多様性 | Aprikos blogg

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色々ありますが、それでも前を向いて生きようとしているMtFな私の天然ブログです。

というタイトルで以前にも書いたような気が…(^^;;

 

こんばんは。(^^)

 

これについて考えてみました。またもやですが…

 

 

最近になって急浮上してきたこの言葉。本格的に注目されてきたのはありがたいです。

 

ただ、多様性を語る場合、LGBT'Sだけではなく、女性や障がい者、海外出身者なども含み、その範囲はとても広いです。

 

しかし、これだけ広く見えますが、人間の遺伝子としてみた場合、99.9%は、全ての人で一致するのだそうです。なので、多様に見えて同質性も含んでいるのです。

 

この矛盾と言いますか、0.01%のちょっとした違いが個性などを生み出していると言いますか。面白いですよね。(^^)

 

 

LGBT'sなどに好意を寄せてくれる人もいる一方、嫌悪感を示す人もいて、更に無関心の人もいる…これも人による価値観の違いや、共感性などに違いがありますので、ここに関して色々議論したり批判しても、単に水掛け論になってしまいますので、あえて意見は述べません。

 

ただ、先の議員の雑誌に掲載した文章などは、下手をすれば私達の身に危害が及びかねない危険な文章でしたので、あえて批判いたしました。彼女の考えは尊重しますが、それが行動に移されたとき、また議員という立場を利用した動きだってあり、その点では大きな危機感を覚えています。かつての優生保護法も、誤った考えからあのような暴挙へと発展していき、しかもそれが常識であると植え付けていきましたから…言葉ってこの点が凄く恐ろしいと思います。

 

とはいえ、「多様性を認めろ!」と、集団で大声をあげて運動を起こすことにもある種危険を感じています。多様性って、私の個人的な考えですが、「個々の性格や違い」を認め合った上で、「お互い助け合いながらも、ある一定の距離感」を保つことではないかなと思っています。すべてが多様性だと言い切ると、それはまた別の意味で「同調」したことになりそうですし…

 

#だからと言いまして、デモを否定している訳ではありません。声を上げるときは上げる必要があると思っています。

 

人種のるつぼと言われるアメリカにいる全ての人種の血が混ざって一緒くたになってしまったら、それは多様性だと言えるのかという議論をどこかの議論サイトで見た記憶がありますが、それは確かにそうかもと思う一方、恐らくどうやってもそうならずに、個性や多様な性や人種などはなくならない気もしています。むしろ、環境が大きく変化するこの地球上で、一種類の人種とか、性という考え自体、それに耐えられずに滅びる気が…(^^;;

 

個性とか個人を尊重する一方、誰かと考えや意見を「共有」する、共感することも大事かと。人間は結局一人では生きて行けず、集団でここまで何とか生き残り、文化などを発展させてきたのですから…難しくなってきましたが、要は「バランス」かなと。

 

私自身、この問題に関しまして明快な答えが出ていませんので、現在も考え続けています。頭悪いですしバカですから。A(^^;;

 

 

ヒマワリあぷりこっと