ピンク!ネコ!グルメ!!! | 植民所在地3丁目

植民所在地3丁目

Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

 
性は宗教なり、哲学なり
性は道徳なり、科学なり
性は生命なり、人生なり―――


「おいおい、出だしからずいぶんCrazyなこと言うじゃねぇか、HA!」と思ったそこのアナタ!
謝る相手は私じゃありませんよ!(爆)

出だしのアレは今回紹介する多賀神社宣伝文句の、まさに出だしなのです。
多賀神社は別名「凸凹(でこぼこ)神堂」(凸凹寺)ともいい、性にまつわる神社なのだそうです。
あぁ、だから凸凹・・・・・・

ここの神社は宣伝文句がかなり秀逸なので、パンフレットに書かれていた文言を抜粋する形で記事を進めていきたいと思います。それで十分インパクトでかいから。


それでは。

「世界各国の秘宝がここにある・・・」 (パンフレットの表紙より)

 

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ちなみにコレが多賀神社のパンフレット。表紙がもういろいろとアウトだろ!
いやいや、神社の本殿にぽんと置いてあったくらいなのできっとギリセーフなのでしょう。
本殿は誰でも参拝できるようですが、奥が資料館になっていまして(パンフレットの背景に写っている白い建物です)、資料館は未成年者入館禁止です。この神社の周り、子どもが結構遊んでいたんだけどな・・・
え?私は資料館に入ったかって?やだなぁ~17時回ってたから入ってないよ。
パンフの中を見ただけでもう十分ですしね。



「恐嘆・驚歎・叫歎の世界!!」 (パンフレットの中身より)

この文言に吹き出したあたし。

 

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出だしの「性は宗教なり~」のくだりには続きがありまして、「人生なり」の後には凸凹神堂の由来が書かれており、それによると
 

初代久保盛丸(クボモリマル)神主はここに悟道し、大生殖宗を開基せり、
凸凹寺とは寺に非ず陰陽研究の道場にして、浩瀚(こうかん)なる著書を開版す、
それに加えて、先代凸凹丸(アイマル)宮司が世界の性宗教、民俗、風俗資料文献など数万点を蒐集し、
 
世界最高の性文化財資料館凸凹神堂に発展させたものである。

寺じゃないのかよ!とりあえず、そういうのばかり集めてよく飽きないな。
そして、凸凹を「アイ」と読ませるなんてハイセンスだなと思いました。


創建は269年。恐らく宇和島最古の神社でしょう。イザナギノミコトを主神に11柱を祀る。


 
旅程にももともと含めておらず、和霊神社から標識のままに流れてきたために、どんな神社か全く知らずに来た私の驚嘆は確かに凄まじいものがありました。


 
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神社入口に佇む像。これと同じ像が見守るというより見張るように本殿や境内を無数に取り囲んでおり、いくら霊感のない私でもこの空気の異様さは感じました。
これが創建1800年の歴史の重さですかね・・・(たぶん違う)


 
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敷地内はこんな感じ。この中に性シンボルが既におびただしい量写り込んでいるらしいですが、この神社の趣向を知らなかった私は全く気づかず。
てか別の何かが写り込んでませんかね、コレ・・・・・・

 
 
 
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本殿。お参りした後にここでおみくじを引くも、男女の出会いとお産のことしか書かれていない。ここでようやく「何かおかしい」と感づき始める。
フッ・・・とんだセクハラ神社だぜ!と冷や汗をかきつつ笑い飛ばしていたら、立っていた隣に木彫りの巨大ちんが。(この写真でも本殿の左横に若干写ってます)


こういうのは、神奈川のかなまら祭だけじゃないの!?ゴルゴ


だがしかし、婦人病やお産に御利益があるということで、女性こそ行くべき神社なのかもしれません。



うまく締めたところで(爆)、次は闘牛場のお話。
多賀神社を出た時点でもう18時前。無論どこも開いているはずもなく、しかし空だけは19時過ぎまで明るい。
もちろん、牛にもお目にかかれる時間帯ではないことも分かっていましたが、まだ空は明るい。
明るいのにホテルに戻るなんてもったいない。

