みんなのものであった土地を私有化していくと、頑張った分だけ自分の努力が報われる。それで革命を起こした時代があった。自分が頑張ってもその努力が報われないとなると私有してきた先祖代々の土地を見知らぬ誰かに売ってしまう時代もある。どちらも産業資本主義時代のことだが、初期と末期では、同じお金の論理で人々の行動は逆転する。豊田の里山にある地域資源を未来の世代に橋渡しするために、私有化してきた地域資源、中でも子孫が喜んで受け取らない農地や山林を、有志でコモンズ(共有地)として維持保有し、みんなの知恵で活用しながら保全する道を探れないだろうか? そんな時代の矛盾を抱き込んで「とよさとコモンズ」設立へ。    

米の自給と暮らしの安心

うちも「自給家族」で、米騒動の影響なし。自分じゃコメを作れないけど、仲間(コンセプトとしては家族)が作ってくれています。

 

鈴木辰吉さんのフェイスブックより

「令和の米騒動」で米価が暴騰しています。しかし、しきしまの米生産農家にはどこ吹く風。家族と頼まれた親戚、知人のための米を生産し、先祖から受け継いだ大切な農地を荒らさず次世代につなぐだけ。市場に出荷する農家は、ほとんどありません。

米を消費する家族、親戚知人が減ると農地が荒れていく、それを防ぎたいから家族を増やして農地を守る。しきしまの家が、農村に思いを寄せ、安全で美味しいお米を求める「自給家族」につなぎ、お米の受け渡しなどを担う。

暮らしの安心を求める生産者と消費者が一つになれば、「米価」は家族で決められます。需要と供給、様々な思惑で乱高下する市場原理とは一線を画す「自給家族」の仕組みは、長く続いた自給自足の暮らしに通じます。

「しきしまの家・自給家族」の募集枠はあとわずか。まだ間に合います。

たまたまチャンネル回していたら、「吉増剛造×佐野元春のスウィッチインタビュー」(昨日のETV22時より)がやっていて、見入ってしまった。

 

プロ野球中継に飽きてチャンネル回していたら、たまたま「海で泳ぐ!狩る!謎のオオカミ ~ダーウィンが来た~」(本日のNHK14時過ぎ)がやっていて、見入ってしまった。

 

どちらも「探す」ことに貪欲なのだ。自分が表現すべきことが何なのかを探しつくして、詩や朗読として表現する2人。海辺で生きるようになって、海の獲物を探しつくすオオカミ。

たまたま出会うのだけど、目が留まり、引き込まれるということは何かあるよね。たまたま、、たまたま、、。

 

たまたまに触れられる日常が戻る。年度末納期の業務からそろそろ脱出だ。