不思議なんです。つぶやきを書こうとするパッションが薄れているのです。緊急事態が解除され、平時に移行するとともに筆圧が低下してきました。

自分の中の問いに対して、2ヶ月間つぶやき続けることである程度の答えを出したからなのか?、無意識に感じていたパンデミックの緊張感がほぐれて伝える意欲が低下したからなのか? 日常業務の波がやってくるプレッシャーが内面の感性を鈍らせているのか?

こうした筆圧の変化に気づくのは、毎日書くと決めているからです。ルールを設定しているからこそ、気持ちの変化が見える。

自分を実験台にして、その変化を観察することで分かることってあるよね。

「人間は自分のごく小さな動作でも、一旦空想に方向づけられてしまうと、意志では訂正できないのです。」(野口整体の創始者である野口晴哉著『風邪の効用』井上淳之典さんの5/24のFBより引用)

これと同類のことは、いつも経験している。犬と散歩に出かけるとき、道の角に来るたびに、その時の気分で方向を決めるようにしている。すると、だいたいが出かける直前にイメージしたところに向かっていくことが多いことに気づく。

その時々の判断よりも、最初に浮かんだイメージが勝り、その方向に人は向かっていくように思える。

ひょっとして、それぞれの働き方もそうではないだろうか? 会社を辞める時、それぞれに理由はあるが、自分や周りが納得できる理由を後からつけるのであって、はじめから辞めるイメージを持って働いていたのかも(職場を定年まで続けられる人は、逆に、やり通すイメージを先に持っている)。自分の場合は、結局、独立するまで何回も会社を辞めている。

これを考え出すと、ちょっと恐ろしくなる。だって、人生は偶然の積み重ねではなく、最初のマインドセットで人生の方向が決まってしまうという話しだから。

パンデミックが始まり、その終焉(日本での)とともに、私のつぶやき(考現学)の旅もファイズ1が終わった気がする。

旅から帰った後に、旅のアルバムを整理するように、時々のキーワードを整理したくなった。キーワードは、旅で訪れた街のようなものだ。

旅は、やさしい強さの希求から始まる。
「やさしくなるためにレジリエントな強さが欲しい」3/13
「彼は道を通ってはいるが、その道を歩んではいない」3/17
「敵に近寄らないのが、修業の奥義」3/21
「サイエンスの歴史は、無知の発見から始まった」3/19
「しんがりのフォロワーシップが求められる」3/22
「簡素に生きていけば、人は自由なんだ」3/25
「他者からの贈与に気づいたとき、僕らは大人になる」3/29
「経済学の教え…およそ人間は、命令では動かない」4/02
「動的平行とは諸行無常の中で自己複製を繰り返す奇跡」4/04
「文明が麻痺しているときは『ブリコラージュ』で」4/07
「荷をおろし、手を放し、飛ぶ」4/10
「人間は自由の刑に処されている」4/12
「起業するなら未熟な方がいい」4/17
「ファシリテーターやるなら未熟な方がいい」4/18
「リスクを自分で取れることは、むしろ天国なのだ」4/19
「どうシフトするのか?それを一緒に考えたい」4/20
「ユーモアは慈悲である」4/21
「真性理念、真性対話、真性技術による創発する組織」4/24
「散逸構造論から散逸適応論へ」4/28
「いかだ型組織からティール組織へ」5/02
「オン呑み、そのココロはローカルシフト」5/03
「言葉にも、重さ、圧力、磁力がある」5/04
「SNSの風に吹かれて」5/09
「『○○のために』がない。そこにこそリアリティがある」5/10
「学問とは、自分という存在を知ること」5/12
「自分は媒体であると思うと自由になれる」5/12
「組織全体がヘルシーになっていればティール組織」5/13
「世界は贈与でできている」5/14
「仕事の仕方と、幼いころの遊び方が似ている」5/15
「遅れのポジションで育つ」5/16
「サムシンググレートな存在からのギフト」5/18
「つながりはつくるものではなく、生まれるもの」5/19
「貨幣は、七変化の手強いジョーカーなんだ」5/19
「人はわからないから前に進める」5/22

3/13に「やさしい強さの希求」から始まった旅の総括として
「過去からの贈与、わからないから面白い未来、それをつなぐ媒体としての現在の私」5/23 に至ったわけだ。