皆さん、こんにちは!
ひなたです気づき

 

 

日々、老若男女さまざまな方のお話やお悩みをうかがっていると
「私たちはみんな、それぞれの人生の中で、さまざまな出来事と向き合いながら生きているのだな」と感じます。

 

さて、皆さんは「たたかう」という言葉を聞いたとき、どのような場面を思い浮かべるでしょうか?

 

「たたかう=Fight」という言葉は、生き残るために備わった本能的な反応の一つだと言われています。
そのため、もしかすると多くの方はたたかう相手として「他者」を思い浮かべられるかもしれません。

 

 

ですが私は、私たちが日々闘い続けている相手は、
他者ではなく「自分自身」なのではないかなと感じています。

 

ということで、今日は
・「自分とのたたかい」とは何なのか
・私がなぜそのように感じているのか

 

 

この2つについて、私が過去に感じていた生きづらさを軽くしてくれた考え方の一つである、アドラー心理学の「共同体感覚」を通してお話させてもらいたいなと思います。

 

まず初めに、共同体感覚は「対人関係におけるゴール」とも言われるくらいに、私たちの幸福感や良好な対人関係の構築につながる、とても大切な考え方だと感じています。

 

アドラーは、この共同体感覚を育むためには
「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」「所属感」の4つが大切であると述べています。
これらは一つひとつが独立して存在しているわけではなく、輪のようにつながりお互いに影響し合っています。

 

 

では、この4つのうち、どこから意識し始めるといいのでしょうか?
今日は、イメージしやすいであろう「所属感」から考えてみたいと思います。

 

きっと多くの方は「あなたの所属はどこですか?」と聞かれれば、職場や学校、地域などを思い浮かべると思います。
そして、忘れてならないのは「家庭」もまた、私たちにとって大切な所属先の一つであるということ。

 

ですが「所属先があること」と「そこに自分がいてもいいと思えること」はイコールではないように感じています。
実際、同じ職場や家庭にいても「ここは自分の居場所だ」と感じられる人もいれば、そう感じられずに悩み苦しんでらっしゃる人もいます。

 

では、この違いは何なのでしょうか。

 

私はそこには、その共同体の人たちへの「信頼感」や、自分が誰かやその場所の役に立てているという「貢献感」が大きく関係しているのではないかと感じています。

 

 

それでは、このような「信頼感」や「貢献感」はどのように育まれていくのでしょうか。
ここで、私は「自分とのたたかい」が始まるのではないかなと思っています。

 

例えば、他者を信頼するためには

 

・「この人を信頼しても大丈夫だ」と感じている自分の感覚を信じられること
・目の前の人と無理なく関係を築けていると感じられること
・お互いが自然体かつ心地よくいられる関係を育てようとすること

 

このようなことを日々積み重ねていくことがとても大切になってくると思います。

 

もちろん、人を信頼できるかどうかは相手にも左右されてしまいますし、相手を変えることもできません。
ですが、そんな中でも自分の関わり方や考え方、伝え方などは何度でも見直すことができるのではないでしょうか。

 

例えば、相手から信頼してもらうために


・誠実であろうとすること
・感謝の気持ちを表現すること
・相手を理解しようと心と目と耳を傾けること

 

このような自分自身の努力や工夫をするかどうかは、私たち自身で選択することができるはずです。

 

 

つまり「自分とのたたかい」とは、自分を責め続けることではありません。

 

自分自身がより良い人間関係を築いていくために「自分にできることは何だろう?」と問い続け、小さな一歩をコツコツと積み重ねていくことなのではないかなと私は感じています。

 

 

このように、共同体感覚を育てるためには「相手を変えようとする」のではなく「自分が変えられるところに目を向けること」が大切なのではないでしょうか。

 

きっとこの小さな試みの積み重ねが、他者への「信頼感」や「貢献感」、「所属感」を育んでいき、やがて「ありのままの自分でもいいんだ」という「自己受容」へと繋がっていくのではないかなと思います。

 

 

また、この4つが少しずつ育っていくことで、私たちは人間関係に振り回される時間が減り、「誰かを変えなければ幸せになれない」という苦しさからもきっと少しずつ解放されていくはずです。

 

 

・他者ではなく、自分にできることに目を向けること
・アドラーが提唱している共同体感覚を日々少しだけ意識しながら、自分が変えられるところを一つずつ変えていくこと

 

これらを積み重ねていくことが、自分自身の幸せへとつながっていき、人とのつながり(関係)をより温かなものにしていってくれるのではないかなと私は感じます。

 

 

このブログを読んでくださったあなたが、人とのつながりを「窮屈で居心地の悪いもの」ではなく、「安心したり、笑顔になれたり、肩の荷を下ろせたり…そんなホッとできるもの」だと感じてくださることを心から願っています。

 

 

それでは皆さん
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

 

皆さん、こんにちは!
ひなたです気づき

 

今日のお話は、対人関係のお悩みとしてよくお伺いする内容です。

皆さんは過去にこのような経験をされたことはありませんか?

