昨日の大宮徘徊の最中、ふと立ち寄った古書店。店先に並んでいた(汚いものの)一冊50円の書籍を、缶ビール片手にあさりまくる。結局5冊、割引価格で計200円で入手した。
まずは鉄道誌。昭和50年3月号は、SL最終運行の狂気じみた様子及び動力近代化にまつわる詳細レポートが掲載されており、同年12月では、SL復活運転で起きた悲惨な事故及び復活SL列車運行の問題点が報じられていた。国鉄が大きく変わった時代の当時ものの貴重な記録だ。
続いて写真関係の雑誌3冊。
NHKカメラ技法入門に掲載されていた1980年の旭光学工業の広告。マイカメラを購入する1年程前のものだ。当時ME-Superが欲しかったものの、予算の都合でMV1になってしまった。わずかあと2万円が出せなかった為に、マニュアル露出と、シャッター速度を読み取る機能を得る事が出来なかった。せめて1万増しでマニュアル機MXにしておけばよかった。なおココに掲載された6機種のうち、フィルムサイズが大きいのと小さいのを除いた4機種は、現在全て我が家にそろっている。少年期の屈辱の反動である。
日本カメラ1974年4月号。ESIIにSPFという、スクリューマウントの集大成というか、スクリューマウントの呪縛にもがき苦しんだ2台が載っている。現在にも続くバヨネット式のKマウント登場の1年前の事である。せっかく我が家には当時まだ珍しかった一眼レフ(PENTAX SV)があったにもかかわらず、それに合う交換レンズはなく、本体含めて買いなおす必要があり、結局予算が足りなくなったのである。スクリューマウントとマウント変更を恨んだものである。
同じく日本カメラの1973年3月号。SPと違ってジャンク品しか見た事のなかったESが誇らしげにページを飾っている。電子回路の寿命により不動となる事が多かったのだろう。レンズ位置が明確に定まらないスクリューマウントでよくぞここまでやったという感は今ではする。実際かなり高額である。がしかし、この時代のボディーを入手するならやはり、普通のSPが良いかなと思う。我が家にはSPも存在する。友人父上の遺品を、何故かボクが頂いた。但し外観は綺麗だが不動機だ。
オリンパスのヒット作となったOM-1。だがなんとその旧名であるM-1の名の広告が掲載されていた。同一名称機を持つ某西独逸のメーカーからクレームがついて発売後に改名したというのは歴史上の話としては知っていたが、やはりその当時モノの資料を目の前にすると、ちょっとゾクゾクする。ちなみにこのOM-1もまた、何故か我が家に存在する。SPと違って稼働機なのだが、購入後一度もフィルムを通した事がない。酔った勢いでなんとなく落札してしまったからである。