皆さん、こんにちは!
ひなたです気づき

 

最近、皆さんは何か大きな決断や挑戦などをされましたか?
私たちは「変化を怖いと感じやすい」だけでなく、「こうあるべき」という考え方に縛られてしまうことも多いので、失敗を避けるために無難を選択される方が多いのではないでしょうか?

 

決断や挑戦の大きさにかかわらず、カウンセリングなどでも
「失敗するのが怖いです」というお話はよく伺います。

 

たとえば
・新しい仕事に挑戦する
・大勢の人の前で話をする
・資格試験を受ける

 

このように、何かに挑戦しようとすると多くの人の心には
「失敗したらどうしよう」という不安が顔を出すことが多いと思います。

 

これまでにも何度かお話していますが、私自身も人前で話すことが大の苦手です。(何度、場数を踏んでも一向に慣れる気配がありません)

 

そんな私なので、以前、大勢の専門家の前でお話をさせていただく機会を与えていただいた際にも「自分の知識をアウトプットすることで、より知識が定着するのではないか」「心理士としての実績にもなる」など、大変ありがたいお話だと感じる一方で、
「失敗したらどうしよう」「うまく話せなかったら、どう思われるだろう」という不安が何度も頭をよぎりました。

 

このような経験を繰り返してきたことで気づいたことがあります。
それは、私たちは「失敗そのもの」を恐れているというよりも、
「失敗した自分をどう扱うか/扱われるか」を恐れているのではないか、ということです。

 


例えば、発表中に頭が真っ白になってしまい、言葉に詰まってしまったとします。

 

この出来事について、あえて「失敗部分だけ」を捉えるとすれば、「少し言葉に詰まった」というところだと思いますが、実際にはその瞬間、私たちの頭の中にはこのような言葉が浮かんでいたりするのではないでしょうか。

 

「呆れられて「この人ダメだ」と思われたに違いない」
「他の人が普通にできることができないなんて情けない」
「積み上げてきた信用や信頼を失ったかもしれない」

 

このように、私たちを苦しめているのは、失敗した経験そのものではなく「その出来事に対して自分がくだした評価」なのかもしれません。

 


もちろん、人からどう思われるかが気になってしまうのは自然なことだと思いますが、ここで忘れてはいけないことは「周囲からどう思われるかな」と考え、周囲の感じていることを想像しているのは、まぎれもなく自分自身だということ。
つまり、実際に相手がどう思っているかは、相手に直接聞かない限り分かりません。

 

もしかすると「思ったより堂々としていたな」とか「一生懸命で応援したくなった」という風に肯定的に感じてくれている人もいるかもしれません。
それなのに私たちの心は、一つの「失敗」で周囲に否定的な印象を与えてしまったと思い込んで、つい一番厳しい(ネガティブな)結末を想像し、その想像の中で、自分自身を責め始めてしまうのです。

 

このようなことを繰り返しているからこそ、
きっと私たちはより一層「失敗すること」に恐怖を感じて臆病になり、「失敗は許されない」という考えを強めてしまっているのではないでしょうか。

 


そのため、今回のブログでは、「失敗しない方法」を探すことよりも、
「迎えたくない結末を減らすために、今できることは何だろう」という考えを大切にすることを皆さんにご提案したいなと感じています。

 


例えば、人前で話す場合なら「話す内容を早めから整理する」「時間が許す限り何度も練習する」「質問されそうなことを考えておく」など。
こんな風に自分なりに「やれるだけのことはした!」と思えるような準備をしておくことができます。

 

ただ、ここで間違えてほしくない大切なことは
「絶対に失敗しない準備」ではなく、「後悔しない準備」をするということです。

 

この二つは、似ているようでまったく異なります。
「絶対に失敗しない」を基準にして行動し始めてしまうと、きっと終わりが見えなくなってしまうと思いますが、「今の自分にできることはやった」と思える準備にはちゃんと終わりがあるはずです。

 

また、どれだけ「できる限りのことはした!」と思えるだけの行動をしても、不安がゼロになることはないかもしれないので、できる限りのことをして、不安を抱えながら挑戦するという心構えが少しずつできていくことで、挑戦しやすくなるかもしれません。

 


そして、もう一つ大切にしてもらいたいこと。
それは「失敗したときの自分との付き合い方」も準備しておくことです。

 

