皆さん、こんにちは!
ひなたです気づき

 

 

さまざまな理由から、早く大人にならざるを得なかった人は、
周りの状況を敏感に察知する力が高く
求められていることにも自然と応えることができる傾向があります。


そのため、人から頼られやすく、
「助かる」「ありがとう」と言われる経験も多いのではないでしょうか。

そして気づけば、「誰かの役に立てるなら」「喜んでもらえるなら」と、
自分を後回しにしてでも頑張り続けてしまうことがあるかもしれません。


ですが、この「頑張りすぎ」は、
実はあなたのためにも、周りの人のためにもならない結果を生んでしまうことがあります。

 

「誰かに求められたことに応じることで、褒められたり評価されたりする」

このような経験を繰り返すうちに、「誰かの役に立てる自分」でいることに価値を見出すようになることがあります。

もちろん、周りの人のために動けること自体はとても素晴らしいことです。
 

ですが、「誰かのため」の関わりが行き過ぎてしまうと、相手の成長の機会を奪ってしまっている可能性があるんです。

 


普段、人間関係に関するご相談の中で、
「依存」というテーマもよく出てきます。


「依存されてしんどい」「相手に依存してしまって苦しい」など、
依存する側・される側のどちらからもご相談をいただきます。

これはつまり、「一方がもう一方に寄りかかりすぎる関係」が、どちらにとっても負担になることを示していますよね。


では、なぜそのような状態が生まれてしまうのでしょうか。

 

私が考えるひとつの答えは、
「お互いに相手の境界線を越えてしまっているから」です。


たとえば、「自分を犠牲にしてでも相手のために動く」という行動。

 

これは一見、優しさや思いやりのように見えますが、
実は相手の領域に踏み込みすぎている状態とも言えます。

 

相手からすると、最初は「言わなくても分かってもらえる」「望んでいたことをしてもらえる」ことに安心や喜びを感じるでしょう。
きっと感謝の気持ちも生まれるはずです。

ですが、それが繰り返されるうちに、その状態は「当たり前」へと変わっていきます


そして、少しでも察してもらえなかったり、期待通りに応えてもらえなかったりすると、不満や不足感を抱きやすくなってしまいます。

 

 

さらに深刻だと私が考えていることは、
相手自身が「自分で考え、行動し、自分を満たす力」をどんどん使わなくなってしまうようになることです。

誰かがすべてを満たしてくれる環境にいると、人は自分で自分を支える力を育てる機会を失ってしまうんです。

 

 

実は私自身も、過去に似たような経験があります。

今の仕事に就きたての頃、「人の役に立ちたい」「支えになりたい」という思いが強すぎるあまり、

知らず知らずのうちに相手の境界線を越えてしまっていた時期がありました。

 

確かに、その場では相談者さんの支えにはなれていたかもしれません。
ですが同時に、その方が「自分の人生を自分で歩んでいくための力」を育む機会を奪ってしまっていたのではないか、と今では感じています。


カウンセリングにおいて本当に大切なことは、
「相手を支えること」だけではなく、「その人自身が生きていく力を取り戻していくこと」だと考えています。
だからこそ、その頃の関わり方については、今でも深く反省しています。

 

 

このように考えると、「依存関係」とはどちらか一方の問題ではなく、
双方が相手の境界線に踏み込んでしまうことで生まれる「相互作用」だと言えるのではないでしょうか。

まさに、人間関係そのものの在り方が表れている状態ですね。

 

もしあなたが「依存されてしんどい」と感じているなら、
それは相手があなたに寄りかかっているサインであると同時に、
あなた自身も相手の領域に入り込みすぎている可能性があります。

 

これからは、
「相手からヘルプを求められてから応じる」
「自分ができる範囲を明確にする」
といった「線引き」を意識していくことが大切です。

 

 

相手の「困難を乗り越える力」を、
あなたが奪ってしまわないようにすること


これもまた、相手のことを思う本当の意味での優しさだと私は感じます。


 

一方で、「相手に依存してしまう自分」に悩んでいる方もきっといらっしゃるでしょう。
この場合もまた、境界線が曖昧になっている状態だと考えられます。

 

相手に多くを委ねることで一時的に安心できたとしても、このような関係が続けば、相手に大きな負担がかかります。
そしてもし、その相手が限界を迎えてしまったとき、関係そのものが崩れてしまう可能性もあります。

 

だからこそ、そんなあなたに大切なのは、
「自分は何を感じているのか」
「本当は何を求めているのか」

に気づいていく
ことです。

 

そして、「そのニーズに対して、自分自身の行動で応えていく」こと。
 

自分で自分を満たす経験を少しずつ増やしていくことが、
依存から抜け出す大きな一歩になります。
あなたにはあなたの人生があり、相手には相手の人生があります。

私たちはそれぞれが自分の人生に責任を持って歩みながら、
その過程で他者と関わり、支え合うことで、人生をより豊かなものにしていけるのではないでしょうか。

 

だからこそ、これから大切にしていきたいのは、
「互いの境界線を尊重すること」

 

これは距離を取りましょうということではなく、
「お互いに自立したまま関わっていきましょう」ということです。

 

