誰も指摘しない疑問 | 遠隔気功操作 サイキック覚醒丹道周天法

遠隔気功操作 サイキック覚醒丹道周天法

背骨内部を気が通る丹道周天、クンダリニー覚醒を体験したCOSMIC SHAMANが、気功・仙道、神秘行に対する
考察を述べるブログです。

(前回の関連記事は「人間の本質とは何か 」です。) 

  誰も指摘しない疑問

劇団 「前回までの記事では鼻の気脈のルートを引き合いに、

   〈具体的な鼻のルートについて書かれている気功書はほとんど無い。〉

   〈仮に説明されていても、玉枕・あ門の位置のように流派によって
    用語自体も違っていたりする。〉

    という行法の現状を説明しながら、

    疑問に対する正しい答えを得るためには自身で検証することが必要。

    ということでしたね。」

CS 「ハイ、さらに自分で検証するためには、

    書かれている行法を試すだけの気のコントロール能力

    と
    
    気を感じ分ける能力

    が必要なのですが、

    気のパワーが弱すぎて、

    (気脈のルート上を何かがもぞもぞ動いているような気がします。)

    とか、

    (皮膚上をピリピリした感覚があります。)

    位では判定自体がなかなか難しいですね。」

劇団 「難しいですか?」

CS 「気のパワーが弱すぎて感覚自体がはっきりしないのに、

    2つの方法で気を流してどちらが正しいか?

    なんて判別できるはずが筈が無いですから。」

   「ただ、誤解して欲しくないのですが、

    (気脈のルート上を何かがもぞもぞ動いているような気がします。)

    とか、

    (皮膚上をピリピリした感覚があります。)