 

「なんだか相手が冷たいような気がする」
「相手に悪気はないと頭では分かっているのに心がズキッと感じた」
「自分のことを悪く思われているような気がしてモヤモヤする」


その一方で、それから少し時間が経って、心も落ち着いた状態で振り返ってみた時に
「あれは自分の思い込み(考えすぎ)だったかもしれないな」
「相手にはそんな意図はなかったのかもしれないな」
という風に感じた経験がある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 


私たちは日々、目の前で起きた出来事や人から聞いた話をもとに、その物事をどう捉えるか判断しながら生きています。

 

しかしながら実際には、その判断は単なる「事実」だけによっておこなわれているわけではありません。
私たちは自分でも気づかない間に、これまでの経験や価値観、その時の心の状態などのフィルターを通して出来事を解釈しています。


特に人間関係においては、この解釈の内容がストレスの受けやすさ/受けにくさが左右されるように感じています。

 

例えば、誰かに「頑張って!」という言葉をかけられたときに「応援してくれている」と感じる人もいれば、「バカにされている」と感じる人もいると思います。

 

その他にも、相手の何気ない態度(例えば、「目を合わせずに返事をされた」など)に対しても「嫌われているのかもしれない」と不安になる人もいれば、「何かあったのかな」と受け止める人もいるのではないでしょうか。

 


このような解釈の違いは、起きた出来事そのものの内容ではなく、その出来事をどう受け取るかという『心のフィルター』によって生じていて、この心のフィルターが過去の傷つきや思い込みによって偏ってしまっている場合、人間関係において誤解やすれ違いが生じやすくなることもあります。

 

例えば、「私は人から嫌われている」と思っている人は、相手の態度が少しそっけないだけで、「私のことが嫌いだから、こんな態度なんだ」と思い込んでしまうことがあります。
また「私は人からバカにされるような人間だ」と感じている人は、他人の成功談やいい話を聞いた時に、「自分は無能だと言われているんだ」「マウントを取られているんだ」と受け取ってしまうかもしれません。

 


もちろん、実際に相手が失礼な態度を取っている場合もあります。
ですが私たちは、自分の心の中にある不安や負い目、過去の傷つきなどによって、現実を必要以上にネガティブに解釈してしまうことが少なくありません。

 

つまり、私たちを苦しめている原因は、出来事そのものではなく、その出来事に与えた意味づけである場合があるのではないかなと感じています。


それでは、このような認知の偏りに気づき、人間関係のおける誤解や苦しさを少しでも減らしていくためにはどうすればよいのでしょうか。

 

今回は私の考える3つの大事な視点をご紹介したいなと思います。

 


①事実と解釈を分けて考える

まず初めに、意識してみてほしいことは出来事を「事実」と「自分の解釈」とに分けて考えることです。

 

例えば、相手から返信が来なかったとします。
「返信が来ない」←これは事実です。

 

ですが、この事実に対して
「嫌われているからだ」とか「怒らせてしまったに違いない」「もう関わりたくないと思われているんだ」と意味づけをするのは、少し極端な受け取り方だと感じませんか?

 

これらは、あくまでも自分がおこなった解釈なのですが、不安が強まっている時ほど、私たちはこの解釈を事実(現実)だと思い込みやすくなります。

 

きっと、心が落ち着いた(冷静な)状態でこの出来事を見つめてみたときには「忙しいのかもしれない」とか「返信するタイミングを逃しているのかもしれない」「体調が悪いのかもしれない」など、様々な可能性を考えることができるはずです。

 

自分が今考えていることは「事実」なのか、それとも「不安から生じた解釈」なのか。
このような客観的視点を持つだけでも、きっと認知の偏りは修正されやすくなります。

 

②別の可能性を探してみる

次に大切なことは「一つの結論だけで判断しようとしないこと」です。

 

