前回のリスペクトと、リスペクトではないにしろ前回のキャラ設定から2年以上が経っているのですね。恐ろしいわ。
しかし、何だかんだ細々と続いており、今回も熊本人リスペクトキャラ紹介が不死鳥の如く復活です。岐阜で仕事を始めてからは、なかなか小説として書き進めることができずもどかしい限りですが、いつか幕末×熊本の偉人第3弾を書くかもしれないときの取りかかりのために妄想の産物を遺しておきます。今回は上田 久兵衛さん。まだまだ彼について調べられていないので、実際に執筆してみると設定が変わる可能性あり。
〈これまでに紹介したリスペクトキャラ初期設定〉
Ⅱ-Ⅲ.松田 重助、Ⅱ-Ⅳ.永鳥 三平、Ⅱ-Ⅴ.佐々 淳二郎
Ⅲ.上田 久兵衛
登場舞台:1864年~1877年(京都留守居役時代~西南戦争)
肥後藩兵法師範職(1862~1864)→熊本城御天守方支配頭(1864)→肥後藩京都留守居役(1864~1865)→川尻町奉行(1865~1868)→玉名郡代(1869~1870)→廃藩置県。藩吏としての立場を失い、時習館党も解散する。野に下る(1870~1876)→西南戦争勃発。巻き込まれ、「罪人として」処刑さる(1877)
〈ざっくりと紹介〉
若き肥後藩主・韶邦(よしくに)の懐刀にして、京・肥後のみならず諸藩にその名を刻みつけた辣腕の士。彼の在京をかの西郷 隆盛が警戒し、また彼に帰国を命じた韶邦は幕府からお叱りを受けたなど、数々の伝説を遺す。
時習館党・勤皇党・実学党の肥後三つ巴の派閥の時習館党に属し、1858年に前代表が暗殺されて以降は元締めのような役を負っている。また、宮部が辞任して以降ずっと一人分空席となっていた藩校時習館の兵法師範の職に就いていた。その後、1863年の政変時に彦斎の謀叛によって致命的なダメージを受けた壬生の肥後藩邸の立て直しのために上京するなど、まさに「肥後の火消し侍」。更には、会津藩・桑名藩の重役と太いパイプがあり、新選組とも関わりを持つことになる。ピンチヒッターはこれにとどまらず、そもそもが既に脱藩を目論んでいた重助に遅れて韶邦の教育係として入ってきたのが人生の初仕事(そのため、重助のことはよく見知っている)。
韶邦に忠誠を誓っており、たとえ天秤にかけるものが幕命であったとしても藩命を第一に優先させるほどに揺るぎない。郷土愛も非常に強く、肥後の領民ならば目に入れても痛くないと思っている。一方で「信賞必罰」を信条としており、勤皇党や実学党、脱藩者ほか「良民に害をなすような狡猾な悪人」に対する敵意は明らかである。韶邦からは他の藩士同様「我が子」と呼ばれるが、久兵衛としては韶邦を「育てた」という思いもあり、肥後の領民に対しても愛でるだけではなく「育てる」ことが重要だと認識している。
新選組の土方を嫌っているものの共通点が多く、壬生の肥後藩邸に来た当初すぐに髪形を変えたほど(横の髪まで土方と被っていたため)。土方との違いは高貴な生まれと育ちの程度、それに伴って培われたセンスであると思っており(現に、京にいた時の久兵衛の家禄は佐々や尾形の世禄を優に上回る500石!)、風流なものを好む一面は土方を憚らず堂々と自信をもって表に出す(逆に土方が憚って表に出していないことには気づいておらず、結局は似た者同士である)。土方が「粋」を好むのに対し、久兵衛は「侘び寂び」を愛す。
土方さえ絡まなければ新選組とも良好に接するが、沖田はやけに煽ってくるため苦手でありそれを土方にも看破されている。1865年、沖田と伊東と武田というあろうことか濃い幹部を肥後藩邸に差し向けたのは、ひとえに土方の嫌がらせ。本人に“その”気はないが、知らないところで勝手に伊東に振られ(「僕は土方君の本質に惹かれているから・・・」)、武田にはキュンとされている(「優しいジャイアン副長・・・・・・」・・・・・・キュゥゥウン)。ちなみに、久兵衛は伊東と土方の関係を、伊東の言ったことをそのまま信じることにしており(「あの組織はところどころで済度(さいど)し難く前時代的」との感想)、また武田についても「慮(盧) 俊義の人」と思うに留めることとしており、土方の嫌がらせがそのまま土方に跳ね返ってきている感は否めない。
多忙な身ゆえか日常に楽しみを見つけることが得意で、好きな食べ物は馬刺し、ひともじのぐるぐる、辛子蓮根と、歴代リスペクトキャラと比べても豊富。ひともじのぐるぐるはネーミングと調理法に潔さを感じ、辛子蓮根は蓮根の九曜に開いた穴に雅さを感じるのだという。3つの料理が組み合わさると色鮮やかで目でも味わえるとのこと(彦斎のきじうまの面といい元右衛門の笛といい、肥後の武士は大阪のおばちゃん並みの色彩感覚のようである)。しかし、意外にも酒は全く飲めず、たとえ甘いお酒(赤酒)であっても受けつけられない。
花への造詣も深く、瑠璃や紫の色の肥後花菖蒲が好き。
上記のように、風流人であることを前面に出したがるが、剣においては寺見流(じげんりゅう)という実に無骨な流儀を遣う。寺見流は肥後藩が薩摩示現流(こちらも「じげんりゅう」)の一部を基に創った、対薩摩のための剣術。技巧や迅(はや)さを売りにした小手先の技ではなく、力に力で対抗し、示現流の特徴である必殺の一太刀を止められる数少ない剣術にして遣い手も選ぶが、久兵衛はこれを極めている。まさに生ける対薩摩兵器であり、彦斎が(最終的に)長州・木戸の脅威となったのと並んで、久兵衛は(初めから)文武両面において薩摩・西郷の脅威となる。
私の書く主役級キャラクターにしては珍しく正統派に近いかなと思っております。エリート、オールマイティ、ラブリーチャーミー(?)。他の肥後人と比べて後ろ暗いところはありません。そりゃ彼が肥後のルール(を作る側)だったりするからね。
寺見流は確かに実在する流派ですが、肥後の寺見流と薩摩の示現流はどちらもタイ捨流(たいしゃりゅう)という古流剣術を源流としています。そこからそれぞれ発展していったと考える方が自然だそうです