今、ここの自分に好奇心をもつ

骨の固さ、血液やリンパの流れ、臓器、筋肉や皮膚の感じ

治すようにではなく、
ひとつひとつに出逢うように
呼吸と共に
気づいていく

動きが出てきたらそれにも従う


そして、今、ここの体が
のっている大地にも気づく

そこに染み込んでいくように
自分の重さを預けていく

自分はどんな風にそれを感じるのか?


体がどんどん広がってゆく

粒子になって大地に溶け込んでゆく


そこで混ざりあう心地よさ


大地と一緒に、呼吸する…

深く
静かに
ゆっくりと


そして、そこに生きる
他の生き物たちとも一緒に呼吸する…


そして、

大地から受け取っているものにも気づく

光の粒子のような

優しさ
強さ
許し
栄養

それを体いっぱいに
満たしていく…






私は、時々、私自身を、
マリアさまの型にはめようとしている。

いつもにこにこして、
愛に溢れて、怒ったりしない。

それを完璧な理想像として、
まるで和菓子を作るように
自分をその木型に叩き込んではめようとする。

でも、それに抵抗する部分もあるものだから、
大抵は型からちょっとはみ出して終わる。

「あぁまだダメだ。完璧じゃない」

そういって、木型の横に散らかったものたちを見てうんざりする。


そんなことを繰り返してた。

でも今日は、はめるのをやめて、
思いきり私を伸ばしてみた。 

なんの遠慮もなく、
声を出して、体を伸ばすと、
私がどんどん広がっていくのが分かった。

遠くの遠くの空まで、
「私」は大きく広がっていった。

それは本当に気持ちの良いものだった。




気がつくと、
私は静かな白い海の中にいた。

波がなく、鏡のようになった水面が
真っ白な雲を反射して、
どこまでもどこまでも広がっていた。

その広大な海の真ん中で、
私は大きなスペースを感じていた。
 

私の肋骨は大きく開いて、
その広大なスペースと繋がっていた。


この体全部で、
息をしていた。


そこは、すべてが許される場所だった。

型にはまる自分も、
型にはまらない自分も、
ジャッジする自分も、
ぐちゃぐちゃな自分も、

その海の中では許されていた。

寄せては返す、
優しい、波の音。

そのあたたかい波に包まれていた。


私は、こんなに大きくなっても大丈夫。
ちっちゃくても大丈夫。
叫んでも大丈夫。
たくさん愛しても大丈夫。

だれも傷つけないし、
許されている。
 


私は、私を、許すことができる。



私にとっての「許し」は、
マリアさまの型にはまることじゃなくて、

海のように、
すべての枠を超えてゆくことだった。




クリスティン・プライスのゲシュタルト・アウェアネス・プラクティス(GAP)オープンシートでの気づき


お芝居や公演をみて
「もっとこうしたらいいのに」って
思うことが増えた

単純に言えば、
純粋にただ楽しむってことが
出来なくなってきたのかもしれない

もちろん私には絶対思いつかない発想で
絶対につくれないものを創っているのだけど
それは本当に心からすごいと思うのだけど

なんか、すごくシンプルなことで
私がそこに、「入っていけるか」どうか

「入っていけない」とき
途端に私はそこから切り離される
それは遠い世界の他人事に変わる
心が全く動かない
心に何も入ってこない

その取っ掛かりは
興味関心、経験、バックグラウンドとか
そんなちょっとしたものだったりするから
わたしが「入れる」ものに
他の人は「入れない」ときもある


これまでは
「入れない」ものをみたあと、
モヤモヤした苛立ちや疲れ、虚しさを感じてた


でも、今日気づいたのは
私のからだのなかを
掻きまわしながら昇っていくエネルギー

「私ならこうする」という想いが

「私はこれを創りたい」というエネルギーに変わる

私の創りたいものが 
もっとはっきり見えてくる 


私と「違う」ものと出逢うことで、
「私」はもっとクリアになる

「私」の表現が生まれてゆく

だから、どんなものでも
どんな存在でも
どんな表現でも 
どんな言葉でも
どんな価値観でも

私と「違う」ものを忌み嫌うのではなく
攻撃と見なして排除するのではなく

「私」自身を
よりクリアに見せ
気づきを与えてくれるものとして

どんどん出逢ったら良い

そうやって
私はより、
「私」の輪郭を知っていく