人は不安や傷つきを抱えている時ほど、自分にとって都合の悪い結論へ結び付けやすくなります。

 

例えば、友人が挨拶を返してくれなかった時「嫌われた」という結論に結び付けるだけではなくて、「考え事をしていて気づかなかったのかもしれない」「余裕がなかったのかもしれない」など別の可能性がないかを考えてみることが大切です。

 

もちろん、本当に相手の機嫌が悪かった可能性もあるかもしれません。
ですが、物事を解釈するうえで大切なことは、どの可能性が正しいかを即座に決めつけることではなく、「他の見方もある(できる)かもしれない」という思考の柔軟さを持つことではないでしょうか。

 

実は、多くの方のお話を伺っていると、人間関係のトラブルの多くは「自分の解釈=事実」だと思い込むところから始まっているように感じています。
だからこそ、視野を広げることはきっと自分自身を守ることにもつながるはずです。

 

③自分の価値観や傷に気づく(知っておく)

最後に大切だと感じていることは「なぜ私はその言葉に反応したのだろう」と自分自身を見つめる姿勢です。

 

同じ言葉を聞いても、深く傷つく人もいれば、全く気にならない人もいます。
この違いを生み出しているのは、多くの場合、その人がこれまで歩んでこられた経験や価値観ではないかと感じています。

 

もし誰かの言葉に強く反応した時は「私は何を恐れているのだろう?」「過去のどんな経験がこの感情につながっているのだろうか?」「私は自分自身をどのように見ている(捉えている)のだろう?」とじっくり振り返ってみてください。

 

すると、「自分の感情が揺さぶられるのは相手の行動が原因だ」と思っていたことが、実は自分の心の中にある不安や傷つきが関係していたことに気づけることがあるかもしれません。

 

そして、自分の内面への理解が深まるほど、他人の言葉や態度に一喜一憂したり、振り回されたりすることもきっと少なくなっていきます。

 


 

このように、私たちは、日々の出来事を自分の価値観や経験という心のフィルターを通して見ています。

 

だからこそ、自分の解釈や捉え方が常に正しいとは限らないという視点を持っておくことが大切です。

 

・事実と解釈を分けて考えること
・一つの結論だけで判断せず、別の可能性にも目を向けること
・自分の心の中にある価値観や傷つきに気づいていくこと

 

これら3つを日々意識しながら過ごしていくことで、きっと人間関係における誤解やすれ違いは少しずつ減っていくはずです。

 

相手を理解しようとする姿勢はもちろん大切です。
ですが、相手のことは相手の口から相手の言葉で教えてもらう以外は知る由がないほか、それと同じくらい、自分自身の心を理解しようとすることも大切なのではないかなと感じています。

 

つまり、私たちが本当に向き合うべきものは、目の前の相手だけではなく、その相手を見ている「自分自身の心」なのかもしれません。

 


それでは皆さん、
最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

皆さん、こんにちは!
ひなたです気づき

 

 

突然ですが、皆さんはこのような経験をされたことはありますか?

 

「自分は何もしていないのに悪く言われてしまった」
「あの人から誤解されているように感じる」
「自分のことを良く思ってない人がいる」
「周りの噂に傷つくことが多い」

 

実は私自身、このような経験をしたことが何度かあります。

 

そして、その時々の経験を通して「どれだけ誠実に相手と接していても、必ずしもすべての人に理解してもらえるわけではなく、自分の知らないところで誤解されたり、勝手なイメージを持たれたりすることがあるのだ」ということを学びました。


今日は、私自身の経験を振り返りながら
「人からどう思われるか」との向き合い方や
「本当の自分を見ようとしてくれる人」の存在
について感じていることをお話しさせてもらおうかなと思います。

 

 

私は昔から周りから「真面目」と言われる生き方をしてきました。
そのお蔭か、目上の方々からもよくしていただけたりして、とてもありがたいなと感じています。

 

でも、その反面で、そんな状況をよく思わない人もやはりいたりもするわけで…
それだけじゃなく、よくしてくださる方の中には「自分の方を向いている間はよくする」けど、ほかを向いた(と感じた)ら、驚くくらいに裏返って敵認定してくる方と出会ったこともあります。

 

正直、そういう方々に出会うと人間不信になりそうですし、「だから目立ちたくないんだ!」という昔の私がむくっと目を覚まして心の中で叫び始めたりもします。

 