私たちは、結果に備えることは早い段階から考えることが多いですが、
もしものことが起きたときに自分の心とどう接するかまではあまり考えられていないように思います。

 

ですが実際に、私たちが本当に苦しく感じる瞬間は、失敗したあとに自分で自分を責め続ける時間などではないでしょうか。

 

「そもそも引き受けなければよかった」
「やっぱりこのようなことは私には無理なんだ」
「もう二度と大きな挑戦はしたくない」

 

このように自分が自分に対して一番厳しい批評家になってしまう経験が皆さんもきっと一度はあると思います。

 


そのため、私は何か大きな挑戦をすると決めたときに、いつも一つだけ自分と約束していることがあります。
それは「もし思うような結果にならなかったとしても、挑戦した自分を否定しない」こと。

 

もちろん、反省や次に生かすための振り返りは必要で大切なことだと思います。
ですが、混同してはいけないことは「反省」と「自己否定」は全く違うということ。

 

「この部分は次似たようなことをするときに気をつけよう」と考えることと「こんなこともできない私だからダメなんだ」と自分の価値ごと否定することは、まったく別の話であり、自分で自分自身を傷つけてばかりいては、どんどん自信をなくしてしまいます。

 

どんな挑戦でも、どんな結果でも、その挑戦(行動)があったからこそ得られた経験、見えた景色があるはずで、今後に生かせる課題も見えるはずです。
ですが、もしも何も挑戦しなかったのならば失敗しない代わりに、成長する機会や自分の可能性を知る機会も失ってしまうことになると思いませんか。

 

だから私は「失敗しない人生」よりも「失敗しても自分との関係を壊さずに付き合っていく人生」を大切にしてもらいたいなと思っています。

 


人生には、自分ではどうにもできないことが起こることがあります。
どれだけ準備をしても、思い通りにいかない日もあります。
つまり努力や行動の先の結果は、自分一人の力だけではコントロールできないということ。

 

ですが、その結果を受け取ったときに、自分にどのような言葉をかけるか、そして、その結果を自分の中でどのような経験として受け止めるかは、自分自身で選ぶことができます。

 

「時間が許す限り、できることを精一杯やり切ったね」
「怖いと感じながらもよく最後まで逃げずに挑戦したね」
「次はここを工夫してみよう」
「この経験を乗り越えられたんだから、また次の挑戦も乗り越えられるよ」

 

こんな風に、自分が自分自身の一番の味方でいられる人は、失敗を乗り越える力を少しずつ育てていけると私は信じています。

 


失敗が怖いと感じるのは、それだけ目の前の物事に真剣に向き合い、取り組んでいる証なので、その気持ちを無理になくそうとしなくても大丈夫です。

 

この怖い気持ちを抱えながらも、
自分が少しでも後悔せずにいられるための準備をすること、そして、どんな結果になっても自分だけは他の誰よりも自分自身の味方でいること。

 

この2つを忘れなければ、失敗への怖さや不安がゼロにはならなくても「挑戦してみようかな」と思える力に変えていけるのではないかなと私は感じます。

 

 

それでは皆さん
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

皆さん、こんにちは!
ひなたです気づき

 

最近、AIに人間関係に関する相談される方が増えている印象を受けているのですが、皆さんも普段、そのような使い方をされることはありますか?
カウンセリングでも「ここに来れるまでにまだ日数があったのでAIに相談をして少し心を落ち着けたんです」と話される方がいらっしゃいます。

 

「このLINEはどういう意味?」
「この人のこの態度は嫌われているから?」
「私が悪かったのでしょうか?」
「謝った方がいいですか?」

 

このようにAIが普及する前なら家族や友人、職場の同僚など身近な人に相談していたような内容を、今では「AIの方が相談しやすい」とおっしゃる方も少なくありません。

 

私はこのようなお話を伺う中で、あることに気づきました。
それは、人間関係のご相談の多くは、一見すると「相手との関係性」がテーマのように見えるのですが、実際には「自分との関係」が裏テーマとして存在しているのではないかということです。

 

例えば、「人からこんなことを言われる自分は相手から嫌われていますか?」というご相談。
これは「相手の気持ちを知りたい質問」のように感じられますが、その奥には「私は自分の感じた違和感を信じていいのでしょうか?」という戸惑いの気持ちが隠れているように感じます。

