自分は自分らしくどう成長していくのか? 日本は日本らしくどう発展していくのか?

 

ある基準を設定されて、それに自分が遅れていることを叩き込まれると、どうしても周りと比較して、それに追い着こうという行動に出てしまう。

 

これ私たちの課題である。

 

明治維新以降、日本は文明的遅れを痛感して西洋に追いつこうとしてきた。そして戦争の道へ進んだし、カタカナ文字に出会うと、何となく有り難く感じてそれに追いつこうとする心理から抜け出せないでいる。

 

歴史を紐解けば、明治維新以前であっても文明先進国の中国から漢字や仏教等をありがたく受け入れ同化してきた。そもそも国家の成り立ちが中国からの脅威に対するところにあった。それが中華帝国から見た「日いずる国」日本国の命名である。

 

それでも、西洋や中国の文明の中心から地理的に遠く離れた辺境にあったからこそ、何とか独立性を保ち独自の文化を醸成してきたのが日本である。

 

辺境国日本は日本らしくどう発展していったらいいのか?

 

仮に、欧米や中国に抗してリーダーシップを取りに行くとする。でも、この考え方こそキャッチアップ型の非リーダーシップの発想である。

 

ではどうしたら良いのか? これが日本の課題である。

 

ということから「内発的発展」がキーワードになってくる。過去に植民地であった途上国、新興国も含めて「それぞれの内発的発展」がグローバルな課題である。

 

それで、昨日までつぶやいてきた「学ぶ力」、「それぞれの内発支援」につながっていく。

新たな学校を作ったとして、私がこだわりたいことはシンプルなことです。

 

学ぶ意欲をできるだけ削がないこと。教える側が先回りしすぎて邪魔をしないこと。それぐらいかな。これが、案外既存の学校ではできていない気がします(このあたりの個人的体験は6/13のつぶやきに書きました)。

 

教育の目的とか、どんな人を育てたいとかが、私の場合、それが先にないかな。それを学ぶ側が考えられるようになるといいと、一端、考えます。

 

だから、こだわるとしたら学び方の方法論であって、教える側の理念にこだわりがあまりない。学ぶ側の意欲を削がない理念ならいいぐらい。教える側に立てば、学ぶ人「それぞれの内発支援」ということになりましょうか。これ「遅れのポジションで育った」私のこだわり、かつ辺境国日本の課題でもあります(ここらは5/16のつぶやきに書きました)。

 

「内発支援」のための刺激となるのが、多数師匠制、フィールドワーク、学ぶ人の志形成という方法論である、という仮説に至ったのでした。

 

あとは、学ぶ人の「生きよう」に任せる。その結果として、多様な人々や自然が関わり合う社会がビジョンといっておきたい。だから異質共存の社会がビジョンといえば、そんな感じ。

 

その上で、現実的に学校を作るなら、組織運営の話になるから理念、共有できるビジョン、経営方針、戦略・戦術、合意形成、資金調達が必要だということはわかります。経営コンサルの端くれなんで、いつもそんなことやってます。

 

こうした理念型事業の立ち上げに関しては、私の周りに「規格外サピエンス」の師匠が多くおられるので、その人たち、すなわち皆様方にお任せしたい。理念形成のプロ、ビジョンを語るプロ(おさ)、戦略・戦術づくりのプロ、人集めのプロ、合意形成のプロ、資金調達のプロ、教育のプロ、広報のプロ、いっぱいおられます。

 

私は「学びのプロ」(師匠たちから学ぶことで生計を立ているちゃっかり者)として、こうした師匠の方々や学ぶ対象者の方々のところに行ってヒアリングしてくるフィールドワークですかね。やっぱりフィールドワークが出たゾ。

 

問題解決の第一法則=「転原自在」(これも師匠から学んだ、転ずる原は自分に在り)とした場合、私の貢献分野はそこ辺りじゃないかな。

 

こんな大それたことを言いだした私の動機としては、これまでつぶやいてきたように、周りの世界から、そして多くの師匠からギフトをいっぱいもらい、そろそろ返礼したくなるお年頃になったと気づいたからです。師匠に返礼できる位置にもいないので、次世代に返礼しなければいかんかな、と、、、。

 

最後に、私の個人的なビジョン⇒その学校の用務員として雇ってもらいたい。それも非常勤用務員あたりで。学校嫌いなんで、毎日通学はできないと思う。生徒が持ってくるゴミを燃やしながら(今は野火禁止か)、生徒にちょっかいかける仕事がいいな。これ、昔から仲間に話してきたビジョンです。

以前の問いを今一度確認してみる。

 

どのような時に人は本気で学び、行動を起こすのか? そして、そのような学び場をどのように仕掛けたらいいのか? ここを深めることが、世界の辺境国日本が生き残る道である。

 

●日本型学び場の仮説
➀師弟関係をつくって学ぶ
②フィールドワークの構えで学ぶ
③志もしくは問いを立てて学ぶ
ここまで前掲

 

そのために、多数師匠制というアイデアを考えてみた。こうした学び場を作る時のヒントになりそうな先行事例はないか? ちょっと頭を巡らしてみると、以下の2つが思い浮かんだ。

 

Ⅰ.吉本興業の芸人養成スクール「NSC」
お笑い界は、もともと徒弟制がしっかりしている。その中で、近年多くのお笑い芸人を輩出しているのがNSCである。上記仮説の➀、②の要素がありそうだ。

 

Ⅱ.ミネルバ大学
2014年に設立された私立大学だが、最近はハーバード大学よりも難関で人気が出ているとか。本部はサンフランシスコにあるが、キャンパスを持たず、学生は世界各地にある7拠点をめぐり地域課題の解決をテーマに学ぶことで実践力を身に着け、企業からも引っ張りだこだという。上記仮説の②、③の要素がありそうだ。

 

基礎学力は、オンライン学習で身につければいい。上記のミネルバ大学もオンライン教育がしっかりしている。ドワンゴによる通信制高校「N高」をはじめ、アフターコロナでオンライン教育はどんどん広がるだろう。

 

オンラインによる基礎学力に加えて、ここで提案してきた「日本型学び場」で実践力をぶち込めば、既存の学校がいらなくなるんじゃない? どう考えても既存の学校より「学ぶ力」が身につくことになる。

 

軍人養成の名残である同年齢を集めた学年スライド制に拘らず、年齢混合型で学びたくなった時に学べる仕組みにすれば、学び直しのリカレント教育にも対応できる。

 

こういう学校が、これからの日本に必要なのだと思う。おそらく、同様のことを考えている連中もいるだろうから、連携して仕込でみるとするか。