”【172話】頭に袋のついてる鳥” | Aprikos blogg

Aprikos blogg

色々ありますが、それでも前を向いて生きようとしているMtFな私の天然ブログです。

こんばんは。(^^)

 


 

今回はリブログです。m(__)m

 

なぞなぞ、とても面白いですよね。私も大好きです。(*^^*)

 

もっとも古いなぞなぞとしまして、このようなものがあります。

 

 

朝は4つ足、昼は2つ足で、夜は3つ足、この生き物ってなぁ~んだ?

 

 

答えは、「人間」です。(^^)

 

(解説:朝は4つ足…赤ちゃんがハイハイして歩くようになった様子 昼は2つ足…足だけで立ち上がり、行動している様子 夜は3つ足…歳を取り、杖をついて歩いている様子から)

 

人の一生を一日に例えて表現しているところが何ともいいですよね。(^^)

 

このような「定番で手垢にまみれた」なぞなぞって、多くの人にも愛されて、今もどこかのお家で出題されていると思いますと、このなぞなぞを考えた人って凄いなぁ~と、思います。(^^)

 

さて、私はこの朝茶さんの記事のコメント欄に、このような問題を出題いたしました。

 

 

1722年4月5日
1905年1月9日
1932年5月15日

この日は何曜日でしたでしょうか?(^^)


 

ちなみに、1936年2月26日は、水曜日です。←一応ヒントのつもり。A(^^;;
 

 

 

答えを出す前に、1932年5月15日について解説いたしましょう。

 

この日、首相官邸では、当時の首相、犬養毅が青年海軍将校たちに囲まれていました。

 

関東大震災後、日本の経済システムはガタガタで、その後にとある閣僚が放った失言から昭和金融恐慌が起こり、それが引き金となって当時巨大コングロマリットとなっていた鈴木商店が倒産するなど(事業の多くは存続しまして、太平洋セメントや神戸製鋼所、サッポロビール(現在はアサヒビールと合併)などになっています)、酷い状態になっていたところに世界恐慌(日本では昭和恐慌)。

 

そこに、ロンドン海軍軍縮条約に時の政権(若槻内閣)が締結を行ったことで、海軍将校から不満が噴出し、1931年に勃発した満州事変を起こした関東軍の暴走を黙認した政府の姿勢(陸軍寄りになっていたのですよね)もあり、ますます不信感が募っていたところに、若槻襲撃計画の中心人物の一人が中国で戦死したことで、一気に爆発!

 

こうしてクーデターが決行されたのでした。

 

犬養首相は、青年将校たちに話し合いを求めましたが、将校の一人の「問答無用、撃て、撃て!」の一言で、首相は殺害されてしまいます。

 

これが有名な5.15事件の大まかな内容なのですが、この日…

 

犬養首相の奥様は、帝国ホテルに居て難を逃れました。友人の結婚式に出席していたのです。

 

実は、当時の文献などにも5月15日が何曜日なのかは記載されていません。が、結婚式が当時、日曜日に催されることが多かったことなどから、クイズに憑りつかれた少年少女達を描いたコミックス、「ナナマルサンバツ(杉基 イクラ著)」の主人公はその事からそう推測して正解しています。この辺りのやり取りはとても面白かったので是非、って、コミックスの話ではなく。(^^;;

 

因みに、ライバルの少年は、数学の世界では有名な「ツェラーの公式」から日曜日だと割り出しています。(^^;;

 

このようなことから、5.15事件から日付を割り出すことは結構困難なのですが、あとの二つから割り出すのはとても簡単です。(^^)

 

と言いますのも、1905年1月9日、ロシアのサンプトペテルブルグで起こった出来事は、世界史でも有名なあの「血の日曜日事件」として知られていますし、

 

1722年4月5日は、あのモアイの島で有名な、「イースター島」発見の年なんですよね。キリスト教のお祭りとして知られていますイースター(復活祭)は、「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」に行われるのが通例ですので、この日が日曜日だと推測できてしまいます。

 

と、いうことで、

 

 

正解は日曜日

 

 

でした~(^^)

 

あ、ヒントとして出しました(って、ヒントになってないし(^^;; )、1936年2月26日は、もうご存知ですよね? (^^;;

 

あの有名な、2.26事件の日です。

 

2.26事件の時は、前の5.15事件のこともあり、戒厳令が敷かれ、マスメディアの取材も禁止になっていました。外の様子を撮影しただけで、命がない!というとても危険な状態だったのですよね。

 

なので、今もテレビなどで観ることが出来る映像は全て、危険を冒して隠し撮りされたものなのですよね。(^^;;

 

何かの本で読みましたが、当時、2.26事件当時の街並みなどを撮影成功していた新聞社は朝日新聞だけだったそうです。とても高価なライカと言うドイツの35ミリフィルムカメラをコートの中などに入れ、そのポケットに開けた小さな穴からこっそり撮影していたのだそうです。

 

この件以降、ライカのカメラが報道関係者の間で大人気になり、かなりの台数が高価にも関わらず売れたそうです。(^^)

 

 

【160万のPC】フルスペックのiMac Proがキター! HikakinTVさんの動画 YouTubeより

 

ヒカキンさんではありませんが、自分が仕事などで毎日使う道具には、投資を惜しんではいけませんね。って、そういう話ではないですし。A(^^;;

 

と、云う訳で、なぞなぞの解説でした。(^^;;

 

 

ヒマワリあぷりこっと