ここ3日は「自分にとっての学び場」というテーマで、村田の学び事例をもとに、どんな時に学びが起きるか、学び場が生まれるかを整理してきました。

並行して再読していた「日本辺境論」(内田樹著 新潮新書)にちょうど、学び方についての一説がタイミングよく出てきたので紹介します。自分の事例を振り返っても、これは学びの神髄と思えるのです。

『「学び」という営みは、それを学ぶことの意味や実用性についてまだ知らない状態で、それにもかかわらず、これを学ぶことがいずれ生き延びる上で死活的に重要な役割を果たすことがあるだろうと先駆的に確信するところから始まります。学びはそこからしか始まりません。』

『その「まだ知らない」ということがそれを学ばなければならないという当の理由なのです。そういうふうな順逆の狂った仕方で「学び」は構造化されています。』

『この力(今はその意味やその有用性が表示されていないものの意味や有用性を先駆的に知る力)は資源の乏しい環境の中で生き延びるためにに不可欠な能力だったのです。…狭隘で資源の乏しいこの極東の島国が大国強国に伍して生き延びるためには、「学ぶ」力を最大化する以外になかった。「学ぶ」力こそは日本の最大の国力でした。』

『日本人の「学ぶ力」(それが「学力」ということの本義ですが)が劣化し続けているのは、「先駆的に知る力」を開発することの重要性を私たちが久しく閑却したからです。…ですから、「学ぶ」力を失った日本人には未来がないと私は思います。現代日本の国民的危機は「学ぶ」力の喪失、つまり辺境の伝統の喪失なのだと私は考えています。』

自分のことを振り返っても、内田氏の論は全く当てはまります。人生のターニングポイントとなる学びは、予期せずやってくるとと同時に、出会った瞬間に、これは面白そうだという予感だけはあるのです。そして、自分が常に遅れのポジション(辺境)にあるといった意識が学ぶ姿勢を呼び起こす。

また、こう言っては大変失礼でもありますが、師匠が誰であれ、学ぶ側の弟子が、この人からなんか学べそうだと思ったときに、師匠は師匠になるのであって、師弟関係は弟子側の問題なのです。師匠をフィールド(現場)に置き換えても同様でしょう。

ここに至って、世界の辺境にある日本人にとっての学び場は、①師弟関係をつくる ②フィールドワークの構えを持つ、ことから生まれると結論付けたくなりました。今多くの大学が口を揃えてアピ―ルしている教育ポリシー「グローバル社会に対応したリーダーシップ教育」は辺境にある日本の大学では実を結ばないんじゃないかな。

昨日のつぶやきは、(あの山に登りたいという)ビジョンを描くこと&覚悟を持って行動すること、この2つによって生まれた学び場体験であると整理しておきたい。少々起業の学びに似ている。

さて本日のつぶやきは、大学院時代のフィールドワークによる学びである。

私が大学院に進学したのは、「連れション」のようなものであった。決して研究者になろうとか、それなりの成績であったとかではない。一緒に山を登った親友が「俺は大学院に行くから(彼には研究テーマがあった)、お前も一緒に勉強しようぜ」と何回も説得されて「それならやってみるか」的な「連れション」進学である。当然のように就職するつもりであったのに。

大学院に入ってみたら当初の想定と風景が違っていた。この辺りは以前のつぶやきで書いたことがある。とにかく魅力的な先生たちに出会ってしまったということ。だから、専攻も大学時代の森林生態学からいとも簡単に生態人類学に乗り換えた。

どのように先生が魅力的であったかというと、学者でありながら、やくざ的な匂いがする魅力。大学に足場を置きながらも、一人はネパールを縄張りに、一人はタンザニアやザンビアを縄張りとする規格外の大人たち、多分これに惹かれてしまったのだ。

惚れちゃったので、この「知的やくざ」(本物のやくざも随分知的とは思うが)の仲間に入れてほしいと頼んだら、我々の組には掟があるといわれた。その掟がフィールドワークであった。

