通院精神療法の改定が意味するもの

今回は制度的なもので少し難しい話題かもしれませんがあえてここに出させていただきます。

2年に一度の診療報酬改定は、国がこれからの医療のあり方を示す機会でもありますが、今回(2026年)の改定では、精神科医療に大きな変化がありました。

精神科クリニックの収益の柱である通院精神療法について、精神保健指定医(以下、指定医)でない医師が算定する場合、点数が約4割引き下げられたのです。(いくつか除外要件がありますが、ここでは割愛します)

これまで5分以上30分未満の精神療法では、指定医と非指定医の点数差はごくわずかでした。それが今年6月以降、指定医はほぼ据え置きである一方、非指定医は大幅な減額となります。

多くの有識者は、これを企業型クリニックへの牽制と見ています。

精神科医療は「話を聞いて薬を出すだけ」というイメージを持たれやすく、特別なトレーニングを積んでいなくてもこなせるように見える領域でもあります。実際、指定医にこだわらず他科の医師をアルバイトで雇用し、大規模展開で収益を上げてきた企業型クリニックも目につくようになっていました。今回の改定は、そこに一定の線引きを入れたのだと見る向きがあります。

そしてその線引きを、国は「指定医かどうか」で行いました。

精神科医の代表的な資格には、指定医と専門医があります。管轄が異なり、指定医は厚生労働省、専門医は日本専門医機構です。医師は免許取得後、まず2年間のスーパーローテート研修で各科を回ります。その後、多くは専攻科を決めて3年以上の研修を積み、専門医を取得する者も多いです。

指定医についても、3年以上の精神科研修を経たうえで、集中講座を受講し、自身が担当した5分野以上の症例レポートを提出、口頭試問を通過して取得に至ります。




指定医という線引きをどう受け止めるか


私自身は指定医と専門医、両方の資格を持っています。
専門医は薬物療法や心理療法の知識を問う資格であり、
指定医は非自発的入院や隔離・拘束など、行動制限に関する法的知識と人権意識を問う資格です。

性格の異なる二つの資格であり、外来診療に限れば、専門医だけでも十分とも考えられます。

ただ、指定医の取得過程で経験する症例には特別な意味があります。レポートに書くケースの多くは、外来で対応しきれなくなった入院患者です。薬物依存をはじめ、外来がうまくいかなかった末に入院に至った人たちもいます。
 表現が悪くて恐れ入りますが、いうなれば、外来診療の「なれの果て」を経験することになります。これは外来診療を行ううえで貴重な経験であり、薬を処方することの責任の重さを身をもって知ることになります。(患者さんが眠れないからと薬局感覚でメンタルクリニックに来て眠剤を安易に欲しがることの恐ろしさを身をもって知っています。)

そう考えると、今回の改定で指定医を線引きの基準にしたことには、それなりの意味があるのかもしれません。(実のところは、国が管轄する資格だからでしょうが)

とはいえ、ある日を境に約4割という規模で報酬を切り下げるドラスティックなやり方が、精神科に限らず、これからの国の当たり前の姿勢になっていくとすれば、そこには危惧を感じます。線引き自体の妥当性とは別の話として、変化の付け方そのものを問う視点も残しておきたいところです。​​​​​​​​​​​​​​​​

コンビニメンタルクリニック?


ネットでメンタルクリニックを検索していると、こんな言葉が目に飛び込んでくること、ありませんか?
「当日初診OK」
「診断書、その日のうちに発行します」
駅前などアクセスの良い場所にチェーン展開し、ウェブサイトでそうしたフレーズを打ち出しているメンタルクリニックが、最近増えてきました。
気軽に受診できることから、俗に「コンビニメンタルクリニック」と呼ばれることもあるようです。


そもそも、従来のメンタルクリニックはなぜ予約が取れない?


「メンタルクリニックに電話したら、初診は1か月待ちと言われた…」
そんな経験をされた方は、きっと少なくないはずです。

私が精神科病院で働いていた頃、退院される患者さんの通院先を探すのも仕事のひとつでした。評判の良いクリニックに問い合わせをしてもらっても、「初診は数週間〜数ヶ月先まで埋まっています」と言われることが本当に多かったのを覚えています。

あまりに先の予約しか取れないと、「遠回しに断られているのでは…」と感じてしまう方もいるかもしれません。でも、実はそうとも限らないんです。

精神科では、一人の患者さんが長く通院されることが多く、診察にも時間がかかります。そのため、どうしても新患の枠を多く設けることが難しい。むしろ、今通われている患者さんの診療の質を守ろうとする配慮の結果、初診が取りづらくなっている——そんな側面もあるのです。


そこに現れた「コンビニメンタルクリニック」

そんな中で存在感を増してきたのが、冒頭に挙げたようなチェーン展開型のクリニックです。ネットで検索すればすぐに見つかり、その日のうちに予約が取れる。駅前の通いやすい立地で、仕事帰りにも立ち寄れる。「今すぐ診てほしい」という患者さんの受け皿になっているのは間違いありません。

