久々てっぱく「おどろき!!!!収蔵展」(←驚・収蔵展じゃないよ!) | PRYCE16写真日記

PRYCE16写真日記

このブログも今やすっかり凸凹凸凹ブログに?(笑)

いつものように一駅前で下車。線路沿いでご婦人がカメラを構えていたのて一緒にカメラを構えていたら185系団体列車がやって来た。こういう情報を皆一体何処で入手するのだろう。

 

 

久々(といっても2ヶ月弱振り)の鉄博。流石に何度も訪れていると見るものもあまりないが…
 

 

今回のお目当てはこの「おどろき!!!!収蔵展(←驚収蔵展ではない)」。珍しく多くが撮影可。


 

B707。他にトライスターもあったが、コンコルドはなかった(いつもの所にあった)。

 

 

「大船軒」から寄贈を受けたという品々。このようなものまで受け入れるようだ。

 

 

各社各工場の名板がずらりと並ぶコーナー。マニア垂涎の品々だけあり、監視カメラが睨みをきかせている。iPhone14の14mm相当の超広角カメラで撮影。便利。

 

 

製造年を平成19年にした上で森君に張りたい。イクチ工芸社で作ってくれないだろうか?

 

 

今年の春と昨年の夏にお世話になった青春18きっぷ。この時代にもっと活用すれば良かった。

 

 

普段は船舶模型が展示されているが、ココには船尾文字盤と操舵装置が。金剛丸の竣工は1936年だが、舵取り装置の説明には1940年と記されている。製造後4年で交換されたという事か?

 

 

丸石製のオートバイ。エンジンは小さそうだが、原付であるというような記述はなかった。原付の制度が出来たのは昭和27年。それ以前の製品という事なのだろう。

 

 

おや?ココには「驚・収蔵展」と記されているぞ…。ココに掲げられているヘッドマークを含め、驚くようなものは特になかった。しいて言えば弁当屋の包みまでもが収蔵されていた事位か。そんな展示の中で数少ない撮影不可のものとして、東京駅の変貌を記録した映像があった。三角屋根の丸の内駅舎や旧国鉄本社などは序の口。新幹線ホームや地下通路の工事風景を非常に興味深く拝見した。40分にも及ぶ映像をのんびり見れるのも、年パスを持つ意義の一つ。勿論、企画展内容が変わる度に訪れられるというのが最大の意義だ。

 

 

企画展以外は特に目新しいモノはないのであとはのんびり見て回る。

 

 

南館2階のシミュレーターホールにて、205系のシミュレーターに驚愕。というのも1987年に撮影された実写映像が使用されているのだ。その頃当路線は使用していなかったものの、その約10年後からつい最近まで毎日のように使用していた。トラス橋の札ノ辻橋の架け替え工事(1998-2004年)の進捗を毎朝見守った。NECの旧ロゴも懐かしい。
 

 

田町を出た直後の一般住宅群。これも見慣れた光景だと思っていたが、2002年頃ビル化された模様(國土地理院航空写真より分析)。

 

 

浜松町を出た直後にあったマスプロ電工の看板。台風で新幹線に閉じ込められた時ココの前で停車した記憶がある。HAM用アンテナは安くて高性能だった。今は文化放送局舎が建っている。

 

 

新橋駅手前、環状2号を渡る手前。というかこの頃にはまだ環状2号は影も形もなかった。2000年頃から徐々にビルが立ちのき空き地が増えて来た。このマドラス看板を含む一帯は1997-2001頃に建て替えられた(やはり航空写真より)。

 

 

国道15号を渡るガーター直前。2006年にはこの一帯が更地となっている。

 

あまりに懐かしずぎる光景に、運転を忘れて撮影&感涙→急ブレーキ→逸走を繰り返した。この映像は鉄道を超えた財産だ。運転しなくて良いので、某動画サイト等で公開して欲しい!

 

鉄道博物館には写真判定によると3時間16分滞在(D51〜167系のタイムスタンプより算出)。

 

 

大宮工場前の生首広場、EF58のものが特急色とやらになっていた。カ⚪︎ミHOのEB58のモデルとなった塗装だが、前の青大将塗装よりも更に馴染みがない(←関水金属製のEF58とマイテ49の青大将色を所有→茶色化)。でも味わい深いイイ色かも。我が家の塗装のヤレた車の塗装にいいかも…いや、やはり青大将色の方が良いか?

 

 

↑GR3 ↓iPhone14 どっちが美味しそう?

遅目の昼食は大宮名物のナポリタンにしようかとも思ったが、さっぱりしたものが食いたかったので、大宮駅構内のそば処中山道にて、いつもの冷やしたぬきそば大盛ネギ大目。

 

ココの独特な蕎麦は「茹で麺」を使用しているという。スーパーで1食分が袋に入って数十円で売っているアレと同一な、湯通しするだけで食べられるようになるというものだ。うどんそば自販機に使用されているのも同様だろう。茹で麺に対するものは「生麺」といい、JRの蕎麦店ではいろり庵きらくとそばいちで採用している。

 

かつて多数存在していた「あじさい茶屋」が次々といろり庵きらくへと変わっていった頃、馴染みの店舗(田町店)がいろり庵きらくになった時に「違う」と感じ、しばらくは更に昔馴染みだった目黒店までわざわざ出向いていた事もあった。そういう訳で茹で麺の方が好きだ…という訳ではないのだが、たまに無性に食べたくなる。

 

世間ではあじさい茶屋の蕎麦がまずいまずいと大不評だったようで、その為生麺であるいろり庵きらくへと進路転換を図ったようだ。しかしこれらを同じものと思うからいけない。ペヤングを「あんなの焼きそばじゃない!」というようなもので、確かにその通りだが、ではペヤングがまずいかというとそんな事はなく、まもなく50年を迎えるベストセラー商品である。

 

 

15:16、EH500の1号機の牽引する上り石油返空列車が到着。

 

 

15:26、倉賀野行きの下り石油列車がやって来た。紺と緑のタンク車が混結される中…

 

 

1両しかないステンレス製タンク車が混じっていた。

 

 

思い出の東京駅の荷電ホームの解体が益々進んでいた。思えば貴重な瞬間だった。

 

 

元中央線ホームの「10両最後尾」のペイントが残っていた箇所も解体されてしまっていた。先程工事の様子を見た地下2階通路は、通路というよりはデパ地下のようで大混雑でうんざり。

 

 

JR線のホームドアが設置されているような幹線の大駅ホームから見える非日常的な風景。

 

 59.05 15.5