きっとこのような関係性の中で、本当の意味での安心や信頼を育んでいけるのではないかなと私は感じています。

 

 

それでは皆さん
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

皆さん、こんにちは!
ひなたです気づき

 

 

春になると、「何か新しいことを始めたい」と感じる方が増えてきますよね。
環境の変化や季節の後押しもあって、自然と「やってみようかな」という気持ちが芽生える時期だと思います。

ですが、多くの人が、新しいことを始めるときに無意識のうちにこう考えてしまいます。

「一度始めたからには、最後までやり遂げないといけない」
「どうせやるなら、成功しなければ意味がない」


こうした“完璧さ”や“結果”を求める気持ちが、実は最初の一歩を重たくしてしまっているのです。

実際に、「新しいことを始めたいと思うけれど、なかなか勇気が出ません」「最後までできる自信がなくて始められません」というご相談をよくいただきます。

 


そんな私も、昔は「○○をしよう!」と思い立った時には、立派な目標を立てがちで、その目標(ノルマ)のせいで自分で自分の首を絞めてしまい、苦しくなってしまって、なんとか最後までやりきってもその後「またやろう!」という気持ちにはなかなかなれないことが多かったです。


そんな経験を何度も経ながら、
私なりに「はじめの第一歩を踏み出しやすく、継続しやすいコツ」をいくつか発見しました。

今日はその中でも、大きく2つのポイントをお伝えしたいと思います。

 


① ハードルを下げること

1つ目は、とにかくハードルを下げることです。

大きな目標やゴールを持つこと自体は、とても良いことです。
ただ、そのゴールにいきなり向かおうとするとハードルが高く感じてしまうので、はじめの一歩を踏み出しやすくするためにも、“自分に合った小さな目標”に分解することが大切です。

 

そのときのポイントは、「一般的にはこう」「普通はこれくらい」といった基準ではなく、自分の性格やタイプに合わせて目標を設定することです。

たとえば、「楽しみながら続けられるかどうか」を軸にした“プチ目標”を考えてみる。

これだけでも、取り組みやすさは大きく変わってきます。

 

 

さらにおすすめなのが、最初は短期間で設定することです。
長期間の目標は、どうしても途中で疲れやすくなりますし、コツコツ継続することが苦手な方にとっては、焦りや虚無感につながることもあります。

 

だからこそ、「これなら楽勝かも」と思えるくらいの期間と内容でスタートすること。
小さな達成を積み重ねながら「できた」という感覚を増やしていくことが、次のやる気へとつながっていきます。


実際に私自身も、最近運動不足解消のためにランニングを始めました。
これまでの私は「前回より長い距離を!」「前回より速く!」といった目標を立ててしまい、走れば走るほどに苦しくしんどくなっていました。

 

そこで今回は思い切って目標を変えることにしました。
「距離は一定にして、どんなスピードでもOK!とにかく歩いたら負け!!」

このルールにしたことで、自分が確実に達成できるラインで走ることができ、結果的に“走り切る”という成功体験を積みやすくなりました。

 

さらに、「3週間で計6回」という短期間かつ少回数の設定にしました。
その理由は、私の性格的に長期間の計画だと天候やスケジュールに左右されるたびに焦って自分を追い込む可能性があるからです。

結果的に、この設定は正解で「これならできる」という安心感をもちながら取り組むことができました。

 


② 応援してくれる人・一緒に挑戦できる人を見つけること

2つ目は、人の力を借りることです。

 

応援してくれる人や、一緒に何かに取り組む人の存在は、ときにプレッシャーになることもあります。
ですが、適度な緊張感は、私たちにとって大切な刺激にもなるんですよね。

 

「見てくれている人がいる」
「応援してくれている人がいる」

 

そう感じられるだけで、不思議ともう少し頑張ってみようと思えたり、自分を律する力が働いたりするものです。

私自身も、昨年末からブログを始めとするSNSでの発信を再開しましたが、その継続を支えてくれているのは、まさに「見守ってくれている人たち」の存在です。

 

その他の取り組み中のさまざまな挑戦も、応援してくれている人たちがいるからこそ、自分のペースでコツコツと続けることができています。

 


 

新しい一歩を踏み出すときに大切なことは「立派に始めること」ではありません。

“無理なく始められる形を追究すること”
“一人だけで頑張ろうとしないこと”

 

この2つを意識するだけで、行動のハードルはぐっと下がります。

最初の一歩は、小さくて大丈夫です。

この小さな一歩が積み重なった先に、気づくと大きな変化が生まれているはずです。
 

 

「できるかどうか」ではなく、
「これならできそう」と思える形をつくること。


もし今、皆さんが何か始めようとされているのなら、
どうかこれらのことを大切にしてみてくださいね。

 

 

それでは皆さん
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

皆さん、こんにちは!
ひなたです気づき

 

 

普段、子どもと関わってらっしゃる方とお話したり、
子育てや親子関係などについてのご相談をお受けしたりしていると

 

「あの子、わがままだと思いませんか?」
「どうしたら言うことを聞かせられますか?」

 

というような言葉をよく耳にします。

 

 

こういう場面で、いつも私は返答に困ってしまいます。
なぜなら、その状況が本当にわがままと言えるのか、

相手の人に言うことを聞かせる必要がある状況なのかをその場では判断しかねるからです。

 


一般的に、子どもが「わがまま」とみなされる場面は、
大人や周囲の人の望み通りに物事が進まないときに使われることが多いように思います。

 

そのほかにも、年齢に関係なく
「言うことを聞かない/あれもこれも嫌と言う/指示に従わない」
このような振る舞いをする人のことを私たちは「わがままな人」と判断することが多いのではないでしょうか。

 


でも、私はここで一度、皆さんに立ち止まって考えてみてほしいのです。
これらの行動や態度をすべて「わがまま」という一言で片付けてしまっていいでしょうか?


