聖杯探求 その3 | とある占い師のノート

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杯の1(左:マルセイユタロット、右:ウェイト版タロット)↓

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さて前回までは、タロットに描かれた“聖杯”の要点「限りなく生命の水が溢れる器、杯」ということであり、

それを思わせるアイテムが、キリスト教以前の世界各地の神話の中に存在する、という話でした。

世界各地の神話に類似アイテムが存在するということは、

「人類共通の記憶の奥底」にそれが存在するということです。


では一体、何の記憶なのでしょうか?

そういうアイテム(以下“聖杯”と呼びます)が、

遥か古代には現実に存在したのか? 

人類共通の単なる願望なのか?

あるいは、何かの「象徴」なのか?


それは分かりません。


ただ“聖杯”が、タロットの中の重要アイテムとして描かれているということは、

タロット探求者としては、それを「象徴」として受け止めるべきでしょう。

何故ならタロットは、「古代からの“霊的伝統”を象徴で伝えるツール」だからです。

(実は「占い」が第一目的ではなかったのです)


そして「霊的伝統を伝える」ということは、「歴史では伝えられないこと」を伝え

また「宇宙と人間についての真理」や「人間の内的な可能性」を伝えるものでもあります。


なので私は、この“聖杯”という象徴の意味を、あくまでも「真理」の一端として、

また何より「内的な体験」として探求したいと思っています。

それが私の“聖杯探求”の姿勢です。


映画や物語のように、外の世界に聖杯を求めて奪い合い、

武器を手にチャンチャンバラバラやるのではなく(笑)、

(アレも憧れますけどねっ(*^▽^*))

ただ万人の“内なる聖杯”を自ら体験すべく探求する・・・



どちらも“浪漫”には違いありませんっヽ(*>ω<)人(>ω<*)ノ



さて、次回はようやく結論です。取り敢えず、

これまでの「内的体験」「研究」から思っているところを述べてみます♪



「聖杯探求 その4」へ続く