昨今のYouTubeによる地球外の知的生命体からのメッセージによれば、人類は間違った方向へ進んでいると言います。
この様に地球外の知的生命体に遭遇した人々を通して、いくら警告のメッセージを世界の人々へ送ったところで、世界を支配する闇・魔手を始め、政界とか財界とか投資ファンド会社とか投資家の人々の多くは、人間的な独善と排他的と偏見に満ちた発想や知恵に基づいて、人生観の生き方をして仕事・業務を遣っているのです。
それで、真理から逸脱しているとは思えずに、社会に有益で世の中の為になると思い貢献して役立ち奮闘努力し働いているから、自分は何も悪いことをしている訳ではないから、このメッセージは他の人に向けた内容だと思っている様です。
他にも、影の政府・政界・財界・投資業で利己的な人々は貪欲で眼が曇り、メッセージを伝える人の存在は何も見えないし、何も聞こえなく平気で知らぬが仏であり、利益第一で格差・歪み・矛盾ある欠乏な社会なのに、至上主義でお金儲けとレジャーを楽しみ「砂上の楼閣」で優雅に暮らしているのです。
さらに、一部の人々にはこのメッセージは聞こえていても、貪欲が先走り聞きたくないとか利害の損得勘定による発想や言動を止めたくないとか、生き方と遣り方を変わりたくないと何とか言い訳を繰り返して、保身の為に現状維持を続けて自ら顧みる事から逃げているのが現状です。
現世に於いて、今は同じ世界の次元領域に皆は同じ様に認識して住んでいると見えていても、人は夫々の心・意識状態が大きく異なり相違が現れています。
人は新聞や雑誌とかテレビやネットの何気ないニュースを目にしても、関心や興味のある事柄や内容にしか目が止まらず、記憶にも残らないことが多いものです。
これを中国の論語の教えでは、「心不在焉 視而不見 聴而不聞 食而不知其味」があり、読みは「心此処に在らざれば 視えども見えず 聴けども聞こえず 食らえども其の味を知らず」となります。
意味は、「心が此処に無ければ、人や物を視ても見えず、声や音を聴いても聞こえず、食べてもその味が分からない」と言うのですから、正しい「自己の認識」と正しい「意識・思考」を学び実践しなければ、外界の事象も自らの意識が反映された投影となるからです。
利己的な人々は貪欲で眼が曇り金儲けに余念がなくて頭が一杯ですから、意識・心が「上の空」となり地球外の知的生命体からの、大切なメッセージを伝える声が聞こえず分からないと言えます。
身体は確かに皆と一緒に場所や空間を共有してはいますが、意識・心は別の領域・世界へ飛んで行っているのです。
人は夫々の見方や視点や捉え方など多角的と、観念・認識・感覚の把握する多様性の違いや真実を見極める心により、世界観とか人生観とか価値観は全く異なっているのです。
2015/5/28の(2021-03-12)「霊性の低い者に何遍言い聞かせても無理で体験学習でしか気付けない」より、暗黒面に陥り貪欲・悪辣・傲慢・利己的で戦争・テロ・覇権・争奪・独占などの闘争に明け暮れている人々に、「耳に胼胝ができる」程に「平和を」とか「平等や公正を」と叫んだところで、聞き入れてはくれません。
それは人は自分が望むモノや信じるモノとして見たいモノを見たり、聞きたいコトを聞く傾向にあり、そのメッセージの声は彼らの頭の中を通り過ぎるだけで、肝心な心には響かず魂的にも認識されず、「馬の耳に念仏」と同じであり「五月蝿い声」と捉えて、反感を抱くだけで聞く耳を持ち合わせていないからです。
2016/8/20(2021-05-05)「8月20日の夢、真理や啓発の話しを皆で聞いても実践は一様でない」で紹介しています事柄とも通じます。
人格(品性)レベルが低くて徳が乏しいと折角と素晴らしい真理に触れても、気付けずに見逃したり理解できずに、ましてや実践も儘ならず魂が救われる事も無く幸せは程遠いものです。この様な人々を仏教では「縁なき衆生」と言います。
