皆さん、こんにちは!
ひなたです気づき

 

今日のお話は、対人関係のお悩みとしてよくお伺いする内容です。

皆さんは過去にこのような経験をされたことはありませんか?

 

「なんだか相手が冷たいような気がする」
「相手に悪気はないと頭では分かっているのに心がズキッと感じた」
「自分のことを悪く思われているような気がしてモヤモヤする」


その一方で、それから少し時間が経って、心も落ち着いた状態で振り返ってみた時に
「あれは自分の思い込み(考えすぎ)だったかもしれないな」
「相手にはそんな意図はなかったのかもしれないな」
という風に感じた経験がある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 


私たちは日々、目の前で起きた出来事や人から聞いた話をもとに、その物事をどう捉えるか判断しながら生きています。

 

しかしながら実際には、その判断は単なる「事実」だけによっておこなわれているわけではありません。
私たちは自分でも気づかない間に、これまでの経験や価値観、その時の心の状態などのフィルターを通して出来事を解釈しています


特に人間関係においては、この解釈の内容がストレスの受けやすさ/受けにくさが左右されるように感じています。

 

例えば、誰かに「頑張って!」という言葉をかけられたときに「応援してくれている」と感じる人もいれば、「バカにされている」と感じる人もいると思います。

 

その他にも、相手の何気ない態度(例えば、「目を合わせずに返事をされた」など)に対しても「嫌われているのかもしれない」と不安になる人もいれば、「何かあったのかな」と受け止める人もいるのではないでしょうか。

 


このような解釈の違いは、起きた出来事そのものの内容ではなく、その出来事をどう受け取るかという『心のフィルター』によって生じていて、この心のフィルターが過去の傷つきや思い込みによって偏ってしまっている場合、人間関係において誤解やすれ違いが生じやすくなることもあります。

 

例えば、「私は人から嫌われている」と思っている人は、相手の態度が少しそっけないだけで、「私のことが嫌いだから、こんな態度なんだ」と思い込んでしまうことがあります。
また「私は人からバカにされるような人間だ」と感じている人は、他人の成功談やいい話を聞いた時に、「自分は無能だと言われているんだ」「マウントを取られているんだ」と受け取ってしまうかもしれません。

 


もちろん、実際に相手が失礼な態度を取っている場合もあります。
ですが私たちは、自分の心の中にある不安や負い目、過去の傷つきなどによって、現実を必要以上にネガティブに解釈してしまうことが少なくありません。

 

つまり、私たちを苦しめている原因は、出来事そのものではなく、その出来事に与えた意味づけである場合があるのではないかなと感じています。


それでは、このような認知の偏りに気づき、人間関係のおける誤解や苦しさを少しでも減らしていくためにはどうすればよいのでしょうか。

 

今回は私の考える3つの大事な視点をご紹介したいなと思います。

 


①事実と解釈を分けて考える

まず初めに、意識してみてほしいことは出来事を「事実」と「自分の解釈」とに分けて考えることです。

 

例えば、相手から返信が来なかったとします。
「返信が来ない」←これは事実です。

 

ですが、この事実に対して
「嫌われているからだ」とか「怒らせてしまったに違いない」「もう関わりたくないと思われているんだ」と意味づけをするのは、少し極端な受け取り方だと感じませんか?

 

これらは、あくまでも自分がおこなった解釈なのですが、不安が強まっている時ほど、私たちはこの解釈を事実(現実)だと思い込みやすくなります

 

きっと、心が落ち着いた(冷静な)状態でこの出来事を見つめてみたときには「忙しいのかもしれない」とか「返信するタイミングを逃しているのかもしれない」「体調が悪いのかもしれない」など、様々な可能性を考えることができるはずです。

 

自分が今考えていることは「事実」なのか、それとも「不安から生じた解釈」なのか。
このような客観的視点を持つだけでも、きっと認知の偏りは修正されやすくなります。

 

②別の可能性を探してみる

次に大切なことは「一つの結論だけで判断しようとしないこと」です。

 

人は不安や傷つきを抱えている時ほど、自分にとって都合の悪い結論へ結び付けやすくなります。

 

例えば、友人が挨拶を返してくれなかった時「嫌われた」という結論に結び付けるだけではなくて、「考え事をしていて気づかなかったのかもしれない」「余裕がなかったのかもしれない」など別の可能性がないかを考えてみることが大切です。

 

もちろん、本当に相手の機嫌が悪かった可能性もあるかもしれません。
ですが、物事を解釈するうえで大切なことは、どの可能性が正しいかを即座に決めつけることではなく、「他の見方もある(できる)かもしれない」という思考の柔軟さを持つことではないでしょうか。

