毎日のつぶやき(考現学)2カ月の総括として。
過去からの贈与、わからないから面白い未来、それをつなぐ媒体としての現在の私。
これで盤石じゃ~ないか。
思えば、充実したパンデミック期の旅であった。
もう前には戻らない。
毎日のつぶやき(考現学)2カ月の総括として。
過去からの贈与、わからないから面白い未来、それをつなぐ媒体としての現在の私。
これで盤石じゃ~ないか。
思えば、充実したパンデミック期の旅であった。
もう前には戻らない。
「ボジティブ・ワードより、わからない、かなわないといった『不 可能性』を体験することの方がうんと大事だと。、、そういう『嬉しい敗北』から出発してこそ人は前に進める。」(美術家 小山田徹 本日5/21の朝日新聞「折々のことば」より)
「芸術なんてものは、おなかを満たしてくれるわけではない。お金を生み出すかどうかもわからない。・・僕の音楽に力なんてないですよ。何かの役に立つかどうかもわからない。役に立ってたまるか、とすら思います」(音楽家 坂本龍一 朝日新聞取材 井上淳之典さんの本日5/21FBより)
「人類最初の交換は、『沈黙貿易』にみられる。何かと何かを取り替えたいという欲望が最も亢進するのは、そこで取り替えられつつあるものの意味や価値がよくわからない時なのです。」「私たちが、相手から一番聞きたい言葉は、『もうわかった』じゃなくて『まだわからない』なんです」(思想家 内田樹 本日5/21再読していた『先生はえらい』より)
たまたま本日出会った3つの一説が共通して示しているのは、「わからない」ことの力学である。人は「わからない」からこそ前に進もう、つながろうという欲求が生まれるという。
コロナ禍により未来がどうなるのかわからなくなっているのであれば、「わからない」ことの力学をうまく使わなきゃ。
毎日のつぶやき(考現学)では、できるだけ今日の気づきや学びや問いを書くようにしていますが、本日は、大学受験生を持つ親としてのまったくのつぶやき(勝手な意見)です。
大学の入学案内パンフレットが送られてきたり、もらってきたりしているが、どこの大学も同じようなことを主張しているようにみえて残念な気持ちなんです。そのキーワードが、だいたいこの3つ。「グローバル人材」「SDG’s」「フィールドワーク」だ。
一斉に同じようなことを主張し出すと、やはり言葉の質量が軽くなる。私がそこに目が行ってしまうのがいけないのか、パンフ発注先の広告代理店のせいなのか、国家の方針なのか。
「グローバル人材」も「SDG’s」もどこまで本気なのか、相当気になるが、私としては特に「フィールドワーク」と言うワードに疼(うず)いてしまう。
学生時代に人類学系を専攻し、恩師からは「少なくとも1年を通じて現地の人々と生活を共にしないと、何もわからない」と言われてきた者からすると、パンフの「わが大学のカリキュラムでは、フィールドワークを大切にしています」の言葉が軽すぎて、、、まさにキャッチコピーだな。
それにしても「フィールドワーク」なんて手法は、多くがやりたいとは思わない、変わり者による「影」の行為だと思っていたが、今はキラキラとした「光」の行為に仕立てられていることも不思議な感じだ。
現地(フィールド)で生き、暮らし、生業を立てている人々のことを知るために、また、そこに住む人々の価値感に少しでも触れるために、できる限り現地に住み込んで、暮らしを観察し、心を交わすことが、本質に触れる学問の「フィールドワーク」であったはず。
学校のカリキュラムの中で先生が設定した数泊の合宿で、現地に暮らす人々のことが、どこまでわかるというのだろうか?
「グローバル人材」や「SDG’s」についても、しかりである。パンフレットのキャチコピーとは違い、実際に大学に入学することができたのなら、深い学びがあることを期待しております。