「これは記事にせねばびっくりマークと思って着手しつつ、作成が中途半端なまま放置して半年が経過しておりました。

 

そう、作成しようとしていたのはこの記事の後・・・・・・まさに、新年あけてのフワッフワしたノリで書いていたものでした。

ただ、何かのハプニングにより未完成のまま掲載のタイミングを逃し、新しく書いた記事にどんどん先を越されてしまうこと、あるよね・・・まぁでも、半年なんてかわいいもんです。3年ぶりに続きを公開して完結に至った小説が私にはあるからね・・・・・・くもり

 

あ、ここ数年滞っていますが小説書きも好きなので、こちらもよろしくね~  魚しっぽ魚からだ魚あたま小説家でうくさん

 

 

 

さて、ようやく本題ガーン

今回は仙台市に根づく宇和島伊達藩の神社・和霊神社について紹介します。

 

宮城に来てから爆上がりしている過去の宇和島旅ブログのセルフリブログ(セルフってとこにセンチメンタルさがある笑い泣き)、今回も貼らせていただきますよ。

 

 

ええ、実に9年前の記事。伊達家の縁で約10年越しの出逢い。

 

リブログ記事に書いてあることをざっくりまとめると、和霊神社とは、伊達政宗の長男・秀宗が宇和島藩を継いだ際に秀宗についていった政宗の元家臣・山家清兵衛(やんべ・せいべえ:1579~1620)を祀る神社のことです。そのため、和霊神社は愛媛県宇和島市にあります。

 

それが、仙台市にも和霊神社があるという情報を聞き、なにそれなにその縁びっくりマークはてなマークびっくりマークはてなマークびっくりマークはてなマークと思い、久々に山家清兵衛さんに逢いたくなり、和霊神社巡りをしてきました。

 

 

考えてみれば、政宗の元家臣の神社なので、仙台に勧請していても別に不思議はないのですが、実際に訪ねてみると和霊神社が仙台でもどれほど大切にされているか、また、清兵衛だけではない山家家(やんべけ)の伊達家との関わりや仙台での功績も知ることができました。

 

 

私が仙台にある和霊神社の存在を知ったのは、完全にWikipedia先生からでして、記事によると(いうな)『仙台フォーラス』というファッションビルの屋上にあるのだとか。。。

 

しかもこの仙台フォーラス、3月から再開時期未定の長期休業に入るとのことで、やばいじゃん、時期を逃したら一生お参りできないかもしれないじゃんと新年早々危機感を抱き、フォーラスに突撃。

 

この記事にある写真たちは2024年1月に撮影したものです。

 

この仙台フォーラス、青葉区の一番町という住所にあるのですが、まさにこの場所が明治時代の初めまで仙台藩山家家の敷地だったのだそう。そのため、仙台フォーラスの屋上に和霊神社が分祀されることになったのだと。

 

和霊神社だけでなく、もはや仙台フォーラスそのものが仙台市民に長らく愛されてきたことが、店内に入った時点ですぐわかりました。入ってすぐの場所には別れを惜しむたくさんのメッセージが。そして、今までありがとう記念ガチャも。

 

初めて来たのだから思い入れはないハズなんだけど、買っちゃうんだよなぁ。

弱いのよ、このしっぽり空気。あ、ハンドタオル当たりました。

 

 

仙台フォーラスの39年の軌跡を辿った展示。中の展示は撮影していませんが、戦後すぐから現在に至るまでの仙台駅周辺の景色を写真で見ることができ、貴重でした。

 

和霊神社にお参りするには、インフォメーションで声をかけて、警備員さんの案内によって屋上へ進むスタイル。

 

インフォメーションではこういった冊子を受け取れる。

 

 

内容の一部をちっちらり。こちらにお載せしている話は、和霊神社が創建されるきっかけとなった和霊騒動(上:和霊騒動の詳細は、上記リブログ記事でも触れています)と、戊辰戦争での敗北により荒廃した仙台藩の復興に尽力した山家家の子孫・山家豊三郎の2つですが、冊子全体としては全14ページにわたるなかなか気合いの入ったもので、まさに現在まで続く山家家の軌跡がこの一冊に凝縮されています。

 

参拝中も、写真撮影中も、警備員さんに見守られながらスタイル。警備員さんがべったり背後に張りついて一挙一動を見張っているため、お参りに全然集中できませんでした笑 清兵衛さんは仙台でもそれほど大切にされているということですねにっこり

 

 

ところで、先に紹介した冊子を確認してみると、この和霊神社は宇和島から分祀されたものを更に分祀したものであるとの記載が。ええっ!?ということは、ここ以外にも和霊神社があるってこと!!?

 

冊子に記載されている内容によると、豊三郎の尽力により復興、商業の中心となった一番町に初めは創建されたものの、仙台空襲により焼失、高度経済成長期になって台原(だいのはら)という地域に再建されたとのこと。台原に再建された理由は山家家が移転したからですが、一番町の人たちは町の発展には和霊神社のご加護が不可欠だと山家家に懇願し、台原の和霊神社から分霊して現在に至るというもの。分霊とはいっても、御霊がいた土地は一番町の方が長いけどね。

 

 

え?行っていますわよ?台原和霊神社に。当然。

 

 

 

 

案内板の文字だけ抜き出してみました。読めるかしらん??

 

台原地域そのものが住宅地でしたが、台原和霊神社は住宅に挟まれたかなり奥まった所にありました。フォーラスにいた時はポカポカ陽気で暖かさを感じたのに、台原に来た時は夕暮れ時だったこともあり小雪舞い散る寒さ・・・スライム 心細くて早く帰りたい年始でした・・・・・・餅

 

 

で・もびっくりマーク 今日は6月最後、7月に入ると『一番町三社まつり』というお祭りがあるらしく、その三社のうち一社は和霊神社のことで、神輿渡御があるのだそう。

1年いたけどその情報は聞き漏らしていたな~。今年は見に行きたいですデレデレ

 

 

 

足おまけあしあと

台原和霊神社の近隣の地区には、以前の記事でも取り上げた仙台四郎ゆかりの神社もあります。

 

 

朝日神社。こちらの神社そのものは、いわゆる土地神さまである朝日女(あさひめ)を祀る神社。三瀧山不動院を除いて唯一、仙台四郎が合祀されているそうですウインク