 

実は、多くの方のお話を伺っていると、人間関係のトラブルの多くは「自分の解釈=事実」だと思い込むところから始まっているように感じています。
だからこそ、視野を広げることはきっと自分自身を守ることにもつながるはずです。

 

③自分の価値観や傷に気づく(知っておく)

最後に大切だと感じていることは「なぜ私はその言葉に反応したのだろう」と自分自身を見つめる姿勢です。

 

同じ言葉を聞いても、深く傷つく人もいれば、全く気にならない人もいます。
この違いを生み出しているのは、多くの場合、その人がこれまで歩んでこられた経験や価値観ではないかと感じています。

 

もし誰かの言葉に強く反応した時は「私は何を恐れているのだろう?」「過去のどんな経験がこの感情につながっているのだろうか?」「私は自分自身をどのように見ている(捉えている)のだろう?」とじっくり振り返ってみてください。

 

すると、「自分の感情が揺さぶられるのは相手の行動が原因だ」と思っていたことが、実は自分の心の中にある不安や傷つきが関係していたことに気づけることがあるかもしれません。

 

そして、自分の内面への理解が深まるほど、他人の言葉や態度に一喜一憂したり、振り回されたりすることもきっと少なくなっていきます。

 


 

このように、私たちは、日々の出来事を自分の価値観や経験という心のフィルターを通して見ています。

 

だからこそ、自分の解釈や捉え方が常に正しいとは限らないという視点を持っておくことが大切です。

 

・事実と解釈を分けて考えること
・一つの結論だけで判断せず、別の可能性にも目を向けること
・自分の心の中にある価値観や傷つきに気づいていくこと

 

これら3つを日々意識しながら過ごしていくことで、きっと人間関係における誤解やすれ違いは少しずつ減っていくはずです。

 

相手を理解しようとする姿勢はもちろん大切です。
ですが、相手のことは相手の口から相手の言葉で教えてもらう以外は知る由がないほか、それと同じくらい、自分自身の心を理解しようとすることも大切なのではないかなと感じています。

 

つまり、私たちが本当に向き合うべきものは、目の前の相手だけではなく、その相手を見ている「自分自身の心」なのかもしれません。

 


それでは皆さん、
最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

皆さん、こんにちは!
ひなたです気づき

 

 

突然ですが、皆さんはこのような経験をされたことはありますか?

 

「自分は何もしていないのに悪く言われてしまった」
「あの人から誤解されているように感じる」
「自分のことを良く思ってない人がいる」
「周りの噂に傷つくことが多い」

 

実は私自身、このような経験をしたことが何度かあります。

 

そして、その時々の経験を通して「どれだけ誠実に相手と接していても、必ずしもすべての人に理解してもらえるわけではなく、自分の知らないところで誤解されたり、勝手なイメージを持たれたりすることがあるのだ」ということを学びました。


今日は、私自身の経験を振り返りながら
「人からどう思われるか」との向き合い方
「本当の自分を見ようとしてくれる人」の存在
について感じていることをお話しさせてもらおうかなと思います。

 

 

私は昔から周りから「真面目」と言われる生き方をしてきました。
そのお蔭か、目上の方々からもよくしていただけたりして、とてもありがたいなと感じています。

 

でも、その反面で、そんな状況をよく思わない人もやはりいたりもするわけで…
それだけじゃなく、よくしてくださる方の中には「自分の方を向いている間はよくする」けど、ほかを向いた(と感じた)ら、驚くくらいに裏返って敵認定してくる方と出会ったこともあります。

 

正直、そういう方々に出会うと人間不信になりそうですし、「だから目立ちたくないんだ!」という昔の私がむくっと目を覚まして心の中で叫び始めたりもします。

 

ですが、心理士という仕事をさせてもらっているお蔭で、「人ってそんなに強くはないし、完璧じゃない」ということも分かっています。
だから今では「そういう星の元に私は生まれてきたんだなあ。そもそもみんなに好かれるなんて無理なことだし、「ほんとの私」をみてくれる人だけを大切にしていけばいいじゃない」と半分開き直った気持ちを持てるようにもなりました。

 


こんな風に、いつの頃からか「色んな人の色んな思惑の渦に巻き込まれてしんどい思いをするくらいなら一人でいて、自分を大切にしよう」と思えるようになり、少し生きやすくなった私ですが、実は一つだけ気がかりなことがあります。

 

