「~でよぅ」(「でぉ~」「だぉ~」と聞こえる)、「~だでね」という方言が飛び交うマダムたちの職場に密かに萌えている岐阜県ミーンな私です。来た当初はホテルでも電話でもコンビニでも、滑舌の悪さと早口に何度も「ん?ん??」と聞き返していましたが、最近ようやく一発で聞き取れるようになってきました。
岐阜は大まかに大垣、羽島、揖斐(いび)、本巣、関、可児(かに)、多治見、各務原(かかみがはら)あたりは頭に叩き込みましたが、まだまだぜんぜんどこにも行けてません。
今日も今日とて引きこもり。そう、引越しでお金が飛んで、給料日まで1000円で私は生きねばならないのだ!!(口座の引き落としとかあったらもうオシマイ・・・とほほ)
前いた職場は立場の割にそれなりのお給金ではあったけれど、それでも貯金には至る額ではなかったので、最初から当てにはしないけどもしかしたら両親に泣きつかなんかもなってやっぱり甘く考えていたのですが、今となっては被災者に向かって「金貸して」なんて私はどれだけ鬼畜なんだという状況になってしまったのでお口が裂けても言えません。この体験を私は深く胸に刻んでおきます。みんな、こういうことがあるから自立って必要なんだよ!←
備えあれば憂いなし、です、ハイ・・・・・・。
特に我が家は困ったことや大事なことほど言ってこず自分たちだけで処理しようとする昔のタイプの人間が勢揃いなので、やりにくいったらありゃしないです。今回も言ってこないので私が言うわけにもいくまい。
祖父母もこんな感じだったのでこれはもう我が家の風土である。
そんなわけで、暇でもあり新しい環境にぐったりでもある週末に、松村 大成
さんの紹介記事を『幕末熊本最前線 物見櫓』のHPに作りました。
松村 大成(まつむら・たいせい、1808~1867)
遂に永鳥さんのお兄さん登場!当時の人物の重要度としては、宮部さんをも超えていたのではないか、と私は推察します。たとえこういう絵のような感じの人だったとしてもね・・・(イラスト:はべろん)
参考資料である『松村大成永鳥三平両先生伝』には、天誅組に加わった肥後人・内田 弥三郎と竹志田 熊雄の略歴も載っています。内田は大成、三平の従兄弟。次は彼らの記事を書こうかしら。
しかし、3月以来書く書く詐欺になっている藤村 紫朗にも手をつけたいところだもんで、つまりは彼ら三人の資料はあらかた集まっています(たぶん)。
明日か数ヶ月後か知れないが、次は彼らいずれかの記事を完成させると思います。
意外に作成に難儀なのが神風連の太田黒や加屋で、神風連偲奉会さまのHPを拝見するともうほぼ満足する・・・・・・そしてそれ以上に詳しくはなれないので記事を作る意味はあるのか・・・・・・(爆) 要検討にござる。
あ、岐阜も名古屋と同じくモーニング文化があり、私の住まいの周辺も少なくとも5件は喫茶店があるのですが、小柄でかわいらしい人だなと思っていたマダムが「(ドリンク代のみで朝食が食べれるねんけど)オプションで+○○円とかドリンクの値段をあらかじめ高く設定しとるとことか、あかん。外道やわ」とぷんぷんしているのを見て、ぷんぷんはやっぱりかわいらしいけどこの人の言う外道の破壊力は半端ないなと思いました。・・・どう半端ないのかは、ご想像にお任せします(爆