名実ともに・・・ | 植民所在地3丁目

植民所在地3丁目

Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

終わりの旅、と位置づけてもいいのではないのでしょうか。
いや、まだ会津が残っているのだけれども(爆)

京都、沖縄と続いて北海道の函館に行ってまいりました。いえ、決してセレブな生活を送っているのではなく。。。
9月は何かと本業の方が出張シーズンでして、札幌に出張命令が出たので日曜を利用して函館に寄ったのです。

函館といえば、新選組的にはやはり「箱館戦争」ではないでしょうか。

どちらかといえばにわかファンで、郷土の偉人発掘の方に力を入れている私としましては、箱館といいますと完全に終焉の地、という印象があります(尾形さんは会津で離隊、しかし魁さんや八十八は箱館で戦って生還しています)。
尾形さんの小説も一通り終えていることですし、今回の旅は尾形さんの代わりに新選組の最後の地を見届けたような感覚でした。

見てきたところといいますと、言わずと知れた碧血碑、五稜郭から、四稜郭、権現台場跡、一本木関門。

 

hekketsuhi

碧血碑自体はぶっちゃけてしまうと、ただ石碑があるだけで実感としてはあまりないかもしれません。しかし、個人的にオススメなのはJR函館駅から函館山ロープウェイに到るまでの道のり。ただ歩くだけでも45分くらいかかる距離ですが、絶対歩いたがいいです。碧血碑は函館山の裏の方にある函館八幡宮奥の鬱蒼とした公園の中にありますが、そこを目的として山を一周ぐるりと回るような感覚で。

 

koukaido

honganji

 

函館山はそれ自体が史跡となっていて、公会堂や教会群、本願寺(新選組が屯所とした西本願寺と同じ)、ロシア人旧居など、江戸末期から戦前にかけての建物がとてもきれいに残っています。

 

renga
 

goryokaku


駅から山に到る前の平坦な道にも、朝市、赤レンガ倉庫群、旧郵便局など見応えのあるスポットが満載で、車で行くと見落とす可能性も。また、私は夜行バスの関係で朝5時から9時までというものすごい時間に函館山にいたのですが、北海道は日の出日の入が早いので地域住民の方は結構普通に起きてらっしゃいます。歩いて行くと声をかけられたりもして、人の温かみを感じることもできますよv

私としては、ある程度パフォーマンス化されてしまっている五稜郭より断然お気に入りのスポットでした。


9時からはにわかでない新選組ファンの友人(尾形さんの小説はスピンオフで、その元である作品の作者でもある)と合流し、五稜郭へ。
はじめ、五稜郭周辺を見た時にはあまりに都会的な雰囲気だったので、何の建物なんだっけと失念してしまいました(笑) でも、熊本城周辺に関してもそう感じる観光客は多いハズ。
見てみれば、五稜郭タワーは東京タワーを意識しているとのこと。
五稜郭タワーから公園の星形を確認したのち、箱館奉行所へ。箱館奉行所は五稜郭公園内にあって、2010年に復元されたまだまだ新しいところ。歴史的情緒を求める人にとっては期待外れかもしれません。展示館と言ったがよさそう。

 

bugyo
箱館奉行所メインに来ていた友人は「薄い(重みがない)」と言っていましたが、解体されてなくなってしまったのが復元され生まれたという、これもまた歴史。古くなって重厚さが出るのを待ちましょう(笑)



その後、さすがにレンタカーを借り、郊外へ。



四稜郭はあんまり馴染みのない名前かもしれません。私もつい最近知り、何を通じて知ったのかいまいち憶えておりません。五稜郭系列の要塞であることは確かで、土方さんと全く関係ない、という訳ではないようです。

こちらは五稜郭の力の入れようとは対照的で、看板を見なければ四稜郭とわからないくらいにただの土塁です。たとえてみるならば、小さな古墳みたいな感じ。

 

tombo

写真を撮影していると、とんぼが飛んで来て私の指で一休み。思わず四稜郭の景色と一緒に指に止まったとんぼもパシャリ(見にくいかもですが)。秋だなぁと思いつつ、函館山とも五稜郭とも違う自然そのものの風景にまったり。私も友人も、元はいなかびとなのでこういう場所の方が落ち着くのです(笑)
 

daiba
四稜郭のすぐ近くにあったのが、権現台場跡。こちらも何だかマイナーそうな感じですが、重要なのはどうやらこの鳥居のよう。ここは元治2年に建立された日光東照宮の分社で、唯一鳥居だけが箱館戦争でも耐え抜いて現代に残るのだとか。箱館戦争当時、四稜郭の建造とともにこの東照宮に砲台を置き、権現台場と呼ばれるようになったのだそう。

現在、東照宮は他の地域に移転して、ここは稲荷神社となっているようですが、どうも神社として機能はしていないよう。時が止まったような印象を受けました。



函館市街に戻り、最後に一本木関門を見てきました。思いっきり総合福祉センターの敷地の目の前にあるので度胆を抜かされましたが、跡地は跡地。土方さん最期の地です。

toshi

 

最後に回った場所ということもあるのか、「見届けた感」がとてもありました。
尾形さんも斎藤さんも、見送っていない場所。
八十八もこの頃は箱館を脱出、魁さんは弁天台場で戦っていました。
土方さんは弁天台場に向かう途中で銃弾に撃たれたそうです。
尾形さんは関係ありませんが、凸凹三人組の他二人が箱館戦争まで残ったので、この場面については作品内で触れさせていただきました。

土方さんしか、戊辰戦争の最後まで新選組を率いてはくれなかったものな。

作品内で、土方さんは山崎さんと並んで準主人公的な役割を担ってくれたので、いざ終焉の地に立ってみると、やはりぐっとくるものがありました。
総合福祉センターの前だけど(爆)



 

この1ヶ月間、まさに旅だらけだった日々(旅行・出張問わず)も先日終わりを告げました。函館は全ての旅を通じても最後の地でもあるので、新選組を巡る意味でも、実際の意味でも終わりの旅だったのかなと思います。
貯金も尽きてしまったので……←


関東へ来て2年半経つのですが、新選組ゆかりの地を巡るのはここ半年くらいだったりします。


5月に日野、8月に京都、9月に函館…


尾形さんと斎藤さんが残った会津にはまだ行っていないので、まだ真の意味で終わりではありませんが、今年はいずれにしろ行けないので、ここにて一つ区切りをつけたいと思います。

いやぁ、なんかみんなおつかれさま!!(爆