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とある占い師のノート

恋愛、結婚、家庭、人間関係、仕事、経済、社会、健康、心理、霊性 ・・・ 日々ご相談を受けさせていただく中で考えたことを綴るノート。それと日記。


自分の中の怖れが、そういう波動の現象を引き寄せてしまったら、

何より、落ち着くことが大事。

怖れという感情と、そういう現象との悪循環だけは絶対に避ける。

落ち着けば、必ず、必ず良い案が浮かんだり、

必要な情報が入ったり、援助者が現れたりする。

安心は安心の現象を引き寄せる。

大丈夫。



さて、良い心境や浄化を進める意図をもって色々やれば、実際にそのようになっていきます

が、そうなると必ず、心の奥底の負の感情も浮いてきます。


良い心境でいたいのに、心の奥がモヤモヤして仕方がない

そういうときは、そのモヤモヤを正直に書き出すのが一番早いです。

それは、過去の記憶にある傷が疼いているのです。


そして、こういう感情こういう怖れがあったんだな・・・

はっきり自覚することで、スッと心が楽になります。

簡単には楽にならず、強い感情が湧いたらスッキリするまで感情を味わい、表現するのもいい。

(それでも治まらない疼きには、多少なりとも専門的なケアが必要です)


愛をもって痛みを受け入れることで、過去の自分が浄化される。

この過去の傷の癒しと浄化天に祈るのもいい。そしてまた、委ねる

祈ればやってくる癒しのエネルギー素直に受け入れて瞑想する)


もう楽になっているのに、完全主義になって、しつこく掘り下げる必要はないです。

そうすると、今度は無い苦痛をわざわざ作り出すことになってしまいます。


あくまでも肯定的な方向を向いているのが基本です。

“今ここ”を信頼して委ねる。

肯定的なことに焦点を当てる。

自ずから生じる感謝に身を任せる。

良い心境になれることをする。

などなど。


そうやって少しずつ、“心の波動”は良くなっていきます



感謝が大事」と言われるけど、それは一般的に、

道徳的でありなさい。そうでないと罰が当たりますよ」というニュアンスで語られることが多いかな?

でも、感謝の真実は、そんなつまらないことではない。それって感謝じゃなくて「怖れ」ですよね(笑)


本当の“感謝”は、宇宙に限りなく溢れている“愛”を「受け入れました」という宣言です。

身の回りを正しく見ると、数え切れないほどの「恩恵」が溢れています。

それに気づいていくことで、自然に「感謝」と呼ばれる感性が目を覚まし、

それと共に世界が、本来の美しく輝いた姿を開示してくれます。

内側からは、とても純粋で清らかな、白い光が溢れてきます。


さらにその喜びへの感謝を深めていくと、やがて、

無限に広がる光の海身体が溶け去っていく至福が訪れます。


感謝って、呼吸のようなもの。

自分の心と宇宙の心との光の呼吸。

その呼吸はやがて光の大海のように広がり、一つになる。



その内に、現実にも何かしらの“奇跡”が現れてきます。

というか、その前に“今ここに在る”ということが奇跡そのものになってます。


それが感謝の真実。その入り口

その先に、さらなる可能性を感じています。



記事「感謝の真実 その2」



“占い and カウンセリング”は、「来談者の運命と魂をケアする」という責任の重い仕事だと思っています。

で、そこは、普通の“占い”だって、そうじゃないのかな?

なので、この業界にも、本当は倫理綱領みたいなのがいるんじゃないかと思っています。


「見えないこと」を扱うのをいいことに、やりたい放題だったらあまりにも無責任。


取り敢えず、自分が追究している“占い and カウンセリング”については作ろうか・・・

読むことで、心境を高めることができるような文章ができるといいな。



「手放すための秘訣」 ガイ・フィンリー




人生は、私たちが「手放したくない」と思っているものよりも、

ずっと良いものを与えようとしてくれている。

これが分かったら、怖れでジタバタすることがなくなるでしょうね(笑)


怖れでジタバタすれば、良いものは流れて来ないし、逆に怖れを実現する方向に向かいます。


人生は本来快適なもので、自然に良いものを提供しようとしてくれている、

ということを受け入れることができれば、心は平安になり、

一見何かが失われるように見えても、その向こうに生まれつつある“肯定的なもの”に気づくことができる。


ずっと広い視野で人生を見渡し、快適に“流れる”ことができるようになるでしょうね。

“流れ”を信頼しているが故に、“流れ”を読み“流れ”に乗ることができる。


サーフィンみたいですね♪


これから本当に求められることは、こういった“智慧”なのかも知れません。