霊性が未熟で「魂の赤ん坊」では、霊的に眠った侭では思考停止状態と同じで、独断と偏狭な思考から思い切って「観の転換」という、頭を切り替えるという心構えは不可能です。
言って聞かせても何も感じなく気付けず何も分かりませんから、理解すら無理で納得しないでしょう。
人類の多くは未だに魂の赤ん坊で、高次の波動により宇宙的な潮流・地球の潮流・自然の潮流、次元上昇の潮流に反した利己的な生き方を送っている状況で、神聖で真理に基づく地球のシステム切り替えで「新しき時代」へ、人類は殆ど順応が出来ていないと言えます。
つまり、権力や金儲けを第一に考えて余念がないと、世の中の潮流とか動向の事象は目に入らず、人々の意見も聞こえずに「先見の明」も分かりません。
人類による利益優先の金融と経済と産業により地球の汚染と破壊は止まらず、利便性な文明の利器と物質生活に執着・依存して暮らして来ました。
利己的な人類は自分たちの引き起こしたダメージの大きさに気付くまで、貪欲と自然・環境への無頓着が及ぼす結果を体験し学習する必要がありました。
今までの様に至上主義と拝金主義と競争原理のみに根差した、利己的・排他的で狡猾で過剰な利益本位の資本主義による産業・経済からは、意図された格差・歪み・矛盾ある欠乏な文明を生み出しました。
しかし、次元上昇により自然の法則に調和・適合せずに、浄化作用による清算・粛清の大艱難なる受難の嵐は、誰もが避けて通れなく自滅崩壊・瓦解に向かって進んでいます。
金儲けへの未練とか金品・権力・権威・地位・名声・利器などに、執着するあまり人間の本質である霊性に目覚めずに、自己の精神波動を高めない人には三次元で観ると、想像を絶した酷い様相が展開することになります。
この世である現象界は心の影であり、人格や品性を高めないで物質的な何かを求めて利己的に掴んだと思っても、利他心として天の蔵に徳が積んでないと「砂上の楼閣」の如く、水の泡の如くに消失するでしょう。
煩悩が先走り目先の損得で価値観の判断をし勝ちとか、利己的で偏狭・独善的な誤った価値観を持っていたり、執着心が強くて何かの虜に成り勝ちとか、困難に出会ったら逃げるのが早いや勝ちと言う安易な思想を抱いている人々も多くいます。
しかし、これから次元のステップアップが進展するに伴い、真理から逸脱していた人々は嫌という程に自らの人生観や生き方や価値観が、根本的に間違っていたと気付かされるでしょう。
世の中の大多数の人々は見える世界だけに生きており、差し迫る緊迫・危機も分からなく仕事や家庭や人間関係から生じる葛藤と鬱憤を晴らそうと、自分の感情・欲望(煩悩)の赴く侭に爆発しキレたりして生きています。
かつて、イエスが十字架上で磔になり我が身を槍で突き刺された時に、イエスは自らを磔にした権力者と配下の者たちに「彼らは何を遣っているのか分からないのです。神よ許し賜え」と叫んでいます様に、霊的に未熟な者が人間智で善悪を判断して、言動の物事を為すのは知らない内に神意から離れている場合があるのです。
さらに、釈尊も大衆は無明だと喝破している程で、無明とは無知の事です。
明とは燈明のことであり、南無阿弥陀仏の阿弥陀仏とはアミターバと言い、計り知れない光明・智慧を指しているのです。
人間の本質は霊的であり、元来は神・仏なる存在であり、やがて本当の自分を見出して立ち上がり光明に復帰(南無阿弥陀仏)する時期が来ます。
古神道の霊魂観として、神や人の心は天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と、4つの魂(荒魂・和魂・幸魂・奇魂)から成り立つという一霊四魂説があります。
日本語の「ひと」は「霊留まる」の意味の「霊留・ひと」であり、其の霊が留まる器が「からだ・空だ・空蝉(うつせみ)」なのです。