    という気感自体は別に悪いわけではありません。」

劇団 「それはちょっと混乱しますね。」

CS 「気功のような体感覚系の神秘行の基本原理とは、
     
    自分の身体の微細な感覚の変化に意識を向けること。

    なんです。」

   「(何となく)とか(○○な感じがする。)という

     微細な変化に意識を向けなければ体感覚は開きません。」

   「そして、体感覚が開かない人が超感覚を身につけるのは無理です。」

劇団 「じゃあ、よく気功の入門書なんかに気を感じるトレーニングとして、

    両手を数分摺り合わせてから、数センチ離して向かい合わせて
    ビリビリした感じを出す。



    という方法がありますがあれは正しいんでしょうか?」

CS 「確かに、仙道研究家 高藤聡一郎氏の著書では同様の行法が
    紹介されています。」


〈高藤聡一郎氏著 仙人になる法より〉

手足は気の出場所

気は、全身いたる所で感じられるが、やはり特に強く感じられる場所がある。

それは手のひらと足の裏である。

中でも、手のひらの感度は論ハッグンで、どんな人でもここから気が出ているの
を感じられる。

それもそのはずで、手のひらは昔から病気治療に用いられた場所である。

「手当て」という言葉は、手を当てて病気を治したことからきているし、未だに
手のひら療法で病気を治す先生もいる。


まず、両手のひらを合わせていただきたい。

そう、仏教の合掌のポーズである。

しかしそのままお経か何かを唱えても気は出て来ないので、三センチぐらい、
両手のひらを離してもらいたい。

この場合、指は外側へそらせないでやや内側へ曲げかげんにすること。

ちょうど両手のひらで何か包んでいるような形がよい。

くれぐれも、内側に向きかげんの両手の指先がくっつかないように。


劇団 「高藤氏が書いているくらいですから、この方法は正しいんですね。」

CS 「わたしから見ると、正しくもあり、間違ってもいます。」

劇団 「それはまた混乱する言い方ですね。」

CS 「考えて欲しいのですが、手の平の感覚化のトレーニングの説明として
    一般的に、

     手を摺り合わせることによって、掌から出る気のパワーが高まり
     気が感じやすくする。


    と書かれています。」

   「しかし、そもそも

   〈手を摺り合わせてビリビリした感覚が出た〉気の感覚

    というのは無理があるのではないでしょうか?」

   「それって、ただ単に皮膚が物理的刺激によってビリビリ感が
    出たとしか思えません。」

劇団 「うーん・・・。」

CS 「原理的にいえば、

    皮膚をつねって痛みが出る。

    という現象と同じです。」

   「それでも、

    〈皮膚をツネって痛みの感覚が出た〉=気の感覚

    とは言いませんよね。」

   「おそらく、脳と皮膚感覚を研究している科学者が見たら、

     手を摺り合わせてビリビリするのは、皮膚に与えられた刺激で
     発生した電気信号を脳が帯電感として感じているだけだよ。


    と説明するのでは無いでしょうか。」

劇団 「確かに言われてみればそうですよね。」

CS 「この事について誰も指摘しないのが昔から不思議でしょうが無かったです。」

劇団 「では、この行法は間違っているのでしょうか?」

CS 「見方によっては正しいと思います。」

   「確かに、手の平の労宮という経穴からは人によって強弱こそあれ気が出ているんです。」




CS 「ただ、普通一般の人間では感じる事が出来ない。」

   「ですから、皮膚刺激で多少なりとも手の平にビリビリ感を出すことで
    擬似的に気の感覚を生み出すんです。」

   「そして、そのビリビリ感に意識を向けるトレーニングを続けることによって
    皮膚の感覚を研ぎ澄ませていくんです。」

   「すると、いずれは手の平を摺り合わせなくても労宮から出る気のパワーを
    感じる事が出来るようになるわけです。」

劇団 「なるほど。」

CS 「これってワインのソムリエの訓練に似ていますよね。」

   「ワインの味覚を開くためには、最初は出来るだけ味の違うワイン
    飲み比べるんです。」

   「赤ワインと白ワインという感じで。」


CS 「そして、赤と白の味を感じ分けることが出来るようになったら、
    次は同じ赤ワインの中でもブドウ品種の異なるワイン
    飲み比べるんです。」

   「カベルネ・ソーヴィニヨン種とピノ・ノワール種のワインというように。」

   「そして、品種の違う赤ワインを感じ分けられる味覚が開かれたら、
    次は同じカベルネ・ソーヴィニヨン種の中で感じ分ける訓練を
    するんです。」



CS 「例えば、ボルドー産とチリ産のように違う産地のカベルネ・ソーヴィニヨン種を
    飲み較べます。」

   「その段階をマスターしたら、同じボルドー産でもワイナリ-(生産者)が違う
    ワインを較べてみる。」

   「さらに同じワイナリー(生産者)のワインでも年代が違うワインを飲み比べる。」

   「他にも、同じ生産者・年代のワインで格付け(等級)が異なるワインを
    飲み比べるなど、様々な方法があります。」

劇団 「要するにCSさんに言わせると、

    手の平を擦り合わせてビリビリ感を出す目的は

    ①普段の手の平の感覚

    


    ②摺り合わせた後の手の平の感覚

    の違いを生み出すことによって
    
    ①,②の違いを感じ分けるセンスを磨ことにあるんですね。」 
 
CS 「そう。」

   「そして、感覚が磨かれていけば、ソムリエが一口ワインを飲んだだけで
    そのワインの品種、産地、年代を感じ分けることが出来るように、



    その時々の手の平の気感を細かく感じ分ける能力が身につくわけです。」

劇団 「それでは、気の感覚を開くという目的から考えれば、あながち間違った方法
     では無いんですね。」

CS 「そう思います。」

劇団 「では、何が問題なんですか?」

CS 「それは、

    手の平を摺り合わせて熱感を高めると気のパワーが上がる。

    と考えている点です。」
      ↓

次に、目で両手をにらみ、手のひらに意識をかける。

しばらくやっていると、両手のひらの間に何かを感じるだろう。

さて、この実験で、ビリッと電気に触れた感じや軽い圧力感、風がスースー
動いてる感じ、磁界のようにフワーとした力が出ているような感じを得られた人はよい。

日常、あまり味わわない感覚なので、はっきり他のありふれた感覚と区別ができる。

だが一番困るのは、熱感しか感じない人である。

まさか、アイロンぐらい熱くなれ普通ではないことがわかるが、

ヨガも仙道もやったことのない人では、ここまで強烈な気を出せるわけがない。

そうなると、ただのポカポカした感じだけ。

これでは、気が出ているのかいないのかさっぱりわからない。

身の周りにはいつもこのくらい手のひらが暖かい人がいる。

そこで、こういう人は、どれだけ熱が出せるか、つまり、手のひらが熱くなるか試したらよい。

その熱さが意識を集中して出した時、普段とは比べられないくらい熱くなるなら、間違いなく
気が出ている。


CS 「↑の説明を読むと高藤氏は、手を摺り合わせて熱くなった事によって
    発生した気のパワーを意識の集中でさらに熱感が強くなれば本物と
    述べています。」

