ダグラスの6月 | AIRPLANE NUT

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ブログタイトルは「ヒコーキきちがい」という意味です。航空ショーや航空博物館を見に行くのが趣味です。

上の画像は米国フロリダ州ペンサコラにあるNational Naval Aviation Museumに展示されているダグラスSBDドーントレス、ミッドウェイ海戦での戦歴を持つ機体だそうです。言うまでもなく同海戦において日本海軍の空母を血祭りにあげ、米国に勝利をもたらしその後も着々と戦果をあげ続けて第2次世界大戦でもっとも多くの敵艦を沈めたヒコーキ、我々日本人にとっては疫病神的なヒコーキではあります。

その赫々たる戦果には十分な裏付けがあって、急降下爆撃機ゆえの頑丈な機体構造と優れた操縦性で乗組員からはその型式名から「Slow But Deadly」と呼ばれて愛されたということです。後継のカーチスSB2Cが不評で「Son of a Bitch 2nd Class」という不名誉な言われ方をしたのとは対照的です。現場の声はいつの時代も的を得て容赦ないものです。

冒頭の画像に見える沢山の穴が開いたダイブブレーキ兼用フラップが特徴的ですがそれ以外は米国機らしからぬ小型でシンプルなラインの機体で、グレーに塗って日の丸をつけたら日本機にも見えそうです。この小型でスリムなデザインこそがおそらく成功の秘訣なのでしょう。

設計したのはダグラス社で数多の傑作機を生み出したエド・ハイネマンで、彼はジェット時代になってからも同様に小型軽量で操縦性・運動性に優れた攻撃機、A-4スカイホークを設計しています。

彼がこのスカイホークを設計するにあたって彼の頭の中にはきっとかつてのSBDがイメージされていたのだろうと想像します。

スカイホークはオーストラリアやニュージーランドにも輸出され、それらの国では戦闘機としても運用されましたし、米国でもトップガンなどで敵機役として実戦部隊から戦術を学びに来る猛者たちを翻弄していました。ご先祖のSBDも結構な数の敵機を撃墜した戦闘機顔負けの実績があり、まさに「Slow But Deadly」の愛称に恥じないものでした。

ニュージーランド空軍のスカイホークです。

 

ミッドウェイ海戦は6月初頭に戦われましたが、その3年後の6月6日には史上最大の作戦、ノルマンディー上陸作戦が決行され、そのとき大活躍したのが同じダグラスの輸送機、DC-3を軍用機としたC-47の一族(派生した幾つもの型があります。)でした。

民生型のDC-3は旅客機としてエポックメーキングなヒコーキで軍用型のC-47も連合軍総司令官のアイゼンハワーが勝利に貢献した3代要素の一つとして挙げるほど活躍しました。総力戦においては兵站はそれほど重要だということです。

かつてのダグラス航空機が発祥したサンタモニカにはMuseum of Flyingという航空博物館があって、その入り口近くには創業者のドナルド・ダグラスの像がDC-3の翼の下に建てられています。かつては隆盛を誇った数多の航空関連企業が淘汰されてしまった今、ダグラスの名はまだどこかに残されているのでしょうか。

 

今回は6月の出来事に無理やり私の感想を付け加えてかえって何だかまとまりがなくなってしまいました。

今の若い世代はミッドウェイ海戦のことなど知らない人も多いのでしょうが、ミッドウェイにせよDデイにせよ歴史から何かを学ぶことは大切なことです。今の世の中を見ていると若い世代のみならず人々が大切な教訓を忘れているような気がしてなりません。現状を上回るような一大事が起きないよう、先人たちの失敗あるいは成功に注目することも無意味なことではないと私は思うのですが。