 

このように多くの人は、相手の言動を元に「相手の気持ちや背景を理解すること」以上に、「自分の感じ方は間違っていないかどうか」を確かめ、安心を得たいと感じて相談しているのかもしれません。

 

もちろん、人に相談することは決して悪いことではありませんし、私自身も自分とは考え方や感じ方が異なる誰かに話を聴いてもらうことで気持ちが整理された経験を何度もしてきました。

 


ただ、どんなにAIが発達しても、誰か(生身の人間)に相談しても、最後まで分からないものがあります。
それは「相手の本当の気持ち」です。

 

どれだけ相手の表情や言葉を分析しても、「相手が本当はどう思っているのか」を100%知ることは残念ながらできません。

 

相手の本当の気持ちが分からないと私たちは不安になります。
そして、不安はどんどん悪い考えを増幅させてもいくので、その結果「身近な人に聞いてみる→ネットで検索してみる→AIにも相談してみる」という風に何度も安心できる答えを見つけるループにはまってしまうのではないでしょうか。

 

このように不安な気持ちを落ち着かせるための行動だけでもきっと多くの人の心は疲れてしまうと思います。
ですが、私の感じるもっと残念なことは、もしもたくさんのところに相談をしたことで安心を得られたとしても、時間が経つとまたどこからか不安な気持ちが出てき始めてしまうことです。
この感覚を経験されたことがある方はきっと少なくないのではないでしょうか。

 

相談先の誰かの言葉で安心し、心を落ち着けられたはずなのに、また相手の言動がきっかけで不安な気持ちがムクムクと起き始める、この感覚。
これは(安心できる)情報が足りないからなどではなく、「自分で大丈夫と思える(自分で自分を落ち着ける/なだめる)感覚」が育っていないために起こってきているように私は感じています。

 


それでは、なぜ自分の感覚を信じられなくなるのでしょうか。
その理由は一つではありません。

 

たとえば、
・幼い頃から周りの空気を読むことが当たり前だった人
・「迷惑をかけてはいけない」「いい子でいなければいけない」と頑張ってきた人
・自分の気持ちより人の期待に応えることを優先してきた人
・安心して自分の気持ちを表現できる経験が少なかった人 など

 

このような環境で過ごされてきた人ほど「私はどう感じる?」という問いかけよりも、「相手はどう思っている?」を優先することが当たり前となり、自分の感覚よりも周りの状況を確認し整える選択をすることが癖づいてしまっているはずです。

 

もちろん、それはその方が弱いからなどではなく、そのとき、その方が置かれた環境下で適応していくために、そのやり方が自分を守る唯一の方法だったのだと思います。

 

ただ、このような思考の癖は大人になってからの人間関係にも大きな影響を与えます。たとえば…

 

・何かあるたびに、「私がおかしいのかな」「考えすぎかな」と自分を疑う
・相手が少し不機嫌そうに見えただけで、「私が何かしたのだろうか」と不安になる

 

このように感じる気持ちはとても自然なものですが、この不安を解決するための安心材料がいつも他人の言葉だけに支えられているのだとしたら、きっとその安心はとても不安定なものになってしまうことでしょう。

 

だからこそ私は、人間関係を少しでも楽にするために「相手をもっと理解すること」以上に「自分との信頼関係」を育てていくこともとても大切なことだと感じています。

 

「私はあのときモヤっとした」
「私は悲しかった」
「私はこう感じた」
このような自分の感覚を善悪などのジャッジをせずに一旦そのまま受け止めてあげてください。

 

もちろん、自分の感じたことがすべて事実とは限りません。実際に「嫌われた気がする」と感じても、本当は嫌われていなかったというお話もよくお聞きします。

 

ですが、相手の言動を受けて「(私は)嫌われた気がした」という自分の感覚そのものは、本当に存在したはずで、誰にも否定する権利はないはずです。

 

ですので、まずは自分が感じたそのままの気持ちを「私はこんな風に感じたんだ」と認めてあげること。それが、自分との信頼関係を育てる第一歩になるのではないでしょうか。

 


人間関係の悩みは、相手を変えることで解決するとは限りません。
相手の本音を知ることでも、すべてが解決するわけではありません。

 

