昨日、「多数師匠制」を定義したので、これからどんどん師匠を勝手に紹介しちゃいます。申し訳ないですが、人を師匠にするのは弟子側の問題ということで。

起業後に出会った師匠の一人目は、加藤哲夫(故人)さんです。市民系の出版やエコ商品を販売するカタツムリ社を経営、NPO法人せんだい・みやぎNPOセンターの元代表理事。NPOの草分けであり、日本の市民活動をリードされた方です。

起業してから1年で経営コンサルタントとして喰えるようになったので、ここから独立した本来の目的である活動に入っていくため、大学時代からの親友である小池直輝さんに教えてもらった「エコロジー事業研究会」に連絡を取りました。その代表が加藤哲夫さんだったのです。

今は、環境ビジネス、ESG投資、SDG’sなど環境は成長分野といってもいい状況ですが、当時、環境活動と会社経営は、まったく相容れないものでした。その時代に「エコロジー」+「事業」の研究会を主宰し、会員を数十社集めていたのです。

加藤さんに電話をしたら、2週間後にちょうど豊田市に行くからそこで会いましょうということになり、彼らが主催していた「ニューボランタリー講座」に参加したのが加藤さんとの出合いです。この講座は、当時はまだ珍しいワークショップ形式を取り入れた、質の高い対話による市民の学び場でした。社会に出てからはじめて「ぼくが求めていたのは、こんな学び場なんだ」と思える場だったのです。

この講座がきっかけで出会ったのが、らくだ塾の平井雷太さん、えにし屋の清水義晴さん、エクラの関戸美恵子(故人)、寺子屋プロジェクトの井上淳之典さん、豊田市の釘宮順子さん、ライターの樋口尚子(故人)さん、当時スクールかえるの小林麻里さん、NPO法人あっとわんの河野弓子さんらです。今から思うと師匠の宝庫ですね。

また、加藤さんのアイデアで東京や仙台で開催していた「エコ見本市」を、名古屋でもやろうということで共催したのが、中部リサイクル運動市民の会の萩原喜之さん、学生団体エコリーグの石井伸宏さん、フェアトレード・ショップ風’sの土井ゆきこさんと我が社の4団体でした。「エコ見本市」というのは画期的なイベントで、折り畳み机1本と、自社がアピールしたい商品・サービスを持ち寄るだけの小さな交流会でしたが、最近盛況な「メッセナゴヤ」のきっかけをつくったのではないかと、私は秘かに思っているのです。

加藤哲夫さんから学んだことは、市民活動やNPO活動の理論的背景をベースにした市民、NPO、企業、行政のセクター協働の在り方とそれぞれの立ち位置、加えて、セクターを超えたネットワーキングの重要性でした。

こんな感じで、しばらく勝手に師匠を紹介しつつ、多数師匠制の学びについて考えていきたいと思います。

どのような時に人は本気で学び、行動を起こすのか? そして、そのような学び場をどのように仕掛けたらいいのか? ここを深めることが、世界の辺境国日本が生き残る道である。昨日までつぶやいてきた「自分にとっての学び場」の問いと論点はそこにあった。

日本型学び場として、以下を仮説として考えてみたい。村田の事例(回顧録)を基に、整理してみると以下の3つ。

➀師弟関係をつくって学ぶ
②フィールドワークの構えで学ぶ
③志もしくは問いを立てて学ぶ

学びの第1歩として、理由はわからないが、なんだか面白そうと思える人を師匠に見立て勝手に弟子となる。次に、自分の困り事や解決したい課題についてフィールド(現場)から学ぶ、もしくはフィールドを先生にして学ぶ。第三に、その中から自分なりの志や根源的な問いを立てて学びを深めていく。

志や根源的な問いがあるから本質的な学びが生まれるのであるが、志や根源的な問いが育つには、多様なフィールド(現場)からの学びが必要である。そして、その学びの出発点もしくは原点として、師匠の存在が欠かせないという仮説である。

ちなみに、乳児が最初に意識する他人は母親であり、あらゆることを母親から「まねぶ」のであって、師弟関係の始まりといってもいいだろう。

学び場の原点と見立てた師弟関係づくりに関して、日本には昔から徒弟制度という修行の場があった。この徒弟制度は現代にも有効なのだろうか? たぶん多くの若者に受け入れ難いものだろう。ゆえに、現代版徒弟制度を考えておきたい。