故関英男博士(日本サイ科学会創立者)は、神智学で100年も前から信じられていた4層の不可視の脳(深層意識)」は、様々な情報に基づいて詳細に再分類すると7層も存在すると提唱されています。
「それは、阿弥陀仏・アミターバ(無量光仏)・アミターユス(無量寿仏)」、「久遠実成・くおんじつじょう」に繋がっています。
やがて、仏典にある南無阿弥陀仏(計り知れない光明と智慧へ帰依)の悲願が、成就しアセンドする時期へと入ることでもあります。
現世に住む人間は三次元と云う制限された不完全な不良星人ですから、日々の暮らしで様々な誘惑やら他者との競争や保身から損得の欲望や感情が先走り、煩悩で理性を見失い勝ちで様々な過ち・罪・不正を犯すものです。
人生の道を見誤ると物事が順調に進まず自らや他者との確執や葛藤を生むのです。
釈尊の教えで釈尊入滅後に於いて今は末法末劫の時期で最終盤の局面にあり、既存の宗教団体や宗教家と人々は仏陀の教えから離れて、その教えが役割を果たせなく形骸化して集金システムのビジネスに成り下がっています。
偽善的で虚構な宗教団体を始め、邪悪で虚構な国家や企業や団体なども解体崩壊するでしょう。
ですから、人は何かの宗教団体に入って教義を受けて実践しているから、今回の次元上昇が優位になると言うものではありません。
それは、既存の宗教が示す教義は殆どが真理から逸脱して、不完全でありますから心・魂は浄化・救済されません。
教団の中には聖職者も信者も堕落させる教義もあります。
釈尊は「一切の苦しみは無明から起こる」と説かれましが、「無明」とは人生を正しく生きる術、つまり知る智恵(真理・正法・倫理、心の法則とか自然の法則である摂理と秩序)を持たないことを言うのであります。
現代語では「無知」とも言い端的に言えば、人生観と生き方に対して「阿呆」だとも言え、愚か者だと言えます。
ですから人生には、真理(正法・倫理)に基づいた生き方や人生観を学んで養い、確りした正しい心の指針・羅針盤を持つことが必須となります。
やがて人類は聖人に達して更にアセンドすれば、全ての自然と一体的な存在(at-one-ness)である、との意識に移行し自覚・認識することに他ならなく品性の完成を意味して、自分は何のために地球に生まれていて、自分は何者なのかを自然に思い出す素晴らしく、大変に重要な時期に入ることでもあります。
それは皆さんには、フルコンシャスネス(完全意識=高次元の膨大な情報・知識)が、高次より流れ込んで意識変化が起こるとされ意識の帰還(帰依)が始まり、人類の潜在的な共通(集合)意識へと、徐々に繋がって統合・統一に向かうことになるからです。
待ちに待った惑星地球の維新と共に世界人類は、邪悪な闇社会と捕われ身の煉獄からの解放を迎えて、神意、即ち宇宙の秩序と摂理に従うべく人類は超民族で構成する、新たな神性の文明が興ってやがて構築されます。
それにより、恒久の平和と幸福と豊かな生活へ移行する壮大なステップアップの、プロセスを果たすという神の経綸でもあるのです。
これまで人間を縛っていた全ての支配関係が崩壊して消失すると、生得の基本的な人間の尊厳と自由と権利は回復されて行きます。
私たちがアセンドするかどうかは、私たちの魂・霊的なバイブレーションが、私たちを上位の階層領域へ上昇させる、臨界レベルかどうかにより決まります。
臨界レベルに達せず準備が出来ていないのは、単に私たち魂の学ぶべき事柄・課程が、先に進む前に試練・教訓の体験学習のレッスンが、まだ残されているというだけのことなのです。
霊性が低く未熟で真理から逸脱して独善と排他的と偏見に満ちて利己的な人々は、最後の審判で清算・粛清の大艱難なる受難の嵐に巻き込まれて、訳も何も分からず何で自分は酷い目に遭うんだと叫びつつ命を落とし、金融・経済を優先する狡猾で虚偽・欺瞞の虚構な文明は滅び始めます。
人類の生存率は国や地域により大きな相違と格差を伴う様です。