本郷と東大と谷中と尾久を歩く?! | PRYCE16写真日記

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このブログも今やすっかり凸凹凸凹ブログに?(笑)

秋葉原で所用があったので出かけ、そのまま当てもなく歩き出す。末広町まで来た時にふと、寅さんの28話に登場した「章文館」跡地を訪れた。こちらは「別館」だった建物。本郷倶楽部という謎の組織名称の看板がかかげられているが、某企業の保養所となっている模様。

 

 

こちらは映画にも登場した本館の入口付近だが、Googleストリートビューで既に確認済ではあるものの、やはり何の痕跡もなくガッカリ。しいて言えばこの僅かな石や樹木が章文館の思い出なのかもしれない。

 

 

坂を上り切った所にある鳳明館。この付近にはこのような旅館が多数存在していたのだろう。

 

 

綺麗な古民家も多数存在すr。

 

 

昭和の香り漂う…といっても昭和も長いのでひとくくりにするのはどうかという事で、昭和40年代頃の香り漂う店舗。残念ながら営業していない模様。

 

 

こちらは入口が完全にふさがれてしまっている。裏口がなければ入る事も出来ない。

 

 

目の前に東京大学の本郷キャンパス。関係者以外立入禁止の看板がかかげられているものの、一般人が普通に出入りしている模様。なのでこわごわ門をくぐってみた所、いきなり守衛さんがいたので心臓が飛び出た。しかしやはり入ってもよい模様。

 

 

下調べもなくやって来たので右も左も判らない中、目の前に見覚えのある建物が出現した。背後にそびえる高層建築を避けられる箇所がピンポイントで存在した。

 

 

これが大学構内とはとても思えない。こんな光景が一般者に開放されているのがまた凄い。

 

 

三四郎池。夏目漱石の小説タイトルとなった。「三四郎」がどんな話かは知らない。

 

 

これと同じような建物が多数建っていたが、これらはこの広い構内のごく一部なのだろう。深部には現代的な校舎も多数存在するようだが、探検するなら一日がかりとなりそうなので、今日の所はこの200m四方程位にしておいた。

 

 

有名な赤門。しかし実際には門としては機能していない。光の加減により撮影が難しい。

 

 

14:25、「谷根千」の根津を目指して東方へ向かうが、不忍通りはビル化されており、趣がない。地図も見ずに方向だけを頼りに狭い路地を進む。

 

 

14:26、上の「りんごや」から僅か1分程にもかかわらずGoogleストリートビューで見つけられず。写真の時刻とGPSログから場所を割り出さなければならなかった。

 

 

14:35、「へび道」とよばれるぐねぐね道に迷い込む。かつては小川だった模様。

 

 

14:39、へび道後半で見つけたマイクロテトラポット。高さ約10cm。高さ90cmのもので500kgあるというから、これは700g位か?ちょっと欲しいような気がするが、15分程で飽きるような気もする。

 

 

14:58、廃業していると思われる中華料理店の側面。1960年創業、2011年頃閉店したと思われる。評判は(最近の舌の肥えた方々には)不評だったみたいだが、そういう店こそ是非訪れてみたかった。

 

 

15:00、よみせ通りを進む。洒落た店舗。だが周囲にはやはり閉店した店舗がひしめく。

 

 

15;09、谷中銀座商店街を進む。土曜日という事もあり、人であふれかえっていた。

 

 

15:12、もう出口。混んでいてのんびり出来なかった。

 

 

15:21、約20年間通勤に使用した日暮里駅。だが下りた事は一度もない?!(鶯谷は何度かある)。丁度スカイライナーが通った。

 

 

15:44、常磐線の数少ない踏切。

 

 

15:59、こちらは「常磐貨物線」。元々の常磐線はこちら側だったが、上野に乗り入れる際にスイッチバックが必要となる為、後に短絡線が出来た。現在この区間は、東北本線方面から墨田川駅に出入りする列車が使用する。

 

 

16:15、田端駅付近の東北本線。尾久の電車区との出入りを行う為の線が複雑に走る。

 

 

16:44、尾久車両センターから出てゆく233系。上のガードは東北本線の本線。

 

 

17:00。尾久駅到着。大宮経由で帰路へ。

 

 

本日の歩行ルート。約5時間半で10.107km。昼食を食いそびれたが液体によるカロリー摂取は行った。

 

 

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