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だんなさんはINDIAN

日本(国立)大好きのIndianであるダンナサンとの日々をつらつらと。

今日は、ご近所のれいこさんが、ロールキャベツをおすそわけしてくれた。

美味しい。。はらぺこだったのでぺロリといただいてしまった。

ダンナサンが帰国して「寂しいな」と枕を濡らすシオらしさも

もちあわせているのだが、一方で「今こそ日本食を食べよ!」と

違う意味で元気な自分がいる。

ここ数日は米もうどんも売っていなかったが昨日から店頭に

並び始めたので、いそいそと買い込む。

昨晩は久しぶりに月見うどんを食す。あー「だし」って美味しい。

そして今日は韓国ノリ。これは日本のコメにあう。

うちはRed Onionが基本で、add Beans、add EGGの

超シンプルな料理が多いが、芽がにょきにょき出てるし、

卵もダンナサンが買っといてくれて大量にあるので、

Red Onion & EGG 丼で、仕上げに韓国のりをまぶした。

こういう変化を楽しみつつ、

つーか太らないようにしないと(´0ノ`*)




先週の木曜日、ダンナさんはインドに帰国した。

一緒に行こうといわれても「行けない」。

「仕事があるから」が一番の理由だけども、

今日本を去る気持ちにならない、のだ。

しかし、彼の家族は胸を張り裂けんばかりに

息子の安否を心配しているだろう。

11日の夜中、会社に泊ってる妹と連絡がとれず、

両親は不安で不安で仕方なかった。

同じ日本にいるけど、姿が見えなければ、

声が聞こえなければ、安心できないのだ。

彼の帰国を通して、日本の避難体制や原発への対応を

もう一度考えた。

そうだ、彼らの帰国は(比べちゃ悪いが)動物の勘と同じだ。

このままじゃだめだよ。

そう、だめなのだ。

あと少し我慢すればいい?節電すればいい?

いえいえ、まだまだ危険は何も去ってない。

むしろ今こそ、エネルギー施策について、安全体制の確立について

考えなければいけないのだ。

官僚主導にしてたのは国民だ。政府はおバカだが、それを怒る暇が

勿体ない。もっと深部にある悪の連鎖を放置していた自分たちを

反省し、もっと考え、正しい情報を集め、判断しなければならない。

日本人を称賛する声には感謝するが、それに励まされてる場合ではない。

もっと「攻め」の姿勢でわが国土を、わが身を、わが周囲の人を

守ろうと意識をしなければならない。

外国人の帰国は「攻め」の姿勢なのだ。

しかし、私達は日本人だ。日本を捨てない、日本を守るのだ。

twitterのTLがかなり熱い。

同窓生、仕事の知り合い、twitterでのフォロワー同士と様々な横縦糸が

多くの情報を発信しあってる。

その日その時間、青山一丁目の取引先で打合せをしていた。

慣れ親しんだグラっと感に最初は、「あ、地震」のような感覚だったが、

数秒後には「これは本物だ(偽物ないけど)」と思って

デスク下に隠れた。

揺れが治まり、テレビを観ると異常な事態が映ってる。

見てはいけないものを観ている気がした。

でもこれはCGで作ったものでもなんでもなく、リアルなのだ。

その後、マヒした交通状態をかいくぐり、

また数時間で復旧するかもと馬鹿な期待をして歩きはじめる。

青山一丁目から赤坂見附~赤坂から虎ノ門。人の流れに呑まれ道の選択を

大いに間違ったことを悔いつつ「ま、急いでも仕方ない」などと休憩。

しかし一向に鉄道は動かず。霞が関から日比谷、大手町と歩くうちに暗くなり、

人出はさらに増していく。大手町はアフタ6か7でヘルメットを会社から

支給された人がごそごそ出てくる。人の渦はさらに大きくなる。

一旦休憩と店を探すが、どこも一杯。野村ビルの地下にもぐり込む。

なぜか飲み会。諦めモードなのか、呑気だ。しかし喫煙席しかない。

待機してても電車動かず、すでに8時。

煙の臭いにあぶりだされるように出てタクシーに乗ろうと列に並ぶ、が寒い。

そして当然こない。列は前に進むが並んでるひとが諦めて離脱するだけだ。

私も離脱。大手町から神田須田町に向かう、お茶の水、湯島‥島天神の梅も

ひっそりとして返って不気味。上野だあと一息。

ここの近道は知ってるが、家康のお家の前は暗い。やめとこ。

東天紅を右手にずんずん進む、根津、千駄木、ヒト駅ってこんなに歩いたっけ?

ここで足がガクガク、寒いし、千駄木コーヒーであついカフェオレを飲む。

よしラストスパート、西日暮里、町屋(GOAL)。駅近の実家に感謝。

帰ると母が「そうよ、生きていくんだから、歩かなきゃ。銭型平次はさ、

『おう八、品川宿までひとっぱしりいってくんな』って言ってたんだからねぇ。

黒門町から品川だもんねぇ」その明るさに疲れも吹きとぶ。

そうだ、生きてくことは、自分の足で歩くことだ。


翌日一人残したダーリンの元に帰る。国立まで2時間半もかかった。

彼は地震の経験がなく、数年前のスマトラ沖の時は日本にいて、

その前は15000年前だったそうだ。。。