掟一、フィールドワークをすること
掟二、自分でフィールドを探すこと
掟三、先生はフィールドの人たちであること

3つの掟を守る約束をして組に仮組員とさせてもらった。そして、講義もそこそこにフィールド探しに入る。自然の中で生きる人たちの生きざまが知りたくて、まずは、長野県飯山辺りの放牧林業に関心を持ち、現地に旅立つ。そこから足を延ばして新潟県境の豪雪地帯といわれる長野県栄村に行って民家に泊めてもらう。

組の兄貴分らがフィールドとしていた岩手県北上山地安家の山人、岐阜県朝日村日和田のわらび採集民、三重県志摩半島の海女を訪問。なんか山より海に行ってみたいと思い立ち、金沢から能登半島に入り内灘から外灘の漁村を訪ね歩く。そして出会ったのが、能登半島門前町深見の人たちである。

海岸沿いの小川で採りたての岩ノリを洗う女性たちに惚れてしまった。すぐに頼み込んで、しばらく泊めてもらう約束を取り付けた。ここまでで約2~3カ月だったか?

これでようやく組に入れてもらえる条件が整い「頭、やりましたぜ。オイラのフィールド(縄張り)を能登半島の半農半漁村に決めましたぜ。漁師の番屋小屋に泊めてもらい住込み調査もできそうでさぁ」という報告を経てようやく組に入れてもらうこととなった。

そして、38軒のおじちゃんやおばちゃんを先生に、四季ごとに1カ月ずつ合計4カ月の住込み調査を敢行した。その後、比較調査のために新潟県佐渡島や島根県島根半島の半農半漁村も回っているので、2年間の修士課程のうち半年以上をフィールド調査に費やしたわけである。

この時の学びは、フィールド=現地に学ぶということである。教科書にもない、先生も知らない、現地の人たちと私だけが知りえる唯一無二の学びであった。考えてみると、これってドイツのマイスター修行に似ている。若者が師匠としたい職人を訪ね歩く学びの制度。アフリカのサバンナでも、若者は、ふらっと遠くの村を訪ね歩く旅に出ると聞いたことがある。

最後に、今回の学び方として押さえておきたいことは、フィールドはどこでもいいということである。もちろん、自分が真に学びたいところをフィールドとすることが本筋であるが、例えば、やりたくもない接待の場面、辛い飛び込みセールスの場面もフィールドワークと捉えてみることで、学びがあると同時に乗り越えることができる。これは私の実体験なんです。

学びのコペルニクス的回転について昨日書いちゃったので、あとはちょっとした学びの展開ぐらいの話だが、考えるといくつかのターニングポイントがある。これ以降、おじさんの思い出話が入ってくるので、軽くスルーしておいて。では、自分のために整理する感覚で、ボチボチとつぶやくぞ~。

大学時代のもう一つの学びといえば、山登りである。

私は、山岳部でもワンダーフォーゲル部でもなかったけれど、同級生に山好きが多かったし、演習林実習というのが必須科目であったからまあまあ山に入っていた。大学4年の時に、山岳部の同僚に混ぜてもらい、冬の槍ヶ岳を縦走(10日程度)した経験は、自分の価値観が変わるきっかけとなっている。

人間何も持たなくても案外生きていけるもんだということを学んだと思う。

冬山縦走となると、半年前ぐらいから準備をするわけだが、服装は耐寒訓練のために、はだしに下着と1枚の上着程度。毎日10キロ走り、立っているときは常につま先立ち等、当日までのプロセスがすべて登山準備のためのビビットな時間になっていく。

荷物はできるだけ軽くコンパクトにするため「食う寝る糞する」ぐらいを考えて食料、燃料、食器、寝袋、防寒具、洗面具をセット。冬山なのでアイゼン、わかん、ピッケル、ザイル、テントが加わり一人20キロぐらいの荷物を背負って、雪道にはまりながらただただ数日間歩く。危ない場面、不思議な体験いろいろあったが長くなるから省略。

冬山登山は日常生活と随分違う体験で、日頃はいかにいらないもの、いらない習慣を多く背負っているかに気付く。基本は、快食・快眠・快便だ。

加えて、登山一般で学ぶと言えば、自然を楽しみ遭難しないために自然を科学するということ。地図を読む、天気図を書く、雲を見て天気を予測する、樹木・草花を見分ける、鳥の声を聴く、星座を見るなど。チーム作りも含めて、これも教科書では学べない実践的な学び場といえる。