※タイトルに深い意味はありません。
いやぁ最近ジャンプ系雑誌を読むことが多くて。
ジャンプの煽り文句、真似したくなりますよねぇ・・・
これまで数々の幕末(一部明治)の熊本人を取り上げてきた本ブログですが、いずれ取り上げたいなと思いながらも未だ取り上げられていない人物がいる一方で、別に避けている訳ではないけれど、あえて取り上げようとは思わなかった人物もおります。幕末の人ではないから、とか、既に調べている人がいるから、という理由が大きいですが、めぐり合わせというのは不思議なもので、人物に限らず、かつてそれほど重視してこなかったことがめぐりめぐって実は自身の原点だった・・・、或いは、実は自身のとても大きい部分を占めるものだった・・・ということがありえますね。別に隠していた訳ではないけれど、Yやはべろんにもさして話したことのない話題で、めぐり合わせってあるもんだな、と思った事柄が最近あったので、今回はそのことについて思い出すがままに書いていこうと思います。
10年前、DEUKU青年は青春を持て余していた。(そこまで遡る!?)
基本的に人生の3分の2は精神が荒んでいるDEUKU青年は(←今でも)、10年前も安定の荒みようであった。人生常に何かしら絶望しているが、当時は日本の教育制度に絶望していたDEUKU青年は、学ぶことをやめ、何を血迷ったのか演劇の門を叩く。いくつかの劇団を渡り歩き、時に客演で動物の足や奇声を発する怪物の役を演じ半年程度が過ぎたある日、そろそろ人間になりたいと思っていたDEUKU青年の元になんとブラジルに行かないかという誘いが。怪物からアマゾンの先住民に昇格したDEUKU青年は、熊本県珍獣ハンター協会の後ろ盾を得、海を渡る―――。
な、何を言っているのかわからないと思うが、(珍獣ハンター協会を除いて)ありのまま起こったことを話したぜ。ただ、めちゃくちゃ経緯をはしょりはした。
きちんと順を追って話をすると、まず、現在、特にEU地域において移民は大きな問題となっておりますが、かつて、移民は全世界的に行われていたことでありました。日本でも移民政策が行われ、富国強兵、覇権主義の時代に、日本にいるより豊かな暮らしができるという政府の触れ込みに乗って、何十万もの日本人が海を渡ってゆきました。日本人の移民が最も多いのがブラジルです。そして、第1回移民がブラジルに到着したのが1908(明治41)年のこと。10年前当時で100周年だったことになります。
(“海外興業株式会社”による、ブラジル移民募集のポスター。大正時代末のもの。戦前のブラジルへの移民は一世帯あたり3人以上の働き手を持つ家族での移住が条件だったため、「一家をあげて」となっている。画像はWikipediaより拝借)
第1回ブラジル移民を引率したのが上塚 周平(うえつか・しゅうへい、1876~1935)という人で、その人が熊本市城南町出身だったことから、ブラジル移民100周年を記念した祝賀行事が熊本市で開催されることとなり、行事で演劇のプログラムがあるので出演者募集に応募した、というのが真相です。ブラジル公演のお誘いが来たのはこの後のことになりますが、それはおいといて、私は当時、地元熊本のことに全く興味がなかった。
当時はお芝居や国際交流に対する興味の方が正直大きかったのもあり、移民の時代背景や上塚さんの功績についてきちんと理解できていたか、今思えばかなりあやしいですね。一応、一通り勉強していたつもりではあったけれど。
今の方がぽこぽこ記事が生まれそうだ(爆)
あの頃は勢いでやっていたな~という、反省しつつもいい思い出として胸に秘め、故郷を離れてシビアな大人への階段を上り始め10年(その間に小説の執筆にハマり、郷土愛に目覚め、巡礼の旅から脳みそが帰ってこない現実逃避由来の趣味が炸裂する)、先日突如「本当のおてもやんについて調べてくれ」というお話を受けました。
「??本当のおてもやん?おてもやんは本当も何も
この像のようなおてんばな感じの若い娘さんじゃないんですかィ?」
と返したのですが、現在に伝わるおてもやんのイメージは、明治時代のいわゆる敏腕プロデューサーが市民に親しみを持ってもらうために作り上げたいわゆる虚構の女性で、何故そんなキャラクターが必要だったのかというと、平塚 らいてうなんかで知られる女性解放運動に賛同する女性を募りたかったからなのだとか。熊本県の女性は「肥後の猛婦(もうふ)」という呼び名があるほどとにかく元気な県民性で、女性解放運動に身を投じた人も多かったそうです。ほっぺたの赤いおてんばで愉快な女の子ではなく、逆境の中でも強く猛々しく生きた女性がおてもやんの原型になっている、そんな「おてもやんの真実」を追って欲しいのだとのこと。しかし、私たちはこれまでブラジル移民の話をしていたと思うのだが。なにゆえそれがおてもやんの話になるのか、この記事を読んでくださっているかたの大半が思うであろう疑問を私も抱きました。その心を聞いてみると。
「私たちは10年前、上塚 周平という一人の熊本人を通して100年前の移民を追体験した。当時は私たちが日系の彼らの気持ちに近づこうとしたのだ。しかし、今回は熊本人として、上塚 周平が生まれ育った背景を、城南という町を、上塚 周平を支えた熊本の人々を、日系の彼らに見せに行く。そのためには、熊本女性をキャラクター化したものであり肥後の猛婦の原型でもあるおてもやんを絡ませることが必須なのだ」
「へぇ~」
つまり、おてもやんブラジル進出と。またも経緯は端折りますが、ブラジル公演の話が今再びきているのだそうです。
台本は公演の度に変わっており、私自身も最初は日本に出稼ぎに来たはいいが差別に苦しむ現代の日系ブラジル人少女の役を、その次は飢饉から逃れ渡伯(とはく)したがブラジルでも不作に見舞われ、気をちがえてしまった移民の役を確かやった。
今回は熊本の女性像そのものを持っていくのかぁ。うん別にいいんじゃない、ところで、私がブログで肥後人記事ぶちまけてること知らないよね?今回、おてもやんについて調べる話がきたのは全くの偶然だよね??ね!?
と、いう訳で、少々手を広げすぎつつあるとは思いますが、今後は上塚 周平さんやおてもやんについての記事もいくつか出てくることがあるかと思います。まぁ・・・出逢ったのはこちらが先っちゃ先だからね・・・10年前のリベンジができる良い機会だと思って、今度は若い頃の勢いだけでなく、大人らしくきちんと知識を入れたいと思います。
奇声を発していた怪物がおてもやんに結びつくとは・・・進化したものだな・・・・・・