こんばんは。(^^)
今回は私の昔話です。
とは言いましても、性自認がどうとかではなく…(^^;;
「死」というものについてです。
かなりきつい内容となりそうですので、閲覧注意です。ごめんなさい。m(__)m
「死」というものに対して多くの人達は忌まわしく思い、恐怖すら覚えると思います。
なので、「死」というものについて考えることはある意味、「悪」だと感じる方々も多いのではないでしょうか?
そして、「死」というものについて私たちは何も知らないばかりか、一度体験してしまうと二度と帰ってこれない…
なので、実験してそれがどういうものなのかについて知ることも出来ません。
ただ、外部(自分の外側)で起こっている事象としては認識することが出来ます。
お家でずっと一緒に過ごしていたペット達や、身内や、メディアなどで。
私が「死」というものを初めて意識したのは、3歳の頃でした。
父方のおじいちゃんのお葬式…これが最初でした。
布団の中で、顔を白い布で隠され、全く動かなくなってしまったおじいちゃん。
生前は凄いドケチで、嫌みか怒鳴ってばかりだったので、私は嫌いでした。
そんな嫌で怖いおじいちゃん。今は全く動かず、冷たくなったその姿に、別の意味での怖さを感じ、背筋に何か冷たいものが走り、母の下へと逃げだしたのを覚えています。
お葬式は、親せきや近所の方々がたくさん訪れ、酒盛りも始まって、賑やかでしたが…
その隣の部屋で布団に入っていました私は、それとは反して、怖さと悲しさを覚えるとともに、いつかは自分にも訪れる日がやって来ると、考えますとますます眠れなくなり、更に、もしかすると幽霊になっておじいちゃんが現れるかもと思うと…怖くて布団の中に潜ったまま、外に顔を出すことが出来なくなりました。
その頃から、病気になったり、一人ぼっちの夜などになりますと、何故か「死」がいつかやって来るのだと意識するようになり、時々心が折れそうになったり。
反対に、「死んだら何処へ行くのでしょう?」という疑問が湧いて、ついナイフに手が伸びたり、ビルの屋上から地上をのぞき込んでみたりと、危ないことを考えるようになったり。
イジメられたり、挫折したり、自分なんかこの世界では必要とされていないのかな?なんて、ネガティブに考えることがありますと尚更、世間で言われます「あの世」というものに興味を示したりと…
結局、「死」への恐怖が勝るのと同時に、「生」への執着と、生きてるだけでまだチャンスはありますし、それに、まだやり残したことだらけですから、ええ、この世に未練たらたらなんですよね。(^^;;
そう、「死」というものに対して未だに怯えている臆病者なんです、私。
前にも書きましたが、私があることで凄く落ち込んでいた時に、会社の先輩から、
「今、辞めたら相手の思うつぼだよ!喜ぶだけだから!!」
と、言われたこの言葉を、
「今、死んだら相手の思うつぼだよ!死人に口なしと喜ぶだけだから!!」
と、置き換えますと、凄く悔しくなり、以来、私をイジメる人間に対しての反撃は、会社を辞めずに、相手よりも長生きすることだと思うようになりました。
なので、「死」というものは確かに怖いですし、忌まわしいものでもあるのですが、反対に「生」というものも同時に意識するようになり、生きていることが実はすごい事で、幸せなことなのだなぁ~と、実感するきっかけにもなりました。ので、「死」という概念を考えることは自分にとっては大事な事だったのかもと、最近そう思うようになりました。
しかし、3歳の頃から「死」について考えている私って…(^^;;
多くの人にとっては、私がそこに気づくのが遅すぎて、愚かな人間だと…そう思われているかも。A(^^;;
けど、子供たちに「生と死」について尋ねられたら、ここまで書いといてなんですが、答えることが出来ないでしょうね。何とも。A(^^;;
でね?
実は、これまた変なことかもしれませんが、「自分が意識しているから世界が存在しているのか、それとも世界が存在するから自己意識を感じることが出来るのか?」などと、思うことも。(^^;;
世界からしましたら、私が存在しようとしまいと、世界はいつものように存在しているのでしょうけど、私がそれを意識して見なければ世界は存在しないのと変わりなく…自己意識というフィールドと、その外に拡がるフィールドの存在意義と言いますか、そもそも「存在」とはどういう事象なのか?なんて、おバカな疑問を考えることも。A(^^;;
あぷりこっと
♪生きているだけで丸儲け!