お久しぶりです。
前回の記事でいただいたコメントにお返事ができず、すみません。
春一番も吹き、早咲きの桜も開花を迎えていよいよもって季節の変わり目ですね。三寒四温の日々といえましょうか。
冬が去るのに合わせて、私も山場を越えて気が緩んだり花粉が襲来したり春の嵐に巻き込まれて全身ずぶ濡れになったり食べた寿司にあたったりして体調を崩しはしましたが無事に千葉での仕事を終えたので、再び岐阜へ戻ります。結構な試練の多さに正直途中から岐阜に戻りたくなりましたけどね、ええ。自然の理不尽さはともかく、出してもらったその場で食べた寿司にあたるってなんて確率!?
とまれ、このままの調子でいけば、あと1,2年は岐阜に腰据えていられそうです。
なんたって岐阜は今年は盛り上がる年ですからね!信長イヤーですからね!えねっちけーのちえいずで宣伝していたくらいですからね!見ました1月24日放送のちえいず!?私も全力で信長イヤーをお祝いいたしますよ!!←
関東での生活も、悔いのないようしっかりと満喫してきまして、
前回紹介した勝浦市の他、
フォローしているブロガーさんたちの記事にたびたび出てくる、日野市の『ちばい』さんに遂に行ってきて、
新選組近藤局長にゆかりがあるという『血梅』を眺めながら
(遠くから。私が訪問した日はこのくらい咲いていました)
お蕎麦と新作の季節デザートをいただいたり
(菱餅をイメージしたいちご・ミルク・抹茶風味の寒天です)
夜のでずにーに感激したり
(シンデレラ城でのプロジェクションマッピング『フローズン・フォーエバー』。アナ雪のショーです)
バブル期の遺産である総額1億円の価値があるトイレがあることで有名な目黒雅叙園(百段階段で有名っていえよ!←)へ行ったり
(雅叙園はトイレしか撮ってない)
もう人生に悔いはない楽しみ方をしてきました。
雅叙園は実は全くといっていいほど興味がなかったのですが、「雅叙園は細川家の庭園跡地に建てられていて、百段階段は庭園時代の傾斜を利用しているんだよ」とYから聞いた翌日の勤務は、もう目黒に行くことで頭がいっぱいでしたからね。ふふ、とんだ不真面目社員だな!←
なお、『ちばい』さんや雅叙園の旅のおともをしてくだすったのも今や関東に根を下ろしているYなのですが、Yからは最近「君はどうせ、今日私とこうやって過ごしたこともすぐに忘れてしまうんだろ?」と切ないことを言われます。ええ、わたくし記憶の定着が非常に悪くて、過ぎたことはばんばん片っ端から忘れていきます。「○年前にここに来た時は○○だったね」という話をされても、「あれ?そもそも以前ここに来たっけ?君と?」とガチでなるので、この頃は「ごめん・・・私一年間フレンズなんだ・・・」と返すようにしています。「一年前より最近のことはかろうじて憶えているけど、それ以前はもう思い出せんわ、ごめんね。君には、私とは新しい思い出を作る方向で考えてほしい。そう、『一週間フレンズ』のように・・・」とYに言ったところ、「君とのトモダチ関係は1年契約かよ」とキレのあるツッコミをもらいました。「大丈夫、契約更新制さ・・・」と答えておきましたが、「フレンズ」の根本を考える深い会話ですねコレは・・・・・・!(爆)
創作関連では、外出時以外基本しんでた私とかわって、物見櫓のはべろんが幕末肥後人分布図の制作を進めてくれていまして、その過程で
永鳥さん(玉名市出身)と百恵ちゃん(植木町出身)のLINEスタンプ風の絵を遊びで作ってくれました。もうコレ、8種類くらいこういうの揃えてスタンプショップかどこかで配布してみたらいんじゃないかな。よくよく知らないから好き勝手言いますけどコレ。
あとあと、最近は横になってぼんやりスマホをいじっている時間が恐らく一番長いので、幕末肥後人情報もぼんやりネットサーフィンして探していたのですが、新選組尾形さん関連で現況を窺える情報が一つ。
もう何年前になるかな、ものすごく面白い(失礼・・・)ブログ記事を拝見して、ご挨拶させていただいたこともあるかたなのですが、そのかたが非常に行動力のある尾形ファンで、先日、尾形さんのご子孫にあたるかたに連絡し、情報提供をお願いされたそうです。
その際の状況をご本人がブログでまとめていらっしゃいまして、リンクの許可をいただけたので貼っておきますね(情報の取り扱い注意とのことなので、注意書き等よくお読みになって、情報の転載はなさらないでくださいね)。
いやはやしかし、ご子孫のかたもなかなか積極的に調べていらっしゃる&まだまだ調査段階だそうで、これからじわじわ情報が明らかになってくるみたいですな。一熊本人としては、熊本城の復興と同じく長い目で見守ることになりそうです。
そして同時に、幕末の肥後の情勢と併せて調べている人には、尾形さんがますます何者か判らなくなってきていることかと思います。私も然りな人間です。新選組に幹部としてほぼほぼ最後まで残っていることが、ますます奇跡的かつ異質だと感じるからではないでしょうかね。
個人的には、新選組が池田屋事件で激突した肥後勤皇党と深い関わりがあってもおかしくはないと思っていますし、そう思うかたが他にもおられるようです。
あ~・・・あと・・・・・・非常に申し上げにくいのですが・・・・・・ご子孫のかたが尾形さんの熊本での痕跡を調査するにあたって、“とある小説”の『亦楽舎(えきらくしゃ)』という記述を頼りにしたと上記のブロガーさんにおっしゃったそうなのですけれども、ええ・・・これが、ものすごく心当たりがあるのです。もしも『新選組・真の参謀』のことを指しているのでしたら、大変申し訳ないことだなと思っております。この場を借りてお詫びでいいのやら。
『真の参謀』での亦楽舎表記、というかあの小説の殆どが実は尾形さんの史料が公開される前の時期の執筆なので、尾形さんの情報を反映していないのですよね。ただただ、尾形さんの新史料公開の時期と小説の掲載時期が重なっているので混乱を招いてしまったかもしれません。
しかしながら、尾形さんが医学との繋がりがあるかたなら、亦楽舎や再春館といった医学校から攻めるのも一手としてあってよかったと個人的に思います。
今現在思うことは、やはり他のかたが言われるように肥後勤皇党との関連や勤皇党の原点である林 桜園の原道館を攻めるとよいのではと。私はいったい何様かという感じではありますが。
とりあえず、ご子孫のかたが尾形さんについて調べることに乗り気であられると分かったことに一番安心しました。
でうくはこれからも、千葉にいようと岐阜にいようとどこにいようと、尾形さんの“これから”を追っていきたいと思います。