むしろ、自分の感覚を少しずつ信じられるようになることで「相手はどう思っているのだろう」と四六時中考え続けて、心を消耗したり、自分らしく振舞えない時間は少しずつ減っていくはずです。

 

誰かに相談することは決して悪いことではありません。
AIを頼ることも、人を頼ることも、大切な支えになると思います。

 

ただ、覚えておいてほしいことは、大事な人生の選択をしていくのは自分自身です。

 

だからこそ、少しずつでいいので「私はどう感じているのだろう?」「私は本当はどうしたいのだろう?」
このような問いを自分自身にも向けることを大切にされてみてください。

 


人間関係のお悩みの多くは「相手のことが分からないこと」から始まるように見えて、実は「自分を信じられないこと」から大きくなっているように私は感じています。

 

そのため、心地よい人間関係を築いていく第一歩として大切なことは「相手の心を完璧に理解すること」を目指すのではなく、「自分の心に少しずつ耳を傾けられるようになり、自分の感覚を信じられるようになること」なのかもしれません。

 

自分との信頼関係を育てていけることが、結果として、相手への信頼にもつながっていき、全体的な人との関係にも少しずつ安心をもたらしてくれるのではないかなと私は感じています。

 

 

それでは皆さん
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

皆さん、こんにちは!
ひなたです気づき

 

カウンセリングなどでは「不安で何も手につきません」「頭では考えすぎだと分かっているけれど止められません」「早く元気になりたいのに、身体が思うように動きません」というようなお悩みを語られることがよくあります。

 

このようなお話を伺うたびに感じることは、多くの方が「不安そのもの」との闘いだけではなく、「不安になってしまう自分」とも闘っているのではないかということです。

 

「考えすぎてしまった自分」や「こんなことで落ち込んで情けない自分」「頑張れない自分」などを責め続けている方が少なくありません。

 

 

もちろん、カウンセリングでは思考の整理をしたり、物事の見方を変えたり、気分転換の方法をご提案させてもらったりすることで前へ進める方もたくさんいらっしゃいます。

 

ですが、これらのことを心がけてくださっている方の中には「頭では理解できているけれど、なかなか行動できません」「やろうと思っても身体が動かないんです」という「思うようにできない自分」に苦しまれている方が一定数いらっしゃるのも事実で…。

 

そのような方のお話やご様子をうかがっていると、私は「その人の努力が足りない」などではなく、不安そのものの仕組みを知ることが大切なのではないかと感じるようになりました。

 

 

ということで今日は、少し専門的な用語ではありますが「神経系」「愛着」「トラウマ」という3つの視点から、不安が生じる理由や不安との付き合い方について分かりやすく考えてみたいと思います。

 

不安は「性格」ではなく「神経の反応」

私たちは不安が強くなると「私は気が弱い」「考えすぎる性格だ」と自分のことを否定的に感じてしまうことがありますが、不安は本来、人間に備わった大切な機能です。
危険を察知し、自分の命を守るための警報装置のような役割を果たしてくれています。

 

例えば、夜道を歩いていて後ろから突然足音が聞こえてきたら、きっと誰だってドキッと(緊張)しますよね。これは異常ではなく、いたって正常な反応で、むしろ何も感じないし、気づきもしない状況の方が日々の生活を送る上では少々心配になってしまいます。

 

その一方で、火事ではないのに火災報知器が鳴り続けるような場所に身を置き続けていると、実際には安全な状況でも「危険だ」「何か悪いことが起こる」と私たちの心身(神経)が反応してしまうことがあり、この状態では、どれだけ「大丈夫」と自分に言い聞かせても、身体は「危険だ」と感じ続ける状態に陥ってしまいます。

 

つまり、「不安」が問題視されるべきタイミングは、危険を察知する警報装置が必要以上に敏感になってしまったとき。
頭では「安全だ」と理解できていても、身体は「危険だ」と判断している状態なので「考え方を変えましょう」と言われても難しくなってしまうということです。

 

私たちは「安心」を人との関わりの中で学ぶ

では、心身(神経)はどのようにして「安全」を学んでいくことができるのでしょうか。
その鍵となるのが「安心できる人との関わり」ではないかなと私は感じています。

 

