックとのセッションによって味付けされた影響か、全体的に演奏面は鍵盤を主体としたアレンジが多い。ボウイはリックにバンドへの正式加入の話を持ち掛けるが、最終的にはイエスへの加入を選択した。

 

特に、この時期のボウイのアルバムは、作品毎に音楽性が変わり、その進化が如実に表現されている。次回作「ジギー・スターダスト」(1972年)はグラム・ロックの名作として語られる作品であり、ボウイはひとつの頂点を極める事に。

 

本作「ハンキー・ドリー」について、前作「世界を売った男」と次作「ジギー・スターダスト」の中間のようなサウンドと言うのは安易であるものの、色のグラデーションの如く変化を繰り返し、次に繋がるための橋渡しとなったのは間違いない。

 

因みに、印象的なジャケットは元々モノクロで撮影された写真に、エアブラシとインクで色を着けたそう。それが水彩画のような独特の効果を生み出している。