   「これにより、〈普段から手が温かい人⇒気が出ていない状態〉
    区別しようとしています。」

   「しかし、彼の説明の根底に、


     手の平を擦り合わせて熱くなる=強烈な気の発生

    
という考えがあることは確かです。」

劇団 「まぁ、そう言えるでしょうね。」


さらに次の段階の訓練は、指をもっと内側に向け、おにぎりでもにぎるような
手の型にしてもらいたい。

手のひらの距離は、6~8センチぐらい離してもらいたい。

いよいよ手のひらに何かを包んでいる感じがする。

両手のひらを逆方向に回転させながら、交叉する(もとの位杜から九十度)
位置までもってくる。

また回転させて戻す、という動作を繰り返す。



そうすると、どうだろう、何か得体の知れない気体が感じられてくるはずだ。

そしてこの両手のひらを、格好は、そのままで、どんどん離していく。

やがて、気体が感じられなくなった所まできたらまた戻る。

こうするとフワフワした気体が、風船のように伸び縮みすることがわかる。

ここでいっている気体こそ、あなたの手から出ている気である。

こんな訓練をやっていったい何の役に立つというかもしれないが、
とんでもない力が秘められているのだ。

拳法家の「気」を繰る訓練にも使われているし、手のひら療法の気を自由に
調節する訓練にも使われる。

中国の符兇使い(超能力者)は、これで神仏のお札の効力を確認したり、
妖怪の存在をキャッチしたりする。


劇団 「ボクも気功法や中国拳法で、両手の平でボールを包む形を作って
     気を練る功法を見たことがあります。」

   「あれって気を練るわけですから、気のパワーが高まるんじゃないですか?」

CS 「わたしから見るとあまり効果はないです。」

劇団 「えっ、そうなんですか?」

CS 「どう説明すればわかって貰えますかね・・・。」

   「そう、電球で考えればわかりますよ。」

劇団 「電球?」

CS 「電球ってワット数によって明るさが変わるじゃないですか。」

   「60Wと100Wの電球を較べると100Wの方が断然明るいです。」




  
劇団 「そりゃそうでしょうね。」

CS 「しかし、電球の明るさは違っても、その電球をつけている部屋で使える
    電気量が多くなったわけではありません」

劇団 「僕が住んでいる部屋のメインブレーカー200V、50Aと決まっています。」

CS 「電気の総量が決まっているから、電子レンジとIHヒーターを同時に使って
    ブレーカーが落ちたりするじゃないですか。」

   「手の平を摺り合わせて熱感を発生させたり、気のボールを練ったりするのは
    電球のワット数を変えるようなもので、光の強さ(気のパワー)が強くなった
    ように感じますが、

    部屋自体が扱える電気の総量(修行者のパワーの総量)大きくなった
    わけじゃないんです。
」 

劇団 「なるほど。」

    「その原理を理解していないと、手の平を摺り合わせて熱感が強くなったり、
     気のボールを練って物質感が増したことで

    〈オレの気のパワーは上がっている。〉

    と勘違いして、そこで本質的な行の進歩は止まってしまうわけですね。」

CS 「ですから、
わたしから見ると、正しくもあり、間違ってもいるわけです。」

   「まぁ、本人が満足してればそれでいいわけですし、ヘタに口を出すとかえって
    恨まれたりしますから、わたしはそういう人を見ても黙っています。」

劇団 「気功をしている人たちって、みんな気功書に書かれている内容や
     そのまま信じて行を続けていますよね。」

CS 「この問題については高藤聡一郎氏も理解していたようで、
    ↓のように補足しています。」

かといって、あなたが、この気を感じたからといって、すぐ拳法の達人や超能力者に
なれるわけではない。

そこまでいくには、呼吸法によって下腹を鍛えたり、意識を集中させるための
精神統一をしたりして気の強化を計らなくてはならない。

そうしないと、ほとんど何の力もない。


劇団 「じゃあ、呼吸法で下腹部を鍛えて、意識を集中すればいいんですね。」

CS 「いえ、そうすると、今度は下腹部の精のエネルギーのみ強化されてしまい
    熱感が発生して肉体は元気になりますが、

    神秘体験や超感覚を開くのに必要な(神)のエネルギーが全く発生しない
    キン肉マンタイプになってしまう可能性大です。」

劇団 「次から次へと問題が出て来ますね。」

CS 「まさに伏魔殿というか、神秘行を実践して行が進めば進むほど、その先には
    様々な罠が張り巡らされていて、袋小路に嵌まって苦しみ悩むことになるんです。」

   「言い換えれば、そのプロセスが神秘行なんです。」



CS 「わたしが神秘行に取り憑かれた人達を見ていると、

    この人達は実は苦しみを求めて神秘行をしているんじゃないかな?

    と感じることが多々あります。」

劇団 「前回の記事にもあった、〈人間の本質は苦しみ〉ですね。」

CS 「もちろん、神秘行で生活がよくなったり、能力が開いて人生楽しくなる人も
    いるのですが、
 
    逆に神秘行を志したせいで、却って人生が悲惨になったり苦しみが増す
    人もいるわけで、

    その違いがどこから生じるのか?

    興味は尽きないです。」



※次回の記事更新日は4月1日になります。



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