苦悶 | AIRPLANE NUT

AIRPLANE NUT

ブログタイトルは「ヒコーキきちがい」という意味です。航空ショーや航空博物館を見に行くのが趣味です。

今回は自分勝手な独白をいたします。つまらない話になるでしょうが書かずにいられないので勝手に綴ります。無視してください。

 

私は子供のころから他の男の子と同様にメカ好きで、小学校の高学年のころにはクラスではやっていたヒコーキの魅力にとりつかれました。高性能を実現するための流麗な形態はまことに魅力的で、その内側は機能的な機構がぎっしりと隠されていました。私は雑誌を読み漁り、時には実機を見に行って知識を深めていきました。ところがあるとき、私は壁にぶち当たりました。それはヒコーキが兵器として使われ、人を殺傷するという事実でした。私は兵器としてのヒコーキに嫌悪感を抱きつつも美しいその形態の魅力を振り払うことができず、どこかに妥協点を見出そうとしました。そのとき私が見出した活路がブルーエンジェルスなどの戦闘部隊ではないアクロバットチームでした。しかしながら民間のチームはさておき、軍隊に所属するアクロバットチームは入隊プロモートや大衆に対する広報活動として高度な飛行技術を披露するのが目的であり、結局はイソップ童話のラッパ吹きと同じことだと悟りました。

 

そんなジレンマを抱えていた学生時代に日本にF-1グランプリがやってきました。それは入間でF-14とF-15が対決した国際航空ショーと相前後して開催され、一般のグラフ誌で二つのイベントが並んで掲載されたのを見た私はモータースポーツに救われた思いがしてそれ以降そちらの世界に進むことに決めたのでした。私は自分なりに努力して自動車競技の世界に進みました。それは想像以上に厳しい世界で、平凡な私は何度も挫折を味わいましたが好成績を達成した時の達成感に酔いしれる瞬間は他には代えがたいものでした。自分の夢に見た世界に身を置いた幸せ者の私でしたが、どんな世界にも表に出すことが憚られる醜い裏事情というものがあり、本質は怠惰である私はモータースポーツ界を去ることにしました。

 

私は好きなことを職業とすることをやめました。そして再びヒコーキの美しさやメカの面白さを単なる傍観者として鑑賞することにしたのです。ある程度収入に余裕ができ、特に私生活で無駄遣いもしていなかった私は海外のエアショーやミュージアムにも出かけるようになり、本場の楽しさを知って病みつきになりました。なにしろ日本に留まっていては見ることのない本物があふれかえっていたのです。

 

けれども人間の本質はたやすく変わるものではありません。世界のどこかで常に紛争が起き、ヒコーキが人を殺しています。考えすぎだとおっしゃる方もいることでしょう。でも私は美しいヒコーキが人殺しの道具になることがたまらなく辛いのです。零戦を設計された堀越さんは自分が心血を注いで作り上げたヒコーキが特攻に使われることを断腸の思いで心痛に耐えていたそうです。

私はもういい年なので海外に行くこともなくなりました。国内でも米軍や自衛隊の基地祭などの軍用機主体のイベントには足が向きません。海外の主に民間主催の古いプロペラ機などが主役の航空ショーではかつて敵同士だったヒコーキたちがともに飛び交い、もう殺すことの無いヒコーキたちは幸せそうです。

 

辛く暗い日々はまだ続きそうです。