「わがまま」という言葉は、皆さんが考えている以上にインパクトの強いラベルです。
一度思い返してみてほしいのですが、「この人はわがままな人(子)だ」と決めつけてしまったら、

無理やり言うことを聞かせようとしたり、逆に「もういい」と諦めて関わりをやめてしまったりしてしまいませんか?

 


どちらも一見ラクな対応に見えますが、長い目で見ると人間関係に亀裂を生んでしまう関わり方であると私は感じます。
なぜならそこには、「相手の気持ちや意思を理解しようとする姿勢」が欠けてしまっているからです。

言い換えると、「わがまま」というラベルを誰かに貼ってしまったら、その後、多くの人はその人の言葉や態度の“背景”に目を向けなくなってしまうのです。

 


そして、日々、さまざまな方とお話をさせていただいている私としては、
その人の「反応(言動)」そのものだけではなく、「なぜ(どのような背景から)その反応になったのか」という部分にも思いを馳せることは良好な人間関係を築くうえでとても大切なことだと感じています。

 


その理由を、一つ具体例を挙げてお話していきますね。

 

たとえば、Aさん(この場合、大人・子どもどちらでイメージしてもらってもOKです)の手が空いていそうだったので、

あなたがサポートをお願いしたら断られてしまったとします。
そのとき、「(手が空いてるはずなのに)断られた」という事実だけを見て「わがまま」と判断してしまうのは早計だと思いませんか?

 

 

もしかしたら、Aさんは
「ただなんとなく気分で断ったのかもしれない」
「疲れていて余裕がなかったのかもしれない」
「ほかにしていることがあって、今はそちらを優先したかったのかもしれない」

 

それ以外にも考えられることとしては、頼まれごとの内容を聞いて
「過去の失敗経験を思い出して、自分には無理だと感じたのかもしれない」

 


このように、「断る」という行動の背景には、さまざまな理由や感情が存在している可能性があるので、お願いした側の価値観(見え方や受け取り方)だけで相手の心情を決めつけてしまわないように気を付けることが大切です。

 


もしも、Aさんとのやり取りなどを通して、Aさんが特に深い理由もなく、その場の気分や衝動だけで断っているということが分かったら、どう関わっていけばいいかを考える必要があるかもしれませんね。
その場合には、伝え方を工夫して、相手のやる気や納得感を高めたりする関わりが有効になることもあるでしょう。

 


一方で、もしも、Aさんなりの理由や気持ち(意思)があっての選択(結果)であったとしたならば、まずはその部分に心の目を向けてみることが大切です。
また、このような場合に心がけてもらいたいことは「相手を従わせようとすること」ではなく、「理解しようとする姿勢」です。

 

ここを見誤ると、相手との関係性に大きく悪化してしまう可能性があるので要注意です。

 

なぜなら私たちは、自分の気持ちや考えを無視され続けると、相手に対してどんどん心を閉ざしていき、そのような関係性の中では安心して動くことが難しくなってしまいます。

 

一方で、多くの人は「なぜそう思ったの?」「どういう理由があってそのように答えたの?」と、目や耳、心を傾けてもらえると、少しずつ安心して自分の内側を表現できるようになります。

 


安心して胸の内を表現してもらえるようになると、相手との関係に大きな変化が起き始めるのですが、それはどのようなものかというと…

「そのままでは引き受けることはできない」と感じてことが、「少し条件が変わればできる」に変わる可能性が出てきます。
つまり、先ほどの例でいくと、Aさんに完全に拒否されたように見えていた行動が、実は“調整可能なもの”とわかるかもしれないということです。

 


このように、お互いに歩み寄り、妥協点を見つけようと試みることで、新しい選択肢が生まれたり、違った結果を得られたりすることがあるんです。
「わがまま」とラベルを貼ってしまった時の結果と大きく異なると思いませんか?

 


ですので皆さん、これからはぜひ「わがまま」という言葉で片づけてしまう前に、一呼吸おいて考えてみてください。

これは本当に「ただのわがまま」なのか。
それとも、その人(子)なりの理由や気持ち(意思)があるのか。

 

その違いを見ようとする姿勢があるかないかで、相手との関係性の質は大きく変わっていきます。


人を理解することは、時間もエネルギーもかかりますが、このひと手間を大切にすることで「従う/従わせる関係」ではなく、「共に考えて動いていける関係」をつくっていけるはずです。


それでは皆さん
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました!