「おためごかし」という言葉


ふとした折に思い出す言葉のひとつに、「おためごかし(御為ごかし)」というものがあります。
日常であまり耳にする機会は多くないかもしれません。意味をごく簡単に言えば、
表面上は相手のためを装いながら、実際には自分の利益や都合を優先している
といった振る舞いを指す言葉です。

たとえば、お店の店員さんが商品を勧めるときに、本当は売上を上げたいのに「お客様のためですよ」と口にする——そんな場面は、比較的イメージしやすい例かもしれません。こうしたケースでは、勧める側もどこかで「自分の利益のためでもある」と薄々わかっていることが多いものですし、お客さんの方でもリップサービス程度と理解してることでしょう。


問題は「無意識のおためごかし」

ただ、精神科の臨床の場で私が考えさせられるのは、もう少し厄介な種類のものです。

それは、本人が心から「相手のため」と信じているケースです。

悪意があるわけではありません。むしろ純粋な善意で行われている。けれども、その行為の背景に、
自分の価値観を通したい、自分が安心したい、自分の不安を解消したい——そうした、本人も気づいていない自己都合が、そっと紛れ込んでいることがあります。

この「無意識のおためごかし」は、本人に自覚がないぶん、周囲から指摘されても「そんなつもりはない」と受け取られがちです。そこが、この問題のむずかしいところだと感じています。

親子関係のなかで

こうした構造がとりわけ根を下ろしやすいのが、親子関係です。

「あなたのためを思って言っているのよ」
「あなたの将来のためなんだから」
「親として当然でしょう」

もちろん、その多くは本当に子どもを思う気持ちから出た言葉でしょう。けれども、その言葉の裏側に、親自身の価値観や不安、期待といったものが混じり込み、結果として子どもの気持ちが置き去りにされてしまう——そういう場面も、残念ながら少なくありません。
長い年月のなかでこうしたやりとりが積み重なると、子どもの側には
「自分の人生を、自分のものとして扱ってもらえなかった」
という感覚が、静かに澱のように残っていきます。大人になってから親との関係に強い葛藤を抱え、外来にたどり着く方も少なくありません。(但し、このような悩みの方は当院よりはカウンセリングを受けられる医療機関が的確だと思います。)


近年「毒親」という言葉が広く使われるようになりました。その背景にも、こうした構造への痛みが反映されているのかもしれない——と、話を聞きながら感じることがあります。


「あなたのため」という言葉

臨床を続けていてしみじみ思うのは、
「あなたのため」という言葉ほど、慎重に使うべき言葉はないということです。

私たちはみな、自分の価値観や経験というレンズを通して世界を見ています。そのため、自分が「相手のためになる」と信じていることが、相手にとっても同じ意味を持つとは限りません。
むしろ受け取る側にとっては、重圧になったり、支配のように感じられたり、ときに自尊心を傷つけられる言葉になってしまうこともあるのです。

自分の口から出る言葉は、所詮どこかで自分の利益に沿うようにできている——そのくらいに意識しておくのが、案外ちょうどいいのかもしれません。


善意が人を縛ることもある

善意は、人を支える大きな力になります。けれど同じ善意が、ときに人を縛る糸にもなる。その両面を、臨床の場では何度も目にしてきました。

本当に相手のためを思うのであれば、
「これは、本当に相手のためなのだろうか」
「ただ自分が安心したいだけではないだろうか」
と、ときどき立ち止まって自分に問い直してみる

そんな余白があってもいいのではないかと思います。
私自身、診察室で患者さんと向き合いながら、同じ問いを何度も自分に投げかけています。

相手の人生は、最終的には相手自身のものです。

その当たり前のことを忘れないでいることが、人と人との関係を健やかに保つうえで、案外いちばん難しく、いちばん大切なことなのかもしれません。

心の不調と、精神科の役割について


最近の外来で、20〜30代の女性の方から、こんなご相談を受けることが増えています。
気分が落ち込む・涙が止まらない・イライラしてしまう・人間関係がつらい

すでにレディースクリニックでPMS(月経前症候群)と診断され、低用量ピルなどで治療中の方もいらっしゃいます。

「どうしたらいいのか分からない」という思いで来られる方がとても多く、そのつらさは本当によく伝わってきます。


気持ちが揺れるのは、決して弱さではありません

気分の変化は、脳や体の状態だけで決まるわけではありません。
仕事のプレッシャー、人間関係、恋愛、家族との関係、睡眠不足、月経周期——さまざまな要因が重なって、心は影響を受けます。

特に20〜30代は、環境や役割が大きく変わる時期。気持ちが揺れやすくなること自体は、珍しいことでも、おかしいことでもないのです。


精神科でできること

精神科では、抑うつ状態・不安・不眠・気分の不安定さなどを診察し、必要に応じて薬物療法や生活面でのアドバイスを行います。
薬によって症状が大きく改善し、「受診して楽になった」と言っていただけることも少なくありません。


精神科だけでは、解決できないこともあります

一方で、外来でお話を聞いていると、職場の人間関係・恋愛の悩み・家族との葛藤・過去の体験など、生活の中にある問題が深く影響しているケースも多くあります。
こうした問題はとても大切なものですが、薬だけで解決できるものではありません。
精神科は「人生のすべての問題を解決する場所」ではなく、心の不調を医療の面から支える場所です。


