杯の1(左:マルセイユタロット、右:ウェイト版タロット)↓

さて前回までは、タロットに描かれた“聖杯”の要点は「限りなく生命の水が溢れる器、杯」ということであり、
それを思わせるアイテムが、キリスト教以前の世界各地の神話の中に存在する、という話でした。
世界各地の神話に類似アイテムが存在するということは、
「人類共通の記憶の奥底」にそれが存在するということです。
では一体、何の記憶なのでしょうか?
そういうアイテム(以下“聖杯”と呼びます)が、
遥か古代には現実に存在したのか?
人類共通の単なる願望なのか?
あるいは、何かの「象徴」なのか?
それは分かりません。
ただ“聖杯”が、タロットの中の重要アイテムとして描かれているということは、
タロット探求者としては、それを「象徴」として受け止めるべきでしょう。
何故ならタロットは、「古代からの“霊的伝統”を象徴で伝えるツール」だからです。
(実は「占い」が第一目的ではなかったのです)
そして「霊的伝統を伝える」ということは、「歴史では伝えられないこと」を伝え、
また「宇宙と人間についての真理」や「人間の内的な可能性」を伝えるものでもあります。
なので私は、この“聖杯”という象徴の意味を、あくまでも「真理」の一端として、
また何より「内的な体験」として探求したいと思っています。
それが私の“聖杯探求”の姿勢です。
映画や物語のように、外の世界に聖杯を求めて奪い合い、
武器を手にチャンチャンバラバラやるのではなく(笑)、
(アレも憧れますけどねっ(*^▽^*))
ただ万人の“内なる聖杯”を自ら体験すべく探求する・・・
どちらも“浪漫”には違いありませんっヽ(*>ω<)人(>ω<*)ノ
さて、次回はようやく結論です。取り敢えず、
これまでの「内的体験」と「研究」から思っているところを述べてみます♪
「聖杯探求 その4」へ続く