「性依存」や「セックス依存」って病気はない。現場では時々そういう言葉が使われることは確かだけど。
性依存≠依存症
性依存≠強迫性障害
まず「ギャンブル依存症」や「薬物依存症」などのような依存症は、脳が損傷される。ひたすら「その刺激」を受けるために単純な活動を行うことができても、計画的に生活することができなくなる。いわゆる「性依存」と言われるものは、かなり細心に人間関係のメンテナンスが必要とされることが多い。そもそも性行為の相手を獲得するためにも、相当な計画性が必要なのでしょう。
一方、ギャンブル依存症や薬物依存は危険やリスクを省みず、ギャンブルをするために、薬物を手に入れるために、あらゆる犠牲を払い続ける。こんな感じに単純な行動パターンになる。
また、性依存はないけど、それは「強迫的性的行為」と置き換えする話も見かけたけど。
「強迫性障害に失礼だ」という気持ちになる。
強迫性障害を抱えている人たちにとって、それらの行為は「苦痛」を伴うもの。
繰り返されること「繰りかえ手洗い」や「繰り替え確認行為」など、やってる本人はちっとも楽しくないものでしょう。症状が軽いうちはまだ、やり遂げたあとに「ホッ」と仮りそめの安心感を覚える瞬間もあるけど、重ければ重いほど「やり遂げる」瞬間は永遠に訪れない。
強迫行為は、内心の不安、怒り、悲しみなど感情をなでおろす手段。この行為自体に意味がないことがほとんど。そもそも長年強迫性障害を患ったら、患者さん自身も「そんなことを繰り返しても、意味がないって自分も分かってるけど」になる。
人はみんなそれぞれ、自分の内面情緒を処理する方法を持ってるけど。強迫性障害の人たちは、もともとの真面目な性格からか、幼少期の厳しい躾からか、「規律のある行動」で処理する癖がついた。
俗に言う「性依存」は違う。あとになって自分の行動を語れば無感動になるけど、その時の感覚が蘇って相手と関わる前にドキドキ・ワクワクな気持ちが見られる。2つの可能性がある
1、躁状態
イチ心理士として、個人の観点を言えば、こういうタイプの裏切りは「許す」価値がある。ひどい躁状態になると、とにかくいろんなありえない行動を取ろうとする。あてもないのに、宝くじをやる。ギャンブルもする。お金がないのに、マンションや高級車を購入する。意味もないのに引っ越ししようとする。そして、誰でもいいのでひたすら性行為を楽しむ。躁状態になっている間、これらの行動はすべてハッピーな気分になる。
何が許せるかというと、性行為の相手に対してそれほど特別な愛着を持っていない。割と誰でもいい。相手も別に固定しようともしない。躁状態が去ってから、自分もなぜそんなことをしたがってたのか、自分もよく分からない。
更にいうと、躁状態は「自分自身がなくなり、自分が世界そのものになる」状態とも言える。うまく説明できないかもしれないけど。自分は自分でありながら、アメリカ大統領の気分でもあれば、織田信長の気分でもある。(これはまた統合失調症の妄想とはやや違う)
2、関係性の病気
一方、人間関係を細心にメンテナンスして、隠蔽などを計画的に行うのは、関係性の病気である。摂食障害などと同じ、これは関係性の病気であり、性行為を通じて、関係性の何かの満足感を得ようとしている。また、性行為は一番簡単でストレートで関係性を満たす方法である。その根源には、過去のトラウマや幼少期の家庭環境に関わる。
食欲で例えればこうなる。
お腹が空いてから、繊細にレシピを考えて、スーパーで食材を丁寧に選び、帰ってから手の混んだ料理をして、量が少なくても、味をじっくり味わう。これが回りくどいけど、長期的に健康的な食事生活。
一方、お腹が空いたら、走って家の近くのコンビニに駆け込んで、割引の弁当を大量にかって、ひたすら口の中に詰め込むのは、簡単でストレートで食欲を満たす方法。乱暴ではあるけど、単純明快、健康には悪いが。
人間関係もそう。
誰もが寂しい存在で、みんな何らかの形で人間関係を求めているが、職場で同僚が働きやすいように配慮したり、後輩には丁寧に教えたり、困った仲間がいたら親切に助けたり、子供を心配しながら否定せずに見守ったりなど、こういうのが回りくどいぐらい人間関係を満たしてるけど、長期的に精神面の健康につながる。
逆に、セックスするのが一番簡単でストレートで関係性の欲求を満たす方法。
確かに可愛そうな部分もあるけど、パートナーとして付き合いし続けていくと、こっちまで心神耗弱してしまう可能性が大きい。パーソナリティをよくするには、長年の忍耐強い努力が必要でしょう。
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