私自身は「周りからどう思われてもいい。結局、みんな好きなように捉えるんだから。一つひとつ訂正なんてしていられない」と思いながら過ごしている中で、そんな私に話しかけてくれたり、色んないいお話を提案してくれたりする方が目の前に現れることが定期的にあります。
私にとっては、とってもありがたいことです。

 

ですが、そんな時に「私と関わって大丈夫かな?この方まで誤解されたりしないかな?」と関わることを少しためらう気持ちが私の心の中に出てきてしまうんです。

 

私の心の中にはいつも「私のことを大切にしてくれたり、優しくしてくださる方のことは私も大切にしたいし、嫌な思いをしてほしくない」という思いがあります。
だから、そんな気持ちが大きくなりすぎたときには「私、こんな風に思われちゃってるので、あまり私と関わらない方がいいかも…」と伝えちゃうこともあります。

 

でも、その方々はそんな私の躊躇する気持ちなんて「そんなの関係ない!気にするな!」と言わんばかりに、潔くまっすぐに私のことを見続けてくださったり、評価してくださるんです。

 

私のことを悪く言う人の話ではなく、自分自身の目で見て、自分自身の心で感じたことを大切にしてくださる。
そんな人の温かさに触れるたび、涙が出そうになるほどに私の心はいつも救われています。

 


このような経験を何度も重ねてきた中で私が学んだこと。

 

それは「全員に理解してもらおうとしなくていい」ということです。
昔の私は「誤解されたら訂正しなくちゃ」「嫌われないように努力しなくちゃ」
無意識にそんな風に考えて行動していることがよくありました。

 

でも今は、人にはそれぞれの価値観や見方があって、同じ出来事を見ても受け取り方は一人ひとり違っているのだと感じています。
そういう意味では、自分について誤解する人がいることも、勝手なイメージを持たれることも避けられないことなのかもしれません。

 

それに、すべての人に理解してもらおうと頑張り続けることは、ゴールのないマラソンを走り続けるようなもので、どんどんつらく苦しく感じるようになってしまうのだと思います。

 


もちろん、誰かを傷つけたり迷惑をかけたりしてしまった時には、自分の行動を振り返ることも大切です。
ですが、自分ではどうすることもできない噂や誤解、人の思惑まで背負っていては、私たちの心はきっと疲れ果ててしまうと思いませんか?

だから私は、「みんなに好かれよう」とするよりも、「本当の私を見ようとしてくれる人を大切にしよう」と思うようになりました。


そして、私自身も誰かのことを深く知りたいと感じたときには、人づてに聞いた話や周囲の評価ではなく、自分の目で見て、自分の心で感じたことを大切にしたいと思っています。
なぜなら、私自身がそうやって見てもらえたことで、何度も救われてきたからです。

 


私たちは、どれだけ真面目に生きていても、誰かに良く思われなかったり、勝手なイメージを持たれたりすることがあります。
でも「誰かに誤解されること」と「私たち自身の価値」はまったく別の話です。

 

だからもし今、誰かの言葉や評価に傷ついている方がいらっしゃれば、どうか覚えていてください。
あなたのことを誤解する人がいることと、あなたの価値は別だということを。

 

あなたらしさを失ってまで、自分のことを誤解している人の誤解を解くために大事なエネルギーを注ぐ必要はありません。

 

そして、きっとあなたの周りにも、周りの声(言葉)ではなく、自分の目であなたのことを見よう、知ろうとしてくれる人がいるはずです。

 

そのような人との出会いは、あなたの人生を支える大きな力になると思いますし、そのような人たちに囲まれながらあなたの魅力を発揮できることで、きっと人生がより豊かに感じられるのではないでしょうか。

 

私も皆さんと同じように、これからも「みんなに好かれること」よりも、「信頼できる人とのご縁」を大切にしながら生きていきたいなと思っています。

 

 

それでは皆さん
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

皆さん、こんにちは!
ひなたです気づき

 

数年前に、私は「私の心理士人生はここまでかもしれない」
そんな風に感じるような経験をしました。

 

当時は、私にとって本当に苦しい時期で、表向きには普段通りの生活をしていましたが、実際には目に映る世界が白黒に見えるような感覚でした。

 

「私は心理士に向いていない」
「私のような心理士が担当で、相談者さん達が可哀想だ」
「私を信じてくれているすべての方に申し訳ない」
そんな自己嫌悪や自己否定を繰り返しながら毎日を過ごしていました。

 


そんな恥ずかしい時期に一番お世話になった方がいます。
たくさん助けていただいて、今の私がいるのはその方のお蔭と言っても過言ではないくらいに、感謝してもしきれないほどの恩人です。