ですが、心理士という仕事をさせてもらっているお蔭で、「人ってそんなに強くはないし、完璧じゃない」ということも分かっています。
だから今では「そういう星の元に私は生まれてきたんだなあ。そもそもみんなに好かれるなんて無理なことだし、「ほんとの私」をみてくれる人だけを大切にしていけばいいじゃない」と半分開き直った気持ちを持てるようにもなりました。

 


こんな風に、いつの頃からか「色んな人の色んな思惑の渦に巻き込まれてしんどい思いをするくらいなら一人でいて、自分を大切にしよう」と思えるようになり、少し生きやすくなった私ですが、実は一つだけ気がかりなことがあります。

 

私自身は「周りからどう思われてもいい。結局、みんな好きなように捉えるんだから。一つひとつ訂正なんてしていられない」と思いながら過ごしている中で、そんな私に話しかけてくれたり、色んないいお話を提案してくれたりする方が目の前に現れることが定期的にあります。
私にとっては、とってもありがたいことです。

 

ですが、そんな時に「私と関わって大丈夫かな?この方まで誤解されたりしないかな?」と関わることを少しためらう気持ちが私の心の中に出てきてしまうんです。

 

私の心の中にはいつも「私のことを大切にしてくれたり、優しくしてくださる方のことは私も大切にしたいし、嫌な思いをしてほしくない」という思いがあります。
だから、そんな気持ちが大きくなりすぎたときには「私、こんな風に思われちゃってるので、あまり私と関わらない方がいいかも…」と伝えちゃうこともあります。

 

でも、その方々はそんな私の躊躇する気持ちなんて「そんなの関係ない!気にするな!」と言わんばかりに、潔くまっすぐに私のことを見続けてくださったり、評価してくださるんです。

 

私のことを悪く言う人の話ではなく、自分自身の目で見て、自分自身の心で感じたことを大切にしてくださる。
そんな人の温かさに触れるたび、涙が出そうになるほどに私の心はいつも救われています。

 


このような経験を何度も重ねてきた中で私が学んだこと。

 

それは「全員に理解してもらおうとしなくていい」ということです。
昔の私は「誤解されたら訂正しなくちゃ」「嫌われないように努力しなくちゃ」
無意識にそんな風に考えて行動していることがよくありました。

 

でも今は、人にはそれぞれの価値観や見方があって、同じ出来事を見ても受け取り方は一人ひとり違っているのだと感じています。
そういう意味では、自分について誤解する人がいることも、勝手なイメージを持たれることも避けられないことなのかもしれません。

 

それに、すべての人に理解してもらおうと頑張り続けることは、ゴールのないマラソンを走り続けるようなもので、どんどんつらく苦しく感じるようになってしまうのだと思います。

 


もちろん、誰かを傷つけたり迷惑をかけたりしてしまった時には、自分の行動を振り返ることも大切です。
ですが、自分ではどうすることもできない噂や誤解、人の思惑まで背負っていては、私たちの心はきっと疲れ果ててしまうと思いませんか?

だから私は、「みんなに好かれよう」とするよりも、「本当の私を見ようとしてくれる人を大切にしよう」と思うようになりました。


そして、私自身も誰かのことを深く知りたいと感じたときには、人づてに聞いた話や周囲の評価ではなく、自分の目で見て、自分の心で感じたことを大切にしたいと思っています。
なぜなら、私自身がそうやって見てもらえたことで、何度も救われてきたからです。

 


私たちは、どれだけ真面目に生きていても、誰かに良く思われなかったり、勝手なイメージを持たれたりすることがあります。
でも「誰かに誤解されること」と「私たち自身の価値」はまったく別の話です。

 

だからもし今、誰かの言葉や評価に傷ついている方がいらっしゃれば、どうか覚えていてください。
あなたのことを誤解する人がいることと、あなたの価値は別だということを。

 

あなたらしさを失ってまで、自分のことを誤解している人の誤解を解くために大事なエネルギーを注ぐ必要はありません。

 

そして、きっとあなたの周りにも、周りの声(言葉)ではなく、自分の目であなたのことを見よう、知ろうとしてくれる人がいるはずです。

 

そのような人との出会いは、あなたの人生を支える大きな力になると思いますし、そのような人たちに囲まれながらあなたの魅力を発揮できることで、きっと人生がより豊かに感じられるのではないでしょうか。

 

私も皆さんと同じように、これからも「みんなに好かれること」よりも、「信頼できる人とのご縁」を大切にしながら生きていきたいなと思っています。

 

 

それでは皆さん
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!