心のケアは、さまざまな面から

状態を整えていくためには、さまざまなサポートが力を合わせることが大切です。
たとえば、婦人科でのPMS治療、カウンセリング、生活習慣の見直し、職場環境の調整、周囲の理解やサポート——精神科は、その中のひとつの役割(主に薬物療法)を担います。
医療だけにすべてを任せるのではなく、生活全体を少しずつ整えていく視点が、回復への近道になることが多いです。


回復に向けて、一緒に取り組むということ

診察の中では、投薬だけでなく、睡眠の改善(寝る前のスマホ控え)やお酒の量を見直すこと、軽い運動を取り入れるなど生活面でのアドバイスをお伝えすることがあります。
こうしたことは「言われなくても分かっている」と感じる方も多いと思います。
でも、「分かっていること」と「できること」は、必ずしも同じではありません。
大切なのは、完璧にこなすことではなく、「やってみよう」という気持ちで、少しずつ試してみることです。
うまくいかない日があっても、それを一緒に考えるのが診察の場でもあります。

反対に、「どうせ無理」「それができないから来ているのに」という気持ちが強い状態では、どんな治療も効果が出にくくなってしまうことがあります。これは患者さんのせいではなく、そういう気持ちになってしまうこと自体が、心の不調の一部でもあります。
だからこそ、「難しいと感じている」ということも、ぜひ診察の中で正直に話してください。そこから一緒に考えていくことができます。


「うまく付き合っていく」という選択肢

心の問題は、薬を飲めば必ず完全に治る、というものばかりではありません。
でも——自分の状態を理解すること、環境を少し整えること、必要な医療を受けること——この積み重ねで、状態が安定していくことは確かにあります。
精神科は、その過程にそっと寄り添いながら、あなたの生活を支えるお手伝いができればと考えています。

病院に通っていて違和感や不満を感じた場合、通いやすい範囲で転院を検討すること自体は特別なことではありません。実際、過去のブログでもそのようにお伝えしてきました。


ただし、精神科で転院を考える際にはいくつか注意しておきたい点があります。


別の所から当院への転院理由としてたまに聞かれるのが「前の先生と合わない」というものです。実際にお話を伺うと、確かに前の医師の対応に問題があったのだろうと思えるケースや、単純に相性や医療機関の診療スタイルと合わなかったのだろうと納得できるケースもあります。(例えば担当医が行くたびにかわる、予約時間に行ってもかなり待たされるなど)


とは言えども合うか合わないかも知れない当方を受診をしようと決心したのもよっぽどの事があったのでしょう。


一方で、患者さんが医療機関に求めているもの自体が、医療の役割とは少しずれている場合もあります。例えば….


・眠れないので先生にもっときつい薬を出してほしいと頼んだのに出してくれない。(既に多剤で容量も多くでてる場合) 

 もしくは希望した薬を出してくれない

・診断書を希望通りの内容で書いてくれなかった。

といった理由です。こうしたケースでは、必ずしも前の医師の対応が悪かったとは言えない場合もあります。


精神科に通っている以上、医師には親身に話を聞いてほしいという気持ちは当然あると思います。しかし、「親身になること」と「患者さんの言いなりになること」は別の話です。医学的に適切でない、むしろ患者さんに不利益と判断した場合、患者さんの希望であっても薬を増やさないことや、希望通りの診断書を書かないことはあり得ます。


当院でも、医学的に適切でない投薬であったり、診断書の内容として妥当ではないと判断した場合には、患者さんの希望であってもお断りすることがあります。


よく誤解されている点がありますが、医師は患者さんから診断書を求められた場合、発行自体を正当な理由なく拒むことはできません。しかし、その内容を患者さんの希望通りに書く義務はありません。診断書の内容は、あくまで医師の医学的判断に基づいて作成されるものです。

医療機関に求める役割を誤解していると、自分の希望通りの対応をしてくれる医療機関を探して、病院を次々と変えてしまうことがあります。いわゆる「ドクターショッピング」です。(遠方からのお問い合わせにそのようなケースが多いような気がします。)


もちろん、1〜2か所で合わない医師に当たることは誰にでもあり得ます。しかし、3か所、4か所と続けて「すべての医師が悪かった」という状況は、実際にはそれほど多くありません。その場合には、医療機関に対してどのような対応を期待しているのか、一度立ち止まって考えてみることも大切かもしれません。


精神科医療は、患者さんの希望をただ叶える場所ではなく、医学的な判断に基づいて最善と思われる治療を一緒に考えていく場です。


ここまで読んで、少し上から目線に感じられた方もいらっしゃるかもしれません。ただ、転院というのは、新しい医療機関を探し、初診の予約を取り、これまでの経緯をまた一から説明し直す——想像以上に時間も気力も要るものです。だからこそ、その大きなエネルギーを使う前に、自分が医療機関に求めているものは何なのか?そしてそれは妥当なものか一度整理してみる時間も大切ではないかと思い、あえてお伝えしました。


転院を考える際には、その点も少し頭に置いておいていただければと思います。