 

先日、その方から本当に久しぶりにご連絡をいただきました。
「わあ!お久しぶりです!」
そう感じたのも束の間。

 

送信者であるその方のお名前を見た瞬間、私は全身の血の気が引くような感覚を覚えました。
「また何かよくないことが起こるのかな…」
そんな不安や恐怖が一瞬にして湧いてきたのです。

 


私は一応心理士なので、こうした反応が起こる理由も理解できます。
私の中で、その方のお名前が引き金(トリガー)となって、当時の苦しかった記憶が一気に蘇ってきたのです。

 

過去のつらい出来事を思い出したとき、今回の私のような反応が起こることがあります。
それは「その出来事がまだ完全に過去の思い出として消化しきれていない」というサインでもあるんですよね。

 

「今はあの時のつらさや苦しみは越えて、心から安心安全だと感じられる環境に身を置かせてもらえているのに、それでもまだ私の心はあの時の傷つきを癒しきれていないんだな…」

 

そんなことを考えながら、
私はSEKAI NO OWARIの「RAIN」を聴いていました。

 

この曲の歌詞に
『虹が架かる空には雨が降ってたんだ
 虹はいずれ消えるけれど
 雨は草木を育てていくんだ』

というフレーズがあります。

 

この歌詞を聴きながら今回の出来事を振り返っていると、たくさんの気づきがありました。
今日はそのことについてお話させてもらいたいと思います。

 


私にとって「雨」は、紛れもなく「あのつらく苦しかった出来事と期間」でした。

 

「果たして今の苦しみから抜け出せる日はやってくるのだろうか」
「もし抜け出せたとしても、今ある環境を守れていないかもしれない」
そんな風に思っていました。

 

今の苦しさから逃れたい。
でも、その先に希望も見えない。
そんな状態でした。

 

当時の私にとって、その雨がいつどんな風に止むのかも正直想像がつきませんでした。
真っ暗闇の中で降りしきる雨の中、一人で立ち尽くしているような感覚だったと思います。

 

ですが、そんな暗闇の中でも、どうにか私は周りの方々を頼ることができました。
信頼できる方々が、私の心を支えたり、身体を気遣ったり、現実的な問題解決などを一緒に考えてくださったりして、全力で支え続けてくださったお蔭で、私はどうにか踏みとどまった状態で「雨」の時期を乗り越えることができたんです。

 


そして、この「雨」は私にこんな「虹」を見せてくれました。

『諦めかけていた心理士人生を続けること』
『私を信頼し、応援してくださる方々の思いを守ること』
そんなかけがえのない景色を見せてくれたんです。

 

「今ある環境に心から感謝したい」
「手を差し伸べてくださった方々に恩返しをしたい」
「ずっと味方でいてくださった方々の思いに今まで以上に応えたい」
この虹のお蔭で、そんな気持ちが私の中に芽生えました。

 


そして、つらく苦しい時期を少しずつ抜け出し「私はちゃんとここまで来られたんだ」と少しずつ安心を感じられるようになってきた頃、今度は私の中に「草木」が育っていることに気づきました。

 

「自分は心理士としてどのように在りたいのか」
「大切な人や大切なものをどのように守っていきたいのか」
「もっと自分自身のことも大切にしながら生きていくという自分との約束」
このような私の人生観そのものを大きく変えるような草木でした。

 


あの雨がなければ、私は虹をみたり、草木を育てたりすることはできなかったかもしれません。

 

今日はSEKAI NO OWARIの「RAIN」の歌詞になぞらえながら「雨」が「虹」を作り、「草木」を育てるということについて、私自身の過去を振り返ってみました。

 


このブログを読んでくださっている皆さんにも、きっと「雨」の時期があると思います。

 

その時期は本当につらくて、苦しくて「もう抜け出せないかもしれない」という風に感じることもあるでしょう。
そして、自分だけが取り残されているように感じたり、自分だけがもがいているように感じたりすることもあるかもしれません。

 

でも私は信じています。
きっと、その雨は終わりを迎え、苦しい時期を越えることができる。
そして、越えた先には必ず、その雨の時期があったからこそ見ることができる「虹」があり、育つ「草木」があるということを。

 


だからどうか皆さんも、今もし雨の中にいるのなら、一人で耐え続けようとしないでくださいね。
誰かを頼りながら…そして、本当に少しずつでいいので、雨が止む日を信じながら一歩ずつ歩いてみてください。

 

いつか振り返った時「あの雨にはこのような意味があったのか」
そんな風に思える日が、きっとやってくるはずです。

 


それでは皆さん
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!