もちろん、精神科の専門トレーニングを受けた医師が勤務している施設が大半でしょう。ただ施設によっては、週に数日だけ非常勤の医師が多数在籍してたり、精神科専門医や指定医としてのトレーニングを受けていない医師が診療を担当していたりする場合もあると聞きます。


便利さの裏で、こんな声も


実際、当院にはこうしたクリニックから移ってこられる患者さんも少なくありません。その理由としてよく聞かれるのが——

 •初診は早く受けられたが、再診の予約が取りづらい
 •予約を取っても、待ち時間が長い
 •受診のたびに担当医が変わってしまう

といったものです。「最初は便利だと思ったけれど、続けて通うには….」と話される方もおられます。


大切なのは、自分に合った場所を選ぶこと


とはいえ、「コンビニメンタルクリニック」を否定したいわけではありません。初診予約が取りづらいクリニックが多い中で、こうした医療機関が一定のニーズを満たしているのは紛れもない事実です。不安や苦痛ですぐに診て貰いたい患者さんにとってはとてもありがたい存在です。

大切なのは、医療機関にはそれぞれ役割や特徴があるということ。

「今すぐ話を聞いてほしい」のか、「じっくり同じ先生と向き合いたい」のか。

自分が何を求めているのかを少し立ち止まって考えてみる。そのうえで受診先を選ぶことが、きっと一番納得のいく一歩につながるのではないかと思います。​​​​​​​​​​​​​​​​

「おためごかし」という言葉


ふとした折に思い出す言葉のひとつに、「おためごかし(御為ごかし)」というものがあります。
日常であまり耳にする機会は多くないかもしれません。意味をごく簡単に言えば、
表面上は相手のためを装いながら、実際には自分の利益や都合を優先している
といった振る舞いを指す言葉です。

たとえば、お店の店員さんが商品を勧めるときに、本当は売上を上げたいのに「お客様のためですよ」と口にする——そんな場面は、比較的イメージしやすい例かもしれません。こうしたケースでは、勧める側もどこかで「自分の利益のためでもある」と薄々わかっていることが多いものですし、お客さんの方でもリップサービス程度と理解してることでしょう。


問題は「無意識のおためごかし」

ただ、精神科の臨床の場で私が考えさせられるのは、もう少し厄介な種類のものです。

それは、本人が心から「相手のため」と信じているケースです。

悪意があるわけではありません。むしろ純粋な善意で行われている。けれども、その行為の背景に、
自分の価値観を通したい、自分が安心したい、自分の不安を解消したい——そうした、本人も気づいていない自己都合が、そっと紛れ込んでいることがあります。

この「無意識のおためごかし」は、本人に自覚がないぶん、周囲から指摘されても「そんなつもりはない」と受け取られがちです。そこが、この問題のむずかしいところだと感じています。

親子関係のなかで

こうした構造がとりわけ根を下ろしやすいのが、親子関係です。

「あなたのためを思って言っているのよ」
「あなたの将来のためなんだから」
「親として当然でしょう」

もちろん、その多くは本当に子どもを思う気持ちから出た言葉でしょう。けれども、その言葉の裏側に、親自身の価値観や不安、期待といったものが混じり込み、結果として子どもの気持ちが置き去りにされてしまう——そういう場面も、残念ながら少なくありません。
長い年月のなかでこうしたやりとりが積み重なると、子どもの側には
「自分の人生を、自分のものとして扱ってもらえなかった」
という感覚が、静かに澱のように残っていきます。大人になってから親との関係に強い葛藤を抱え、外来にたどり着く方も少なくありません。(但し、このような悩みの方は当院よりはカウンセリングを受けられる医療機関が的確だと思います。)


近年「毒親」という言葉が広く使われるようになりました。その背景にも、こうした構造への痛みが反映されているのかもしれない——と、話を聞きながら感じることがあります。


「あなたのため」という言葉

臨床を続けていてしみじみ思うのは、
「あなたのため」という言葉ほど、慎重に使うべき言葉はないということです。

私たちはみな、自分の価値観や経験というレンズを通して世界を見ています。そのため、自分が「相手のためになる」と信じていることが、相手にとっても同じ意味を持つとは限りません。
むしろ受け取る側にとっては、重圧になったり、支配のように感じられたり、ときに自尊心を傷つけられる言葉になってしまうこともあるのです。

自分の口から出る言葉は、所詮どこかで自分の利益に沿うようにできている——そのくらいに意識しておくのが、案外ちょうどいいのかもしれません。


善意が人を縛ることもある

善意は、人を支える大きな力になります。けれど同じ善意が、ときに人を縛る糸にもなる。その両面を、臨床の場では何度も目にしてきました。

本当に相手のためを思うのであれば、
「これは、本当に相手のためなのだろうか」
「ただ自分が安心したいだけではないだろうか」
と、ときどき立ち止まって自分に問い直してみる

そんな余白があってもいいのではないかと思います。
私自身、診察室で患者さんと向き合いながら、同じ問いを何度も自分に投げかけています。

相手の人生は、最終的には相手自身のものです。

その当たり前のことを忘れないでいることが、人と人との関係を健やかに保つうえで、案外いちばん難しく、いちばん大切なことなのかもしれません。