2月3日はロックが死んだ日 | Aprikos blogg

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色々ありますが、それでも前を向いて生きようとしているMtFな私の天然ブログです。

正確には、音楽が死んだ日と言うらしいです。

 

こんばんは。(^^)

 

日本では、2月3日と言えば、節分ですが、音楽、ことアメリカでは、「音楽が死んだ日」として有名だそうです。

 

このお話は、かなり前に映画化もされ、日本でも上映されましたのでご存知の方々も多いと思いますが…

 

ウィキペディアには、下記のように記述されています。

 

~以下引用~

1959年2月3日、小型飛行機がアイオワ州クリアレイク近郊に墜落し、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、J.P."ビッグ・ボッパー" リチャードソンの3人のロックンローラーとパイロットのロジャー・ピータースンの4人全員が亡くなった。

1950年代末から1960年代初頭にかけて、ロックンロールのスターたちが、スキャンダルや懲役や徴兵で次々と表舞台から姿を消して、アメリカの大衆音楽は勢いを失い、イギリスのミュージシャンがアメリカに上陸してくる(ブリティッシュ・インヴェイジョン)までの間、スター不在の暗い時代が続いた。この飛行機事故はロックンロールの時代の終わりを告げる象徴的な事件となった。

後に、ドン・マクリーンがこの悲劇を題材にした楽曲「アメリカン・パイ」のなかで、この出来事を「音楽が死んだ日」(The Day the Music Died)として歌いあげ、この呼び名が定着した。

~引用終わり~

 

このようなことがなぜ起きたのか…飛行機事故については私は詳しくはありませんので、ウィキにお任せするとしまして、当時の音楽事情は、チャック・ベリーやエルビス・プレスリーなどの登場により、ロックンロールと呼ばれる音楽が、アメリカのティーン達の心をつかみ、大流行しました。

 

この音楽は、リズム・アンド・ブルース(R&B)とカントリー・アンド・ウェスタン(C&W)が融合して誕生…と、言う説が定説となっています。

8ビートのリズムにエレキギターのサウンドはとても新鮮に聞こえたであろうことは、想像に難くありません。(^^)

 

しかし、これを良く思わなかった人たちも多く、特に中産階級の白人たちや、保守的なアフリカ系アメリカ人達からの反発もあり、次第に弾圧されていくようになります。しかも、ロックン・ロール=不良というレッテルまでつけられ、状況は更に悪化していきます。

 

こういった最中に、リトル・リチャードが引退して神職に就いたり、エルビス・プレスリーが徴兵で音楽界から離れるなど、多くの初期ロックを支えていたスター達が表舞台から消えていき、風前の灯火となっていたところに起こったこの事故。

 

この飛行機事故が決定的となり、アメリカでのロックン・ロールは衰退していきます。代わって台頭してきたのが、健全で毒気のないバブルガム・ポップと呼ばれる音楽(ニール・セダカやポール・アンカなど)が数年ほどもてはやされていくようになります。

 

健全なのは良いのですが、毒気がないというのは何ともで、若者たちは歌に社会への批判や、熱い情熱などを乗せることが出来なくなり、かなり不満だったに違いない…と思います。

 

しかし、この若者の反逆の音楽は、海を渡り、意外な場所で猛烈な進化を遂げていくことになります。それが、ビートルズを生んだイギリスやドイツ、フランスなどのどちらかと言うと今でも貴族と大衆の格差が息づいている西ヨーロッパ諸国でした。特にその後、ビートルズなどの多くのブリティッシュ・ロックは、アメリカでも猛威を振るうことになります。(^^)

 

と、云う訳で、2月3日は、音楽が死んだ日でもありましたという記事でした。A(^^;;

 

 

ヒマワリあぷりこっと