HP公開しました! | 植民所在地3丁目

植民所在地3丁目

Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

2月6日ブログの日記念スタンプ

ブログの日スタンプ

滑り込みだけど、私も参加にやり



熊本県人創作企画のHPを公開しました。
リンク→r   『幕末熊本最前線 物見櫓』
(創作企画については、本ブログのメッセージボードをご覧くださればと思います)

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待ってたかどうかは知らないけれど。それと久坂さん、あなたの紹介はないよ(爆)

そいや、不思議なことに久坂さんのデザインだけはY、私、MMみんな統一していて、

{D514D0BA-3EAD-41C6-BB1E-AEB582182E2B:01}
Y

{42695984-4078-40A8-A78D-7F4F014FE34D:01}
MM

3人が3人とも史実の久坂とかけ離れておる。(D:お調子者、Y:からかい好き、MM:上から目線)


いやぁ、やはり人間の妄想力は素晴らしいというか、生きている人間がやはり最強なんだなって思いましたまる。


話を戻して、とりあえず、といったところではあるのですが、体裁を整えたり、記事を増やしたりと、本ブログとの差異をつけられる程度には形にすることができたので、公開をそろそろお知らせしてもいいのではないかなと相成りました。HPといっても、ブログテンプレートに章立てやカテゴリを細かく作って各ページに直結するようにし、一見HPっぽくした結局はブログページ(相方MM談)なんですけれど、私たちのホーム(爆)としてそこからいろいろと発信できたらなと思います。

私はあちらでは肥後の志士紹介のページを担当しておりまして、本ブログでは何気に全く触れていなかった志士の経歴について、
調べられた範囲で出し惜しみはせず、けれどもあくまで時間軸に乗る情報のみを取り上げてまとめてみました。現在は本ブログで取り上げた推しメンたちを公開中。彼らが縁で出会えたかたが本ブログでは多いので、各志士の経歴ページに飛ぶリンクを本ブログでも貼っておきますね。本ブログとは内容的に異なる部分が出てくるとは思いますが、あちらのページの方が2年間の調べものの集大成となっている分より正確だと思われるので、矛盾する情報はあちら(志士の経歴紹介ページ)の方を当てにしていただければと思います(いずれにしても鵜呑みにはされないようお願い致します)。

【ただいま公開している志士たち】
リンク→pk   宮部 鼎蔵(みやべ・ていぞう、1820~1864)
リンク→o   永鳥 三平(ながとり・さんぺい、1824~1865)
リンク→p   佐々 淳次郎(さっさ・じゅんじろう、1828~1901)
リンク→br   松田 重助(まつだ・じゅうすけ、1830~1864)
リンク→r   河上 彦斎(かわかみ・げんさい、1834~1871)
リンク→gr   高木 元右衛門(たかぎ・もとえもん、1833~1864)

【今後公開予定の志士たち(および重要人物)】
もやもや轟 武兵衛(1818~1873)・・・勤皇党三強
もやもや松村 大成(1808~1867)、もやもや松村 深蔵(1837~1895)・・・永鳥 三平の親族
もやもや山田 十郎(1833~1900)・・・松田 重助の実弟
もやもや堤 松左衛門(1839~1863)
もやもや藤村 紫朗(1845~1908)
もやもや内田 弥三郎(1841~1864)、もやもや竹志田 熊雄(1846~1863)・・・天誅組
もやもや中津 彦太郎(1833~1864)、もやもや西島 亀太郎(1833~1864)、もやもや宮部 春蔵(1839~1864)、もやもや小坂 小次郎(1843~1864)、もやもや加屋 四郎(1844~1864)・・・天王山十七烈士
もやもや太田黒 伴雄(1834~1876)、もやもや加屋 霽堅(1836~1876)・・・神風連
もやもや魚住 源次兵衛(1818~1880)、もやもや住江 甚兵衛(1825~1876)・・・勤皇党総帥
もやもや富田 大鳳(1762~1803)、もやもや林 桜園(1798~1870)・・・勤皇党の精神的支柱
※ 人物によって掲載する情報量に差があります。


小説を書き始めの頃は勤皇党資料どころか党員の名前さえ大して検索に引っかからなくて調べるのに四苦八苦してたのに、久々に各人について検索をかけてみたら以前よりいろいろ引っかかるようになっていてびっくらぽんです。熊本県とか近代文学館を改築したこともあってか後出しで松田の史料あるよ~(轟さん著)とか言いよる。
おまんら、遅すぎぜよ!!
いやしかし、まさか熊本県が若干やる気っぽくなっているのはとても嬉しいです。あのドラマの出来でもやはり花燃ゆのもたらした影響は大きいというか何というか。
松田の史料とか一次史料っぽいのでいずれにしても私は手に取れませんし後は熊本県に任せるしかありませんが、情報はぜひ開示して欲しいものですね。花燃ゆの流れから明治維新ブームに乗るのであれば。その方がより定着する。


私は我が道で、次こそ第3回百恵ちゃんの記事をここに上げたいと思います。