例えば、赤ちゃんは自分一人で安心することはできません。
そのため、泣けば抱っこしてもらい、不安になれば優しく声を掛けてもらう。
こうした経験を積み重ねながら「困ったときには助けてもらえる」「私は大切にされる存在なんだ」という感覚を少しずつ育てていくことができます。

 

そして、この安心感は「自分自身の気持ちを落ち着かせる力」も育ててくれます。
そのため「安心したいときに安心できなかった経験」や「頑張らないと認めてもらえない」「人に迷惑をかけてはいけない」と感じながら過ごしてきた経験が続いてしまうと、私たちの心身(神経)は周囲の世界を危険(=安全ではない)と認識し、警戒しやすくなってしまいます。

 

「また傷つくかもしれない」
「嫌われるかもしれない」
「失敗したら終わり」

 

このような感覚は、決して気の弱さなどではなく「自分を守る方法」として、これまでの人生の中で身につけたのかもしれません。
そのため、私たちは表面的な考え方だけを変えようとするだけではなく、心身(神経)を落ち着かせることにも同じくらい大切にしなければならないのではないでしょうか。

 

「過去」のトラウマは、「今」の身体の反応として残ることがある

「トラウマ」と聞くと、大きな事故や災害、いじめや虐待などを思い浮かべる方が多いかもしれません。もちろん、それらもトラウマ体験の一つです。

 

ですが実際には「繰り返し否定されたこと」「自分の気持ちを受け止めてもらえなかったこと」「安心できる居場所がなかったこと」なども、私たちの心や身体に大きな影響を残すことがあります。
このような場合に大切なことは「何があったか」だけではなく、「その経験によって心身(神経)がどのような学習をしたか」という視点ももつことです。

 

身体が昔の危険な感覚を覚えていたら、今の安全な環境でさえも不安や恐怖として反応してしまうことがあります。
つまりこれが、頭では「もう大丈夫」と分かっているのに不安がどうしても消えないという状態につながっているということを覚えていてください。

 

不安をなくすことより、「安心」を育てること

では、私たちは「不安」とどのように付き合っていけばよいのでしょうか。

 

私は「不安をゼロにすること」を目標にしなくてもいいのではないかなと感じています。

 

先にも書きましたが、不安は人間にとって必要な感情の一つです。
だから大切なことは、不安を消すことのできる自分を目指すのではなく、「心身(神経)が安心を感じられる時間」を少しずつ増やしていくこと。

 

・温かい飲み物をゆっくり飲む
・足の裏で床や地面の感覚を感じる
・信頼できる人と穏やかな時間を過ごす
・自然の中を散歩する
・呼吸を整えながら身体の感覚に意識を向ける
など

 

このような時間は、一見すると不安とは関係がないように感じられやすいかもしれません。
でも実際に「今は安全なんだよ」と心身(神経)に伝えるための大切な時間です。

 

安心は、頭で理解するだけではなく、身体で経験することも同じくらいに大切なので、安心を育てながら不安を小さくしてもらえるといいなと思います。

 

 

他にも不安と付き合うために、大切にしてほしい3つのことを今日は考えてきました。
この3つについても文字に起こすと、読むのに疲れてしまうと思いますので、こちらについては久しぶりに音声にて解説させていただきました。
お時間のある時にぜひ聴いていただけたら嬉しいです。

 

<You tube「心をほどくラジオ」>

 


このように「不安」はなくさなければならないものではなく、付き合い方を学んでいくことで、自分の本音や想いに気づけるかもしれない大切なものであるように私は思います。

 

また、不安を小さくしてくれる「安心感」は一日で身につくものではありません。
何度も何度も安心の体験を積み重ねていくことで、私たちの心身(神経)は少しずつ「今はもう大丈夫なんだ」と学び直しをしていくことができ、不安に振り回される毎日から、自分らしい人生を取り戻す力へと変化してくれるのではないかと、私は日々の臨床を通して感じています。

 

 

これを読んでくださった皆さんがいつの日か「また不安ちゃん(くん)がやってきたんだね。大切なことを教えてくれてありがとう。今が本当に危険なのか、それとも大丈夫と思っていいのか、少し検証してみるね」という風に自分自身(心の中にある不安)に声をかけられるようになってくださることを願っています。

 

それでは皆さん
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!