私は、時々、私自身を、
マリアさまの型にはめようとしている。
いつもにこにこして、
愛に溢れて、怒ったりしない。
それを完璧な理想像として、
まるで和菓子を作るように
自分をその木型に叩き込んではめようとする。
でも、それに抵抗する部分もあるものだから、
大抵は型からちょっとはみ出して終わる。
「あぁまだダメだ。完璧じゃない」
そういって、木型の横に散らかったものたちを見てうんざりする。
そんなことを繰り返してた。
でも今日は、はめるのをやめて、
思いきり私を伸ばしてみた。
なんの遠慮もなく、
声を出して、体を伸ばすと、
私がどんどん広がっていくのが分かった。
遠くの遠くの空まで、
「私」は大きく広がっていった。
それは本当に気持ちの良いものだった。
気がつくと、
私は静かな白い海の中にいた。
波がなく、鏡のようになった水面が
真っ白な雲を反射して、
どこまでもどこまでも広がっていた。
その広大な海の真ん中で、
私は大きなスペースを感じていた。
私の肋骨は大きく開いて、
その広大なスペースと繋がっていた。
この体全部で、
息をしていた。
そこは、すべてが許される場所だった。
型にはまる自分も、
型にはまらない自分も、
ジャッジする自分も、
ぐちゃぐちゃな自分も、
その海の中では許されていた。
寄せては返す、
優しい、波の音。
そのあたたかい波に包まれていた。
私は、こんなに大きくなっても大丈夫。
ちっちゃくても大丈夫。
叫んでも大丈夫。
たくさん愛しても大丈夫。
だれも傷つけないし、
許されている。
私は、私を、許すことができる。
私にとっての「許し」は、
マリアさまの型にはまることじゃなくて、
海のように、
すべての枠を超えてゆくことだった。
クリスティン・プライスのゲシュタルト・アウェアネス・プラクティス(GAP)オープンシートでの気づき