そんなもったいない精神で天満山の頂上へ登り、闘牛場の外観だけでも確認する。
本っ当に宇和島は、山と海が隣同士にあるような地理でアップダウンが激しい。
その上、山と山が隣同士にあっても連なっていないので、いったん完全に下山した後隣の山にまた一から登らねばならず、ものすごくきついです。
どこに行くにもこの行程が待っており、私は宇和島にいた2日間で3つの山を制覇しました。
全体的に萩に似た感じですが、萩の人も山を日常で登ったり下りたりというのは少ないと思います。
でも、宇和島の人は日常で普通に山を駆け上がったり下りたりしている。

 
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何人に追い越されたか分かりません。体力に自信はある方なのですが、さすがにへろへろ。
おかげで山でも危険は少ないのですよ。人の通りは結構あるから。
でも・・・みんな凄い・・・・・・!

 
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闘牛場。しまった、さすがにもう暗いですね。うまく見えるでしょうか??
なかなかうまく撮れず右へ左へカニ歩きしていたら、途中から何やら足にまとわりついてくるものが。


えっ?


 
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あらー!こらまた人の靴の上に。オラ、全然気づかなかったぞ!
 
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こんな猫。子猫ですー!片手に乗るくらいまだ小さかったです。
この子がまたすごく好奇心旺盛で、歩くと追いかけてくるし、座ると膝に乗ってくる。
そして歯が生えたばかりでかゆい時期なのか、やたら奥歯で噛んでくる。

 
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がじがじ。ちょっと、痛いんですけど。
私ももう山登ってくたくただったので、40分くらいこの子の相手しながらだれてました。


宇和島の闘牛の起源は鎌倉時代とも江戸の初期ともいわれていますが、宇和島含め日本の闘牛は謎に包まれており、正確な起源はわからないそうです。闘「牛」でないにしろ、お隣土佐には闘犬がありますし、どちらもルールが相撲と似ていることから、もともと神事だったのではと考えられています。
宇和島の闘牛は、時に幕府の、時に政府の、時にGHQの妨害を受け、何度も禁止されては何度も復活し、現在は年5回開催されているのだそう。中でも、和霊大祭に合わせて行われる闘牛は大盛り上がりに盛り上がるのですって。

 
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キティと戯れていたらいつの間にか猫が6匹くらい周りに来ていた。
もはや闘牛場じゃなくて猫屋敷やん?牛見てないし。


さすがに周囲も真っ暗になってきて、下山せねばと自転車のところに行くとみんなぞろぞろついてくる。
そして自転車を取り囲む。えーと、これから何の儀式が始まるのかな?
しかし邪魔されるでもなく、猫たち総出でお見送りの中、下山。
猫と戯れるのもまた、旅先の楽しみの一つでありますな。


 
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下山時。宇和島城がライトアップされている。



この日の夕飯は、ふるさと宿泊・商品券を使ってこんな郷土料理をば。

 
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鯛めし(左のごはんとその上にある刺身+真ん中の卵醤油だれ)
じゃこ天(左上)
豆あじの南蛮漬け(真ん中上)
さつま(右下)

海沿いに位置する宇和島らしい郷土料理ですね。
右下の「さつま」は、焼き魚と麦味噌をすり合わせた汁を麦飯にかけた船乗りたちの料理。
どうして「さつま」と呼ばれるのかは不明だそうですが、「さつま」はやはり「薩摩」だろうとのこと。
宇和島は海を挟んで薩摩(正確には宮崎、薩摩藩が実行支配していた)とほぼ隣なので、薩摩の影響も受けていたのではないかと思われます。
そういえば、鹿児島にも闘牛を行う地域があるそうですね。
闘牛+闘犬、幕末の四賢候のうち三候が鹿児島・宇和島・高知と近場にいることから、個人的にこの連なりを賢候ラインと呼んでいます。別にラインじゃないよね・・・



そういう訳で、刺激的な1日目を過ごしたのでした。
次回は宇和島城城下町。ようやく伊達家の人間を主役に触れられるかな!?(爆)