そこで、楽しく、かつ飽きずに師弟関係をつくる方法として、「多数師匠制」というのはどうだろうか。1対1の師弟関係を長年強いるのではなく、学ぶ側は勝手に学びたい人の弟子となり、同時に複数の師匠を持つことを推奨する。人生100年時代においては、一人の師匠から学び尽くすよりも、複数の師匠から多様なこと学んでおいた方が時代の変化に対応できるはずである。

こんなことを仮説に、明日から、私の起業後の学び場づくりを題材にして、あれこれと考えてみると面白そうだ。

自分が思い描く方向とは違っても、組織の方針に合わせなければならないサラリーマンという立場に我慢ができず、独立の道を探ろうと考えた場合の近道は何でしょう? 私の場合は、父親が経営する小さな金属商社を継ぐということでありました。おやじも喜ぶだろうし、いずれ経営者となり、自分の判断で自分が志向する事業がつくれると安直に考えたのです。30歳になって、初めて営利目的の株式会社に入いります。(この後、所帯持ちに。)

古い体質の組織を改めようと新しい提案をすると、ことごとく古参社員からの反対に合いました。社長の息子という立場を使って何もわかっちゃーいない若造が提案することなど、社員は反対するに決まっていると、今なら十分納得できます。この件で、父親と何度も対立しました。当時の私としては、後継者としての気負いもあったのです。(だから後継ぎ経営者の気持ちよくわかるんです。)

マイナスの状態から組織を変革していくより、一人でゼロから始めた方がよっぽどいいと、ここも1年半で退職することになりました。「お前の好きにしろ」とは言っていましたが、結局、父親を悲しませてしまいました。自分の思い上がりで周りに迷惑をかけてしまった全くの失敗体験です。

さて、ゼロから始めるといっても会社経営の”いろは”もわかりません。どうしたらいいのでしょうか? ここで、再びフィールドワークが登場します。多くの会社経営者と接触を持つために、もって来いの業界が経営コンサルタント業であると考え、そこに再就職して給料をもらいながら会社経営のフィールドワークをするという案を講じたわけです。

ある公認会計士が、立ち上げたばかりの経営コンサルタント会社に潜り込み、営業企画担当となります。経営セミナーを企画して、そこに参加した中小企業経営者にアポを取って、コンサル提案をするという仕事でした。私の隠し目的は、経営ノウハウを盗む、いや学ばせてもらうことですから、会社の歴史から、今の経営課題、将来のビジョンをとにかくヒアリングするといった営業スタイルでした。

立ち上げたばかりのコンサル会社で実績もなく、1年間は営業に苦労しました。会社から研修機会を多大に与えてもらったこともあり、少しずつクライアントができるようになり、会社の居心地もよかったので、この会社グループの一員に収まってもいいかなと思ったりもしました。

しかし、とどのつまり理念の違いを感じ、約3年半で企み通り起業の道を選択することにしたのです。その公認会計士である社長は、やさしい方であったので、一部のクライアントを引継がさせてもらいつつ、徐々にフェイドアウトする独立が可能となりました。

ということで、35歳の時に、とりあえず経営コンサルタントとして起業しました。でも、とりあえずです。クライアントである経営者からのヒアリングを重ねた結果、自らやりたいと思える業種が見つからなかったことと、あの状況で最も投資が少なくリスクがなかったのが経営コンサルタントであった。それだけの理由でした。

その証拠に、我が社㈱ピー・エス・サポートの定款には、経営コンサルタントの他に、市場調査、環境アセスメント、旅行代理業、出版業、生命・損害保険業、食品・化粧品の小売業など20業種ほどを入れ込んでします。本気で、できるだけ早めに経営コンサルタント業から足を洗うつもりだったのです。なぜなら、自分は、最も経営コンサルタントに向いていないタイプだと思っていたからであります。

あ~あ、ここまで長かった。回顧録のお付き合いありがとうございました。と、舌の根も乾かぬうちに、すでに起業後の学び場についてつぶやく構想が溢れてきちゃっています。どうぞ、さらなるお付き合いをお願いします。