残業帰りの夜道、家の近くにきたけど
何やらタムロしてる‥
さあどうする、私は疲れてる、お腹すいた‥
A 電話をして家の人に迎えにきてもらう
B 歌を歌いながら堂々と歩く
一人暮らしや、家人が留守なら迎えにきてもらえない、
歌うほどのパワーも度胸も、、、ない。
そう、自分を守るって実に難しい。
昨晩は友達が一緒にいて「ここで見てるから、気をつけて帰って」
そういってくれたから、安心して家に入れた。ありがたかった。
震災で思い知らされた「安心しすぎて生きてたこと」に。
孫さんが、「人命を守るが行動の規範であるべき」といってた。
その通り。
リスクマネジメント、CSRといって企業は沢山のマニュアルを
作って「監査」に備えてる。
でもそんなもの、有事には役にたたない。
危機がそこにある時にどう動けるか。何を軸に対策をたて実行できるか‥。
話しは飛ぶが都知事選でワタミの社長がでてきたが、彼には無理だと思う。
社長は「鶴のヒト声」でヒトが動くことに慣れてる。孫さんもそうだ、
決断できる権限をもってるし、その決断で会社がつぶれるか儲かるかが決まる。
日々瞬間、瞬間、「決断」の訓練をされて「結果を出して」いるのだ。
しかし行政は違う、スピード感も規模も、一企業の比ではない。
よく「一般企業じゃありえない」とコメントする方がいるが、
そもそも違うのだ。利益を求めているのではない、そこにお住まいの方々が
なるべく平等に、なんとか安心して生きられるパブリックサービスを
提供するのだ。そして提供するパブリックサービスは法律によって決められている。
鶴のヒト声で変えられない。その法律を一緒に考えるのは、そのにお住まいの方々の
代表(らしい)議員という面倒な輩を味方にしたり、追い詰めたりしなければならない。
その時に自分を助けてくれるのが、役人なのだ。さらに遠巻きにお住まいの方々が
「難しいことは判らないけど」と無責任に、じーーーと見てる。
決断力の早さ、行動そのもの、全てにおいて政治家よりも経営者の方がカッコいい。
カッコよく生きたければ、経営者でいればいい。
とはいえ、政治家が愚図で脳がなくて、勇気がないとお住まいの方々は感じている。
それが、平時は気にならないが、非常時には気になって仕方ない。
政権交代も政界再編もどうでもよくなってる。
結果を出してくれ!いつもヒト任せのそこにお住まいの方々は、決断を求める。
非常時には、決断力と行動力がリスペクトされるのだ。
さて‥自分ひとり、家族、ご近所さま、せめてその位は守れる自分でないと。
やいのやいの言ってられるのは、安全圏にいるからだ。
但し、安全圏にいるうちに、未来のことを考えないといけない。
被災者の方は、明日どう生きるかを悩む。当然だ。
そうでない自分は、未来をどうするかを悩まなければ。
原発も止めたい、新しいエネルギーも作りたい、避難させてあげたい
暖かいもの食べさせたい、清潔な服を着させたい、農業、漁業、畜産業等
生業を失った方の生活を保障して何か仕事を作りたい、親を失った子供を守りたい、
弱いお年寄りを助けてあげたい。
やりたいことは沢山あるのに、自分ひとりじゃ何もできない。
だからこそ友達が仲間が会社が知り合いがご近所が、そして政治が大事なんだ。
そして非力な私も「ここで見てるよ」とすぐに言えるヒトでいないといけないんだ。